旧跡・名所

敦賀市

穴地蔵古墳群(櫛川)の由来と歴史を辿る現地レポート【敦賀市】

福井県敦賀市松原地区櫛川に通称穴地蔵という史跡があり、福井県指定文化財に指定されている名所である。穴地蔵がある場所は集落より井の口川対岸。造営の時代や出土品、誰が造ったのかなどの概要を資料を見ながらたどっていき、なぜ地蔵が祀られているかの理由、中世の西福寺と民間信仰などの関係の歴史も見ていき、実際に現地へ訪れます。
▲登山部

トンビ岩|日野山の牧谷越の峠・萱谷コースにある岩の伝承【福井】

福井県にある越前富士と呼ばれた日野山には、鳶岩の伝説が残っています。山頂からトンビ岩への行き方、つらい道のレポートと伝説や言い伝えから見える教訓を記します。このコースの登山道は草木が茂って狭く荒れていて、きついうえに長いです。感想と注意点も書きます。また山頂の南には、行者碑や三角点、今庄の展望もあります。
伝承・伝説

下兵庫の蛇川「淵竜の池」由緒-スイレンと神宮寺【坂井市】

福井県坂井市下兵庫に淵竜の池があります。6月から8月頃の間、池に植えられたスイレンが咲くことで有名です。この池とその界隈には、様々な歴史と言い伝えが残されております。「淵竜」という名前の由来、池の歴史や伝説も紹介するので、観光で訪れるときに知っているとさらに楽しめると思います。周辺の見所も紹介します。
勝山市

弁天桜|九頭竜川堤の桜のはじまりと歴史【勝山市の桜名所】

今回は弁天桜の歴史を少し見て行こうと思う。勝山市市街地付近、九頭竜川の河川敷は下高島の「弁天緑地」と称される場所がある。勝山橋、九頭竜川の上流・下流に沿って右岸の堤防上に約450本のソメイヨシノが植えられている。距離にして1.5キロの桜並木「弁天桜」は、春には見事な桜のトンネルを作り、県内外から桜の名所となっている。
勝山市

長山公園の桜と、桜の名所になった歴史【勝山市】

桜の花見名所として、勝山市内のみならず福井県の中でも有名である。今回は長山公園がいかにして桜の名所になったかの歴史、長山公園の桜のはじまりを少し見て行こうと思う。長山公園と弁天桜が有名だが、桜の一大事業が始まったのがこの二つの地だったのだ。遊具あり、ピクニックなどを楽しむ家族、夫婦、親子で賑わっていた。見頃は4月上旬。
勝山市

市姫桜|勝山市荒土布市の桜並木の名所

名勝市姫桜。全長およそ700メートルのソメイヨシノの桜並木。平成7年11月に誕生したそうです。少し段丘になっているので、集落側から見るのと、滝波川から見るのでは表情が違いこれもまた楽しみだ。周りの山の頂上付近はまだ雪が残っているので、撮影スポットとしてもいい。勝山の観光地となってほしい。桜の見ごろは4月上旬。
伝承・伝説

【勝山市】谷の牛首道と「しゃかの木」の話

福井県勝山市北谷町の谷集落。この集落に「しゃかの木」なるものがあったという言い伝えがある。大きな桶を背負った鬼が、あまめを取りに来るが、この木があったおかげでこの村へは入って来なかったという。あまめとは、温熱性紅斑(火だこ)のことだろう。石畳が敷かれ、谷集落からひとたび出ると、森の中をずっと道が続いている。
旧跡・名所

足羽山山頂の継体天皇像の向きと偉蹟記念碑【福井市】

足羽山山頂は福井市自然史博物館のあるところです。治水と笏谷石の採石の徳で建立された。石像の向きはどこを見ているのか。なぜか広場とは逆の方向を向いている。継体天皇は三国とも縁が深い。偉蹟記念碑は御石像の右側にあり、松平春嶽篆額である。そんな継体天皇像も昭和二十三年に福井大地震で倒壊、昭和二十七年修理・再建され今に至る。
伝承・伝説

【坂井市】長崎称念寺の「新田義貞墓所」と歴史

称念寺。史跡新田義貞公墓所。義貞が越前に下向すると直ちに称念寺第二代白道上人の門を叩いて、教を乞われることとなった。最後の藤島の戦において、平泉寺衆徒の裏切りにあい燈明寺畷に戦死した。さて、義貞の首相違なかりけるとて、屍骸を輿にのせ、時衆(時宗の僧)八人にかかせて、葬ひのため往生院へ送られけり。
伝承・伝説

【池田町】志津原にある「将軍足利尊氏」の墓の謎

志津原館跡。志津原二十字城山山上、近年青年会手入して公園となし、俗に丸山公園と称す『上池田村誌』。渓流温泉 冠荘の向かい。白山神社社記によれば、足利尊氏公故あって都を退き、この志津原村の亀山城に御入城になり、尊氏公城内に於いて死去。この日が白山神社の秋祭りとされ、五輪塔二基が長瀬にあり尊氏の墓と伝える。『池田町史』
伝承・伝説

「楠木正成の墓」がなぜ平泉寺白山神社内にがあるのか【勝山市】

福井県勝山市の平泉寺白山神社内、奥之院三宮横に楠木正成の墓があります。なぜこの地にあるのか。伝説と訪問レポートを紹介します。楠正遠の末子恵秀が白山権現の前に坐して行をしていると、兄の正成がよろいかぶとに武装した姿で、そのかたわらに立ったといいます。現地へのアクセスや駐車場の情報も掲載します。
伝承・伝説

平泉寺白山神社の「牛岩馬岩」伝説と丑の刻参り【勝山市】

平泉寺白山神社は、福井県内有数の名所となりました。平泉寺には広大な菩提林があります。勝山城博物館付近から延びる長い参道です。舗装された道もありますが、旧参道の石畳も残っています。牛岩馬岩周辺に駐車できるスペースはありません。一方通行で追い抜く幅もないです。付近だと、菩提林入口の駐車場から歩いてくるのが無難だと思います。
伝承・伝説

【坂井市】梶の貴船神社にある「継体天皇の腰掛け石」

継体天皇がこの地へこられた跡。その地に継体天皇が座ったとされる「お腰かけ石」があったが、明治初期に貴船神社に移された。『参考:越前若狭の伝説』継体天皇(日本書紀では男大迹王)と三国について書きます。『坂井郡誌』は大正元年の資料。継体天皇の出身地が「三国」だという説があります。彦主人王と振媛の子が継体天皇なんですね。
敦賀市

【敦賀市】原、西福寺裏の「妙華谷横穴墓」はどこだ

西福寺の水が流れてきているところがある。その横の道に行くとある。山から流れてくる水が出ています。大正4年出版『敦賀郡誌』には、この原西福寺横穴のことがしっかりと記録されていたのです。横穴が複雑な水平垂直の排列構造を有し、常宮・西福寺の穴は付属の一室を有し、他に類を見ない三室接続の形。特に西福寺妙華谷の穴は各室複雑。
敦賀市

【敦賀市】原にある横穴墳墓「善衆衣谷横穴墓」を探せ

ここで用いる「横穴」とは『敦賀郡誌』から。福井の文化財のホームページによると、あの山に「善衆衣谷横穴墓」なる横穴があるはず。めっちゃあやしい穴があるんです。この横穴は戦時中、防空壕として使われていたのです。B29焼夷弾空襲。この原集落から見る焼け野原はやはり、一度目の「敦賀大空襲」でしょう。敦賀市戦災復興史。
伝承・伝説

【大野市】仏原の「仏御前の滝」と仏御前の出生地

読み方は「ほとけごぜん」です。駐車場が狭い。琴洞橋近くの谷川の上流300メートルのところにある。『福井縣大野郡誌阪谷五箇村誌』と『越前若狭の伝説』から。仏御前の伝説にちなんで名づけられた。平浄海の妾佛御前は当区の産なりと云う、以て大字名の起源を知るべく、葛が原亦其の出村なりと云う。仏原ダムの底には、集落が沈んでいます。
伝承・伝説

小浜城の人柱伝説「組屋地蔵」の話と訪問【小浜市】

小浜城は京極高次の代に、後瀬山にあった城を移した。城が長く残るように人柱を立てる意見が出た。家来が、当時小浜の町老役で豪商の組屋六郎左衛門に相談した。六郎左衛門は、やむなく自分の娘をさし出した。酒井忠勝は、江戸にいたので、城代家老三浦帯刀に任せていた。三浦帯刀は、使いの石工のところへ出して、一体の地蔵尊を刻ませた。
伝承・伝説

真名峡の字銭亀の昔話「ぜにがめ伝説」【大野市】

福井県大野市上庄地区の真名川ダム(麻那姫湖)がある一帯は若生子の集落でした。その集落も併せて今よりもずっと長い距離、真名峡の景勝地だったそうです。観光地としても素晴らしい真名川ダムから望める真名峡に伝説(昔話)の地という魅力も加えられます。アクセスや現地レポート、伝説の内容を記します。
伝承・伝説

【大野市】南六呂師の巨石伝説「女郎岩」

むかしこの岩の中に女神がおり、機を織っていて、そのおさの音が聞こえていた。「女郎岩」という小字を探せばなんとかなるはずです。『福井県大野郡阪谷五箇村誌』に女郎岩のことが載っています。『越前若狭の伝説』はこの村誌からの参考でした。昔は岩に耳を当てて澄ますと、機を織る音が聞こえたと。阪谷地区六呂師集落センターの付近。
伝承・伝説

北新在家のてんぐ松伝説【勝山市】

そんなわけで、てんぐ松を求めて、勝山市荒土地区北新在家です。この村のお宮には、三年前まで変わった形の松があり、てんぐ松といわれていた。村人はこわがって夜は近づく人もいなかった。北新在家にはたしかに一つだけ神社があります。少名比古那神社です。境内には銀杏や杉の大木があり、そうとう昔からの社と見えます。
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