熊野神社(下三重)~由緒御祭神と毒蛇伝説【おおい町名田庄】

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名田庄三重熊野神社

福井県おおい町名田庄三重の下三重にある神社。

歴史が古く神社の境内が神さび、参道も長い。祭神や社由緒を見ていくと共にこの神社に伝わる毒蛇の伝説を見ていきます。駐車場も近くアクセスは良いです。

また訪問した時がちょうど秋の例祭の日だったため提灯が出ていました。

地理

名田庄の最北端。三重区内の内の北の集落下三重にある熊野神社。

近くには国道162号線が通っており、北から来た場合の名田庄の入り口にあたる場所です。神社自体も集落の北にあり集落の入り口付近にあります。

神社の鎮座地字名は「宮ノ上」。

祭神・由緒

祭神:熊野三所大神(熊野大神)
特殊神事:松上げ神事
社伝では熊野三所明神と称し永保二年(1082)社殿再建、関屋三重五村の氏神とする。明治初年に熊野神社に改称した。桓武天皇延暦年間には仏教の興隆で仏像を安置し熊野大権現と称した時もあるという。明治維新で仏像は地蔵堂に移された。蔵する般若心経六百巻は泰澄大師の写経と伝わるという。大正三年一月に村社。
参考:『御大典記念福井県神社誌』『福井県神社誌』

かなり歴史のある神社です。

永保二年という大昔に建てられたという社殿について、地元郷土史にも書かれています。

現在の社殿造営の年が白河天皇の御代永保二年壬戌なるを以て、大正四年迄實に八百三十四年を閲したるもの、その古色の深きことや。
引用:『知三村誌』

名田庄三重熊野神社境内

本殿が後ろの建物でしょう。手前の建物は拝殿のようです。神事のときに使う場所のようですね。

名田庄三重熊野神社境内

社務所からこの拝殿への直通路も掛かっています。なかなか珍しいのではないでしょうか。

それにしてもそんなにも長いこと社殿が立っていたというのも物凄いことです。

名田庄三重熊野神社社殿
名田庄三重熊野神社社殿

本殿の方はよく見ると、石積みの上に立っているのですね。できるだけ高く。我々と同じ位置ではなく、高い位置にいるという意味なのでしょうか。

社殿の構造や彫刻もまた古を感じます。

名田庄三重熊野神社社殿

ただ祭神について『わかさ名田庄村誌』では「祭神不明」とも記されています。また、834年も続いた社殿についても、『わかさ名田庄村誌』に書かれています。

ではその『わかさ名田庄村誌』『わかさ名田庄村誌Ⅱ』を参考に見てきましょう。

創建不詳、祭神は若宮三所大明神。
郡県志には三重明神と書かれている。しかし祭神不詳。
若州管内社寺由緒記によると創建は応永三十四年(1427)頃で「此処の守護神三社の大明神」。創建当時の神主は右近左中刑部大夫という者。棟札によると張屋柱立が応永二十九年、御子座が応永三十四年の造立。年代は若州管内社寺由緒記と一致する。しかし棟札には禰宜は平貞弘となっており人物の名前が違う。
文正十五年(1546)の葺替え、享禄二年(1529)の大般若法楽、天文十五年(1546)の葺替え、天正十一年(1583)の大般若法楽、寛文四年(1664)の葺替えなど棟札が多く残っている。当社所蔵の大般若経は泰澄大師筆との伝承。
寛文四年の棟札には下三重・尾内・奥清・秋和・山田村合わせて二十四人の宮座の講衆の名があり、惣領にあたるという。
若狭神社明細帳には永保二年(1082)に再建されたがその前後のことは不明としている。十一世紀頃からすでにあったと記している。
参考:『わかさ名田庄村誌』

熊野神社は三重区総鎮守。
主祭神は平安朝期「蟻の熊野詣」と言われるほどの信者が詣でた紀州熊野神社を勧請したもの。
若州管内社寺由緒記には「三重村此所の守護神三社の明神也」とある。
三社の明神は「熊野三山」と言われる「熊野本宮大社、新宮速玉大社、那智大社」を指している。本宮は「十二社権現」ともいう。「熊野牛王」の護符を売り歩く熊野比丘尼によって全国に信仰が広がったという。
前史(『わかさ名田庄村誌』)には応永三十四年右近左中刑部大夫によって創建されたと記述があるが、応永年号は三十二年で終わっているので、永享二年と見るのが正しいと思われる。

(※以下引用)
右近左中弁(カ)は、藤原一族とみられるが一時期この村の領有者だったと思われ、村指定文化財大般若心経600巻はこうした有力者たちの寄進によるものではないかと考えられる。
参考、一部引用:『わかさ名田庄村誌Ⅱ』

このように書かれ、郷土史同士でも考察がなされている状況です。ある意味それだけ歴史があるということなのでしょう。

『わかさ名田庄村誌』には神像の写真も載っています。

棟札があるということは本当に900年以上前の社殿がほぼ残っているということなのでしょうか。一応『知三村誌』発刊時点(大正4年)では834年間保った社殿としています。

しかし現在のおおい町のホームページを見ると、19世紀に再建されたとされているようですね。

『おおい町 熊野神社本殿』
https://www.town.ohi.fukui.jp/1003/111/p10322.html

創建や祭神も色々と謎多き様で、泰澄大師の大般若心経も元々はこの社にあったものではなく有力者が所有していたものともしていますね。この大般若心経について詳しく見ると。

尚本殿の宝物として泰澄大師の御直筆なる大般若心経六百巻を蔵す。天平四年(大正四年より一千百八十年前)泰澄大師五十二才の御時の謄寫にかかる、初めは巻物なりしが、天明二壬寅年(大正四年より百三十四年前)折本となして今尚保存しあり。
引用:『知三村誌』

このように書かれており、般若心経の詳細な歴史についても地元郷土史には書かれています。

また禰宜の問題については、またもや『知三村誌』にも書かれています。

往古は何時の頃よりか現今の尾内宮前彌左衛門氏禰宜を勤め、その後文政年間より尾内小間寅蔵氏の曩代小間越后氏禰宜となり引続き小間貫之氏に至り明治十四五年頃やめられ、同十七年より今富村青井菊池武氏神職となり、引続き相続人菊池武顕氏明治三十六年まで、夫より西津村小松文三郎氏神職となり、大正三年十月三十日に至りやめられ同日現在の神職大道公氏就職せられ以て今日に至れり。
引用:『知三村誌』

元々は三重内での禰宜で回っていたようですが、最近では他の村の神職が務めるようになっているようですね。青井の菊池氏は以前紹介した、八百比丘尼の青井神明神社の神職です。

いずれにしてもこの広い三重区の総社であることは変わらないですし、合祀や境内社もあるようなので「三重明神」という位置づけで祀られているということなのでしょう。

『わかさ名田庄村誌』でも出されていましたが、『知三村誌』にも書かれています。

若狭郡県誌に
三所明神社
在同村為産神。或称三重明神未知為何神也。
引用:『知三村誌』

産土神、土地神なのでしょう。

ちなみに秋の神事「大太鼓」では三重区すべてをまわるのでまさにその「三重明神」の様子が見て取れます。

それにしてもやはり郷土史から出てくる詳細情報が豊富ですね。ありがたいことです。

境内

境内社

本殿と同じ段に左右3つの境内社があります。

名田庄三重熊野神社境内社

上写真は本殿の左側にある2つのお社。
左:愛宕社 火結神合祀
右:大神宮 天照皇大神

ちなみに手前にある説明板に大般若経や文化財の説明が書いてあります。

名田庄三重熊野神社境内社

上の写真は本殿の右側にある1つのお社。
八幡宮 品陀別命、息長帯姫命、比賣命

境内について

境内の広大さは参道の時点で実感します。

名田庄三重熊野神社

まずここは神社入口の鳥居前ですが、この一直線。

参道は直線に長く、木々が連なり山へと入っていきます。

知三村誌にはその境内の様子を数行にわたって説明しています。

稲田に向かえる所路傍に建てる鳥居をくぐれば西北に向かいて直通一町斗りの小上りの道路あり。その両側に周囲六七尺中には一丈もあらんと思わるる老杉所狭しと並列して茂り会い、翠嵐颯々として自然の琴瑟を奏する中を進み行けば、やがて拝殿を透して本殿を望むを得。清らかに掃き清められたる境内總べて蘚苔深く、樹根石垣等を封して古色蒼然たり。一見してその創建の古きを叩頭かしむ。仰ぎて後方の山を望めば杉、樅、樫、椎、等その他千種の老樹森々鬱々として晝猶暗きが如し。その山麓に東南に面して建てるは即ち本殿にして、大いさ間口参間四分奥行三間なり。その大部分は欅にして僅かに檜を用い皆白木造りの森厳なる社殿にして。その外部の幾百年間風雨と戦い年輪の間の凹める所自ら蒼々萬古の懐あらしむ。
引用:『知三村誌』

名田庄三重熊野神社

今は桜の木が植えてあるようです。しかし所々大きな切株があり、これが椎やタモの木の跡なのかなと思っていました。

ただこの桜並木を抜けると。

名田庄三重熊野神社

次は杉の直立した並木に変わります。この参道の並木の変化もまた面白いところです。

かなり鬱蒼とし、まさに森の中にある神社という感じです。

名田庄三重熊野神社境内

ちなみに境内に入る前に狛犬や灯籠ではなく、縄がしめてる2つの大石が両脇に門のような形で立っています。昔ながらの結界の意味なのでしょうか。

毒蛇伝説

たもの木の毒蛇
虫谷から約二里半程下へ出た所に三重という区がある。この区は昔三重村とと言っていたが廃されて知三村に加えて三重区となった。その三重区が五つの字に分かれている。その中に下三重という字がある。この社の奥に大きなたもの木があった。さしわたし三尺にあまる大木で根の所に大きい穴が開いていてその中に大きな蛇がすんで居た。この蛇は通る人に毒を吹きかけてたふれた所を食べてしまうと言われていた。それを聞いた血気の若者が、「なにそんな事があるものか」と云って出かけた。しかしそれっきり帰って来なかった。今は其の老木はくちてしまって根だけが残っている。
引用:『福井県の伝説』

今はもう朽ちてしまったということです。

この『福井県の伝説』が1936年(昭和11年)の発刊なので、その時点で朽ちてなくなったというのなら、もう今ではおそらくほぼ土に還ったでしょう。おそらくは知る人もいないと思われます。しかしこの神社の境内のどこかにそんな木があったのでしょうね。

古の土地神

名田庄の大きな村にある総社熊野神社は、古い歴史を持ち伝える神社であり、この大きな三重区を守る土地神。

一つの伝説に興味を惹かれましたが、そこからこの歴史と謎の多い土地神にたどり着きそれに気づかされました。

謎多くとも、村にとってはただ「村の神」であるということだけで意味があるのでしょう。それだけで十分なのです。

参考資料
『御大典記念福井県神社誌』
『福井県神社誌』
『福井県の伝説』
『わかさ名田庄村誌』
『わかさ名田庄村誌Ⅱ』
『知三村誌』

基本情報

最寄り駅JR小浜駅からバスに乗り換え下三重バス停下車徒歩3分
自動車小浜ICから17分
駐車場国道162号線沿いの公園駐車場

ちかくには「つるべおろし」の怪異伝説が伝わる場所があります。

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