福井県大野市元穴馬村の下山に白龍神社という神社があります。この神社は何を祀っているのか。どんな言い伝えがあるのか。
今回元区長さんにお話を聞くことができたのでその内容も併せて紹介します。
地理
和泉地区、元穴馬(あなま)村の谷の集落。下山。近くには九頭竜川が流れています。下山は上中下の3つの集落にわかれていますが、すべて同じ氏神と道場を共有しているため3つの集落で一つの村となっています。白龍神社があるのはその集落群の南のはずれ。民家などが一切ない山の麓です。
境内は森を形成しており、広葉樹針葉樹共に茂っています。参道は狭い石だたまに一直線に鳥居まで続いているのでかなりの雰囲気が感じられる場所となっています。
伝承伝説
郷土史の伝説
白龍神
下山に百年ほど前から二匹の小さい白ヘビがいる。若い衆が、小さいへびだと思っていじめたところ、それから二か月間、病名もわからぬ悪病にとりつかれ苦しんだ。
それ以来そのへびを白龍神とよんで大切にし、昭和四十二年に白龍神社をつくってこれを祭った。大水が出ると、酒とするめを川に流して白龍神を祭る。
引用:『越前若狭の伝説』
地元に残る伝説
昔は白龍神社は無く、造られたのは昭和40年代のときだった。奥に岩があるが、その岩は昔からあって、そこに小指の太さほどの小さい白ヘビがいる。毎年その岩に巻き付いている。そこで、観光目的も兼ねてここにお社を作ろうということになった。白山系の春日神社に頼んで御祈祷してもらいお社を作り、毎年6月の第三日曜日に祭りをすることになっている。白龍神社の境内に2つお社があるが、境内社などではなく、二つとも「白龍神社」のお社である。
ただし、白龍神社は氏神ではなく、昔からの村の氏神は上下山の白山神社である。
由緒・御利益
今は神社境内に無いですが、私が取材した方がちょうど区長を4年前にやめられた方だったようで、その方がかつて白龍神社内にあった説明板を保存されておりました。雨が銭さらされてほぼ読めなくなってはいますが、その内容によると、この白龍神社の由緒・御利益は、以下の通り。
最奥の岩を「御岩」という。
白龍神とは即ち「九頭竜の神」であると伝えられている。
「古くから九頭竜川の平安を願われた」場所だというニュアンスのことが書かれているが文字がつぶれていて読めまない。阿那摩村(穴馬村)の郷づくりのことが書かれている。
最後、「古くからこの岩に深く信仰を寄せることにより子宝に恵まれ家庭に福音ともたらすと言われる霊験あらたかな岩であります」と書かれている。
最奥の岩は圧巻です。そしてその前に竜の石像と供え物が置かれています。
白龍神社とは
祀られているのは白蛇
「御岩」と言われる最奥の岩に巻き付いていた白蛇を祀る神社。民間信仰の部分が大きいでしょう。なぜ社が二つあるのかという疑問については曖昧な部分があります。
地元の方は先ほども書いた通り、「両方とも白龍神社であり、境内社でもそれ以外の神社でもない」とのことを言っておられました。となると、可能性としては、まず一つ目は郷土史にあった「二匹の白ヘビ」の話です。白ヘビに二匹分の社として2つ造られているということ。二つ目は建て替え用の仮所として作られているということ。いわゆる遷宮です。いずれにしましても両方とも白龍神社のお社ということでそれ以上のことは分りませんでした。
また、民間信仰では説明板、郷土史ともに九頭竜川の恐れが現れているという点が一致しています。白龍神も九頭竜神の一つ。この九頭竜神というのも一つの龍なのか九つの龍なのか曖昧な所ではあります。ただ福井市内にある黒龍神社もまた九頭竜神なのです。黒龍も白龍も九頭竜であるという点は覚えておいた方が良い部分かと思います。また九頭竜川の畏れに関係してくる一つの信仰として、白山信仰があります。『いずみ村の伝説と民話』にこのようなことが書かれています。
寛平元年(889年)白山大権現が、衆徒に示現され、尊像を川の流れに浮かばせた。このとき一身九頭の竜が出現し、白山大権現の尊像をささげて、黒龍大明神の社に入った。こうして越の国の荒れ川は、九頭竜川と呼ばれるようになったともいう。
『いずみ村の伝説と民話』
白山信仰と龍神(へび)との関係は深く、白山信仰を開いたとされる泰澄との関係も深い。また今回の白龍神社の御祈祷には白山系の神社が絡んでいる所も面白いところです。
白龍神社とは民間信仰の白ヘビ信仰であり、九頭竜川の畏れでもあり、白山信仰でもあると考えられます。
参考文献
『越前若狭の伝説』
『いずみ村の伝説と民話』
現地説明板
地元の方の話
基本情報
最寄り駅 | 越美北線越前下山駅から徒歩25分 |
自動車 | 下山ICから2分 |
駐車場 | 鳥居前にスペースあり |
他、同じく白ヘビの信仰されている場所に弁財天白龍王大権現というものがあります。
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