大島半島のニソの杜とその現在~禁足地というより…【おおい町】

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福井県おおい町大島半島に「ニソの杜」という禁足地とされる場所があります。ニソの杜とは何なのかというと簡単に言えば家ごとのお社が祀られている森のこと。古くからの祖霊信仰らしいです。

心霊などと一緒に検索されることも多いようではあるが、全く心霊とは関係なく聖なるもので、むしろ失礼なのでやめましょう。

そんなわけで大島にてニソの杜に関することを少し調べてきましたので。ここに記録していきます。地元の方の話も載せます。

また、本記事では郷土史や調査報告書を参考にもしますが、それらの資料内のすべてを取り上げるわけではありません。資料については一部要点だけを取り上げていきます。

ニソの杜の概要

まず初めに、とても簡単にニソの杜のことについてみていきます。

『大島半島のニソの杜の習俗調査報告書』によると、

  • ニソの杜とは「ニソ」を祀る杜のこと。
  • 「ニソ」「ニソー」と呼ばれる。
  • ニソの杜は33カ所確認されている。
  • 祀られるのは大島二十四名の開拓先祖とされている。

要するに、「ニソ」という「二十四名の祖霊を祀る社」があり、その社のある森を「ニソの杜」という。ということです。若狭にはダイジョコや地主神など同じ祖霊神を祀る場所があるのでそれと同系統だともされています。

ニソの杜にはそれぞれ名前が付けられており、「浦底の杜(通称:ウラゾコ)」「瓜生の杜(通称:ウリョ)」と言われています。

杜の管理は数件で一カ所、一軒で一カ所、一軒で数カ所など家や地域によって違うとしています。

ニソの形は基本切妻屋根の、「the祠」という感じの見た目です。

ニソの杜に関係する伝承

ニソの杜には地域に根付いていると思われる伝承があります。実際のところはどうなのか、今は信じられているのかという問題は置いといて、報告書や郷土史内に書かれている伝承を載せていきます。

  • 杜の木を伐ってはならない。
  • 一人でお参りしてはならない。
  • 杜は古い祖先を埋めた場所(古いサンマイや古墳)。
  • ニソの杜はとにかく怖い場所である。
  • かつては木や草、枯れ枝すら持ち出してはならないとされた。
  • 白蛇、黒蛇、カラス蛇、マムシの生息地である。
  • 外海側にはかつて集落があったが海賊によって滅ぼされた。そこに「ソエノモリ」があったという。

ニソの現在

『大島半島のニソの杜の習俗調査報告書』によると、2018年発刊現在祭祀は20カ所で行われ12カ所が廃絶1カ所が中断しているとのことです。

報告書には存続している祭祀と廃絶した祭祀をまとめた表が載っていますが、2023年現在では変わっているかもしれないのでここでは省略します。

それ以外の「ニソの現在」については、当記事の後半で書く地元の方の話の中でも記していきます。

いくつかのニソの杜

公開されていたはずの「浦底の杜」

ニソの杜浦底

この浦底の杜は説明版が設置されているほどのニソの杜で、報告書では一番最初に載っており、ネットで調べても特に一番出てくるニソの杜です。説明版があるということはニソの杜を見に来る人を想定しているということ。実質公開されているニソの杜ということです。

そのはずだったのですが・・・。

ニソの杜浦底

え・・・?

説明板が見当たらないと思ったら、地面にはいつくばっていました。

ニソの杜浦底

めくってみました。やはり間違いなく、ニソの杜の説明板です。なぜこんなことに。

支柱がなかったので、意図的に取ったのでしょうか。あまりにも人が来るから取ったとか・・・?

まあいいです。見ていきましょう。

ニソの杜浦底

こちらがニソ。本当に祠の中の祠ですね。

管理者は四軒。4年に一回当番が回ってくる。この浦底の杜のニソはニソの杜の中で唯一僧侶が祭祀に立ち会う場所であったとしています。なのでここまで公開されていたのかもしれません。
当番の家に不幸があった時はその年は行わないか、次の当番へ回すことになっている。
祭祀日は毎年11月23日早朝7時から8時ごろに行う。
供物には小豆飯や山の物(大根など)、海の物(鯛や昆布など)、塩、酒(又は水)など。祭祀後に供物が鳥などに食べられていると縁起が良いとされている。
他のニソによってはアカメシの上にシロモチを供えるところもある。
その他道具にはシメナワやゴヘイなどがあります。
祭祀では海岸寺の住職が来て、読経、印、真言陀羅尼を唱え九字を切り、開経偈、仏頂尊勝陀羅尼、消災妙吉祥神呪、却瘟神呪、韋駄尊天陀羅尼等を七回、八大龍王を五回、鎮守ニソの杜、白山大権現、天照皇大神、春日大明神、八幡大権現、熊野三所大権現、住吉大明神、若狭彦姫神の神名を唱えて回向し安全などを祈る。
参考:『大島半島のニソの杜の習俗調査報告書』

今は平成30年からは講員の高齢化で後継ぎがおらず、住職も参加しなくなったと言います。

ニソの杜浦底

すぐそこにお寺が立っていますが、確かに人っ気がないので誰もいないのでしょう。

杜の様子も変わったようで、昔はもっと鬱蒼としていたのが、朽ちて倒れたり伐採したりしたということです。

浦底のニソの横には白山神社が立っています。

ニソの杜浦底白山神社

ここでは10月に権現祭りがあり、アカメシ、山の物、海の物、アカメシの上にシトギ(白餅)を供える。としています。

並んで祀ってあり、あくまで白山神社の方が高い位置にあります。セットで祀っているのでしょうか。

瓜生の杜(外観のみ)

瓜生の杜

ここは公開されていないニソの杜です。なので外観だけ載せておきます。左の竹やぶの奥にあるらしいです。

管理は六軒。七年に二度当番が回ってくる。
祭祀は11月22日の15時から16時ごろに行う。
祭祀ではまず合掌、雑草刈り、昨年の注連縄などを片付け、供物や道具を供える。
参考:『大島半島のニソの杜の習俗調査報告書』

伝承では「ウリョオノキツネ」という狐がいて、一人で入ると持っている者を取られるので一人で言ってはならないと伝えられる。祠には「ヤタノカガミ」が納められている。

宮留の東の杜(名前不明、外観のみ)

宮留の杜

結構頻繁に車が通る道沿いの茂み。そこに入る道があります。

それなりに草が刈られているので、存続しているのかもしれません。名前が不明なので、報告書を見てもどこの物なのか不明。ただし分布図にはここにマークされていたのでニソの杜の入口で間違いないでしょう。

階段の正面には石仏が立っています。

ちなみに後に書きます[地元の方の話]の中でお話を聞いた方は、ニソについてこの辺を指さしていました。

河村奥の杜(名前不明、外観のみ)

河村の杜

河村の山側の幹線道路沿いにバス停のような建物があります。(写真左)

その右側の茂みに穴が開いているのが分かると思いますが、ここがニソの杜の入口です。ここも名前は不明ですが、他のサイト運営の方がここを行っていましたので間違いないでしょう。

西村の谷入口の杜(名前不明)

西村の杜

西村の集落側の山の麓に公道から見えるニソがありました。報告書の分布にもここがマークされていたので、これはニソで間違いないでしょう。

それにしてもなんとオープンなニソでしょう。周りの木は伐採されたのでしょうか。

まあ、でも実際こんなものなんじゃないかと思います。というかあそこはおそらく十中八九私有地です。

「ニソ」という名前について

ではニソの杜を見たところでもう少し詳しく見ていきましょう。

誰でも気になると思うのですが、そもそも「ニソ」とは何なのかという話。『大島半島のニソの杜の習俗調査報告書』には、「ニソの語源説」という項目があり、

おそらく、「ニソの杜」という名の民俗信仰は全国には存在しない。当地だけの固有の名称である。
引用:『大島半島のニソの杜の習俗調査報告書』

としています。またその中で大谷信雄という方の『島山私考』を挙げており、

「にその講」→「にえんそ」
「にそはみそならん 即御祖之 みえんそとハ 御遠祖之 と法学者 歴史家の説なり」

といったような考察もされており、「沖縄の二匹の白い鼠伝説」に関連付けたものも解説されていたとも・・・。皆苦労なさっているようです。

地元人の呼び方からも考察がされています。

  • ニソ
  • ニンソー
  • モリサン

という呼び名があると言います。ちなみに私がお話をお聞きしたご老人は「ニソー」と言っていました。

報告書並びに金田久璋著書『あどうがたり』には柳田国男説を出して、「ニンソー」は「ニジュウソ」の転訛の可能性を上げており、そのうえで報告書には兵庫県福崎の歳時「ニジフソ」を出し、若狭・丹後・丹波・播州にかけて霜月二十三日に行われる「ニジュウソ」と類似するとも。名田庄三重にまさにその「ニジュウウソウのお講」があるそうで、地主神(祖霊)を祀るとしています。

『大島半島のニソの杜の習俗調査報告書』には、『大飯郡誌』に載っている「にその講」がきっかけで世に広まったとしています。

報告書にも内容は載っていますが、実際『大飯郡誌』を見ると、一番最後のページにその内容が書いてありました。

にその講
にその杜とて村内各所に小祠あり。志摩の始め二十四戸あり、各其の祖を祭れるなるべしといふ。旧暦霜月の二十二日の夜定例の供物を奉賽し、二十三日直会式を挙行す。杜の神に因縁あるのは悉く参集する常とす崇祖報本の情掬すべきなり。
引用:『大飯郡誌』

以上の内容の後にニソの杜の名前一覧が連なっています。

土葬との関係

『大島半島のニソの杜の習俗調査報告書』には、杜の位置が古墳や古いサンマイ、祖先を埋めた場所であるという伝承もあると書かれています。

ただし、現地の人の認識ではサンマイとニソの杜は全くの別物であるという認識のようです。

さてここで少し疑問に思った方はいらっしゃいますでしょうか。

伝承で「祖先を埋めた場所」というのがもし、「大島開拓二十四祖神」のことだとしたら。なぜ二十四カ所ではなく三十カ所以上もあるのか、と。
『大飯町誌』がこれに言及していました。

今日は三十カ所に増えているが、それは永年の間に、地神、山神、荒神などという森が紛れ込んできたものであろう。
引用:『大飯町誌』

と書かれています。

もし埋葬地説が本当と仮定すれば、『大飯町誌』の説を組み合わせて説明するということですね。

ただ、ニソの杜は集落内にもあるので、正直埋葬地説はどうなのかなと個人的には思ってます。
加えて、同じく祖霊神を祀る美浜のダイジョコは土葬地にあるわけでなく、家の敷地にあるのでこれもまた違う形態になってしまいます。

 

そんな中、また別の説を唱える郷土史があります。それは『若狭の民俗』

旧大島村宮留・河村などのハカショすなわち参り墓にはタマ(タモ・タブ)の木などが大きく茂って、こんもりと森を成している。同村開発者二十四名を祀るという「ニソの杜」、もっともその数は30にのぼると言われている。その「ニソの杜」の外観と少しも異ならない。外観のみでなく、私の参った宮留・河村のハカショには、タマの木が大きく繁茂して、昼なお暗い感じで、この点も「ニソの杜」から受ける感じに近いものがある。
引用:『若狭の民俗』

として、『若狭の民俗』では、サンマイのある両墓制と関連付けていることは変わらないですが、どうやら・・・

前者(『大島半島のニソの杜の習俗調査報告書』)の「ニソの杜=サンマイ(埋め墓)」ではなく、「ニソの杜=ハカ(詣り墓)」であると考察されているようです。

宮留の墓跡

こちらが宮留のハカ跡地です。巨木があります。まさに郷土史通り。

しかしなるほど、確かにその考えだと色々と辻褄があってきます。

  1. まず、両墓制の場合「埋め墓」と「参り墓」があり、埋め墓はサンマイ、大島では一度埋葬すれば以降サンマイへは参らないものであるとしている。代わりに参り墓(石塔)にお参りに行くとしている
    ーニソの杜に参りに行くのであれば、どこかに埋められた二十四祖神の詣り墓であると考えた方が自然。
  2. 先ほど指摘した、開拓二十四祖霊神に対して、ニソの杜が30ヶ所以上あるという点。これが、ニソが参り墓の役割であれば、それぞれ参りやすい場所に参り墓を建てお参りすることになったとすれば、数が合わなくてもなんら問題はない。
  3. 集落内や民家すぐ近くにもニソがある点。そこが埋葬した場所とは思えなかったが、やはり参りやすい場所に作られた「詣り墓」的立ち位置だったのではないかとすれば、これも違和感がなくなる。
  4. ダイジョコと同じように、祀る場所は「サンマイ」ではなく「家などの別の場所」であるということにもなり、同じ祖霊信仰の形にもなる。
  5. 現地の人にとって、「ニソ」と「サンマイ」は完全に別物であるという認識。これは「サンマイ(埋め墓)」と「ハカ(詣り墓)」が別物であるという意味にもつながるのではないか。

以上を考えると、『若狭の民俗』の説、「ニソ=詣り墓」説の方が信憑性がありそうです。

ニソの杜の総社説「余永神社」

大島のちょうど中心部の集落「日角浜」に島山神社という神社があります。その境内社に余永神社という神社があるのですが、その神社がどうもニソと深い関わりがあるとの見解が様々なところで述べられています。

その余永神社はもと島山神社のちょっと山に入った長楽寺の西にあったとしていますが、後に島山神社境内へ移ったと言います。その祭神は不明ながら、御祭神座が「二十四座にわかれ各々に神霊が祀られている」という状況から「ニソの杜の二十四開拓祖神」を祀っているのではないかとされています。

『島山神社社記(大正五年)』『大島村漁業組合沿革誌』を元に『若狭路文化叢書十集』として発刊した内容にも、余永神社とニソの杜のことが書かれており。簡単に書くと以下のことが書かれています。

  • 余永は、世永とも夜長とも書く。
  • 余永様は「にその神様」と御同体の神様であって、志摩の宗家の二十四名の氏神様である。
  • 「にその神」様は、二十四名各家のご先祖様であって志摩を開拓した神様である。

こう言い切ってしまっていますが、報告書によるとこの内容は私家版に記載された内容だったために当時は郷土史としては認知されなかったということです。

ちなみに『御大典記念福井県神社誌』によると、余永神社の創建は飛鳥時代に勧請したものであると言われているようです。

「志摩が云々」というのであれば、余永神社よりも島山神社の方がそれっぽい名前ではありますね。

『大飯町誌』には「影長神社と記した」とも加えられており、どんな字を書くのか変革が凄まじいです。この『大飯町誌』にも

御祭神は明記したものはないが、伝うるところでは大島の二十四名の各々の始祖を祀ったもので、島民はこの社が氏神で、島山神社は産土の神だともいっている。したがっておのおのの名にある「ニソの杜」の祖神を集合した社と考えられる。
引用:『大飯町誌』

という風に書かれており、「ニソの杜の総社=余永神社」説はほぼ確定しているように見えます。そのうえで島山神が産土であるということで、余永神社と島山神社は二つで一つみたいな感じなのでしょうかね。

島山神社と余永神社、また境内などの詳細については別記事で記載しました。

現地写真を掲載、神社誌などを見てニソの杜以外の由緒や言い伝えなども併せて見ていきます。

               

地元の人に話を聞いた

宮留のご老人とのお話

ご老人:この大島には「ニソー」という場所がいくつもある。ニソというのは森の中にお祭りしている場所のこと。そこらへんにもいくつもあるけど、たぶん(あなたが)入ってもわからないよ。

問(私):そのニソには入ることはないのですか。

ご老人:普通の時は入らない。それに今はもう「ニソ」には入らない。今はもうどこにあるかもわからなくなっている。

問:今もニソは祀られているのですか。

ご老人:昔はみんなニソを祀っていたけど、今は祀っている家と祀っていない家がある。一件だけで祀っているところもあるし、何件かで祀って順番に当番でまわしているところもあった。祀っていた時でも年一回のお参りの時以外は入らない。地元の者でもわからなくなってるところも多いし、若い人は特に、もう誰も知らないのではないか。何を祀っているかもわからなくなっている。

ご老人:昔は畑だけやってればよかったから時間もあったけど今はお金を稼がないといけないから若い人は大変。お参りしたり管理する時間がない。もうかなり減ってるし、これからどんどん減っていくと思う。それに今は地元の人でさえニソのある茂みにごみを捨てるし、そんな感じになっている。

もちろんもっと丁寧に質問しましたし、地元の方はもっと訛っていました。

さてこれを見てどうでしょうか。はたして現状は?そもそもニソの杜とは?

ニソの杜とは何なのか(素人の私の見解)

以上、ニソの杜についてやたらと堅苦しく見てきましたが、最後の地元の方のお話を聞いて、だいぶ堅苦しさがなくなったと思います。

そう、それなんです。
郷土史で調べても、「禁足地」「祟り」「日本の信仰の元祖」。ネットで調べると「心霊スポット」なんてワードまで出てきます。まさに「侵してはならない領域」「触れてはいけない世界」。

いや、違うと思うんですよね。

個人的な偏見で申し訳ないです。怒られるかもしれませんが、「ニソの杜」の存在を本気で陶酔している方、学者さん、研究家の方。今風に言うと「ニソの杜ガチ勢」の方々。
そういった方々に、あまりにもニソの杜が崇め奉られすぎたんじゃないかと思うのです。

確かにニソの杜とは不思議な風習ですし、所在も名前もそんな感じの雰囲気をかもし出します。そして素人の私でも「続いてほしい風習」だと思います。
でも、そこなんじゃないでしょうか。「続いてほしい」「興味本位の人に荒らされたくない」。これが一部の学者や研究者が過剰に神聖視して「禁足地」としている理由なのではないでしょうか。

別に隠したいわけでもない。西村のニソも公道から見えましたし、浦底のニソも説明板までありました。

私が思うに、ニソの杜のお祀りというのは少し失礼な言い方をすれば「単なる守り神」なのだと思うのです。
見てきた通り、ニソは実際のところはこの地の「祖霊」「祖先の神霊」なのでしょう。そういった「祖先の霊」が「守り神」として守ってくれている、繁栄を助けてくれる、そういう想いで祀られてきたのだと思うのです。
でもそれってニソの杜に限った話ではないですよね。私たちだって、特に日本人ならそういう想いはどこかに持っているはずです。それが大島では具現化されているというだけの話なのではないでしょうか。

もちろんだからこそ価値のあるものと言えます。

でもだからと言ってメディアや学者に過剰に祀り取り上げられ、「禁足地」などと言われ、その結果「なんかやばい場所」みたいなイメージが出来上がってしまったことは、個人的には少し悲しいことと思います。

先ほども出ましたが、若狭には「ダイジョコ」という神もあります。美浜の家の祖霊です。言ってしまえばニソもこれと似たようなもの。
他にも「アイノカミ」というのがありますね。いわゆる「田の神」「海の神」として食に関する豊穣を願う神としています。あれは祖霊神ではないですが、これもまた「守り神」「繁栄を願う神」です。五穀豊穣と言えどもその神髄は生活の守り神でしょう。(報告書では、関連性は完全に否定されていますが)

さて学者を敵に回してしまうことも言っちゃいますよ!本当はそんなつもりはないですけど。批判されそうなこと言います。

地蔵さん。これも手を合わせますよね。道端や村の辻などにあります。家の前敷地内で祀っているところもあります。こういった地蔵さんもまた「守ってくれる存在」として手を合わせますね。
家の神棚。いまでは伊勢や氏神を形式的に祀りますが、本来は土地神や自分の信じる神を拝んでいますね。
もっと言えば墓。家の石塔。これは人によっては死んだ親への挨拶や供養のためにお参りに行く人も多いとは思いますが、それと同じくらいに「私たちを守ってください」とお参りする人もいると思います。
何なら氏神の神社。これもニソとほぼ一緒な立ち位置のはずです。村の祭り、守り神、繁栄の神、そして境内では粗相のないように。

言ってしまえばこれらと変わらないんだと思うんです。
そう、なので日本の神社信仰の「元祖形態」と言われるのもこういうことなのだと。だからこそ「やばい場所」という認識は間違っていると思うのです。

「ニソの杜」というなんとも意味ありげで、「ニソ」というカタカナの怪しい名前、森の中にあって部外者には見つからない場所。
ただそれだけで特別視されていますが、結局は「守り神」「繁栄を願う」。「その土地の人たちにとっての何でも屋の神」なのだと思うのです。

だからこそ、その「祀る」という風習自体が苦になるようなら、「守り神」「繁栄を願う」とは真逆になります。それは廃れても正直致し方ないです。(本当は廃れてほしくないですが)

今は山奥の神社も廃れていっています。墓じまいをする人も多くなっています。真宗でも仏壇を持っている人も減っています。散らばっていた地蔵さんをひとまとめにした場所も増えています。家の敷地にあるような稲荷さんを手放す家も増えています。
それと同じなのです。

ニソの杜は「名前」や「風習」や「形」だけが少々特異的で地域性が濃いというだけで、存在自体は私たちの身近な「祀る」ことと変わらないのでしょう。

なので「心霊」だとか「呪われる」だとか「祟り」だとか「禁足地」だとかいうのは部外者が勝手に言っている、「存在自体が面白くなる戯言」に過ぎないのだと私は思いました。

あと付け加えるとしたら、「禁足地」について。
これ、ただ純粋に、ご老人の話にあった「普段は入らない場所」という意味を外の人間が「入ってはならない場所」に変換しただけなのではないでしょうか。
加えて、これまた単純に「家で祀る社」「村で祀る社」。要はその山、森の持ち主がいるわけで、今風に言えば「私有地」ってだけなんだと思うんです。西村のニソを思い出してもらえばわかると思います。十中八九私有地にあるニソ。だから入ってはいけないと。そういうことなんじゃないかと思うんです。

以上、学者でもない私が好き勝手言いました。

唐突に終わります。

参考文献
『大島半島のニソの杜の習俗調査報告書』
『若狭の民俗』
『あどうがたり』
『大飯郡誌』
『大飯町誌』
『御大典記念福井県神社誌』

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