神明神社と八百姫社の由緒伝説~小浜青井に八百比丘尼を祀る【小浜市】

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福井県小浜市青井。古くからこの地に神社があり、国守藩主の奉献もあった。

この神社になぜ八百姫社(八百姫宮)があるのか。白玉椿の地の言い伝えと祭神、歴史、創建経緯などを見ていく。

地理

神明神社八百姫社

小浜市の青井区は小浜城下町の一番西の山の谷に位置します。そして、国道27号線・小浜線を渡りさらに南へ行くと住宅地が並ぶエリアに出ます。その場所に神明神社があります。

神明神社の正面右には古めかしい石碑が立っており、そこには「八百比丘尼」と刻まれています。

神明神社由緒・御祭神

祭神:天照皇大神、豊受姫命、豊受皇太神
『御大典記念福井県神社誌』によると、「社伝によれば、雄略天皇二十一年(西暦400年後半)の創建。順徳天皇建保年間(1213~)大改修した。」と書かれているが、『若狭遠敷郡誌』には「社伝に曰く慶永十四年創立天正十七年浅野長政以来代々国主崇敬ありと、建保年中の創建にして慶永十七年守護一色義範華表を造立し、享禄二年武田元光修修造し近世に至るまで伊勢大廟を代表する神社として崇敬され来れり。」と書かれている。

創建の由緒が雄略天皇二十一年(西暦400年後半)建保年間(1213~)2パターンがあるということで、800年も誤差があり、年代が安定しないので不明です。ただし古い神社であることは間違いないのでしょう。

若狭歴代国守(一色義範、武田元光、丹羽長重、浅野長政、京極高次、酒井忠勝)の奉献支持があり、隆盛を極めたとあります。

『御大典記念福井県神社誌』によると、明治二十八年に谷口より現在地へ移転したという事です。

内宮外宮、熊野十二所権現、八百姫社の末社があります。

青井神明神社

境内はまさに山の中に作られ荘厳です。石段を何度か上がっていき、その神社の空気が徐々に重くなっていきます。石は古び、石碑や狛犬もいつの時代か。古の空気が感じられます。

大木も生えており、本来の神社の姿ともいえるでしょう。

青井神明神社

何やら文字化彫られた石碑。本殿は一段高くなり、その周りを瑞垣が囲むという、まさに大きな神社にありがちな構造です。しかも拝殿の門にも仕切りがしてあり、本殿まで足を運ぶことはできない形になっています。

青井神明神社

瑞垣内はまるで自然の土地そのままの場所に社殿を置いたような構造です。

禁足なのでしょう。

神明神社の伝説

創建の伝説

この神明神社の創建の伝説は、まさに伝説らしい伝説となっており、古くから続く若狭の歴史の一端であることがよくわかる伝説です。

元丹後街道より東の山麓に内宮と俗称する社殿あり、さらに数十間山中に登りて外宮と称する社殿あり、今の街道は昔より十余間東に転じて旧社地を横断し、社殿も合一して元の内宮と称せし地点にあり菊池氏代々祠官にして武田氏以来の名家なりと云う、伝説に曰く昔筑紫に王孫なる者あり、其の女十七才の時霊夢に依って伊勢大神宮に詣で菊池武弘なる者之が供たり、女官中に入りて七日を経て神託なりとて船を海上に浮かべその到着する所を居住の地となさんと云い、風浪に随って漂流し船終に熊野山麓に漂着す、其時䌫を繋ぎしものは即ち船留岩なり、上陸して熊野山に登り白馬の来り告ぐるに依て一石上に至り、十二子を産み伊勢大廟を祀り十二所権現を合せ祀り菊池武弘祠官となる。
引用:『若狭遠敷郡誌』

要するに、筑紫の王孫という女性が十七の時に霊夢にあって伊勢に詣でて、菊池武弘が連れ添い、そこで「船で漂流した地に居住する」という神託を受け、それで漂着したのがこの小浜熊野山の麓だった。ということのようです。

では、ここに出てくる熊野山がどこなのか。グーグルマップにない・・・。

郷土史を見ると、『若狭遠敷郡誌』の今富村の項に「後瀬山・熊野山・及青井山は村の西端に連亘し~」と書かれています。また、『今富村誌』には

熊野山
熊野山は後瀬山の西に連り山麓に神明神社あり(昔は山の半腹にあり維新後茲に移す)建保年間の創建に係り浅野、酒井の国主崇敬浅からざりしと、山麓一帯の地は往古海岸の地にして後瀬の浦と称したる処なり。八百比丘尼洞、船止巖、帆着谷等の以て当時を語るもの多し
引用:『今富村誌』

と書かれているので、神明神社の背後がその熊野権現があった地であり、筑紫の人が伊勢の信託の通り漂着し登った山のようです。

ちなみに船留岩も現存しています。写真撮っていませんが…。小浜線沿いにあります。

その時代の様子が残っているのです。

喧嘩事件

『若狭の伝説』に載っている話です。

この話は、なんというか、もう本当にくだらない喧嘩話ですね。

神明神社の喧嘩
 京極宰相忠高公の勧請による神明神社(小浜市青井)の祭礼には諸人の参詣多く、上方から見世物なども来て、殊の外賑やかで、相撲も行われたが、江崎隼人の家来藤田伊八という者、仲間二三人と同道で見物していた。
 この時河口島右衛門という士が伊八の後で見物していたが、河口は常に杖に銅鉄を入れていたのを持っていた。角力が始まると島右衛門
「前の物は皆下に居れ」
といってそこに座ったので、藤田も座ったが、群衆のため押し合いとなって又中腰となるのを苛立った島右衛門、杖で伊八の頭をしたたかに打った。
 伊八は後ろを向くと刀を抜いて島右衛門に切りつけたので群衆は四方に散るのを踏みこみ踏みこみ切り立てれば、島右衛門木の根につまづいて倒れる所を飛びかかって止めをさし直に山へ登り愛宕より湯岡へ出て行方知れずとなった。さて河口家は断絶し惣領に仙左衛門という二十五才の男がったが、これも乱暴者で祭り等の人込みには町人を痛しめた者で親の敵も討ち得ず京都へ出て寺方に若党奉公をしたということである。
引用:『若狭の伝説』

今でこそ刀はなくなりましたけど、こういう喧嘩の発展の仕方って今でもあるんじゃないですか。

もちろん身分による上下はもうほとんどありませんが、偉そうな人っているし自分中心の人もいる。

こういう話を伝説などで見ると、人って成長してないんだなぁと思います。

八百姫社について

祭神・社殿

神明神社八百姫社

先ほどの謎の石碑の右側に八百姫社があります。

祭神:倭姫命
別名:八百姫宮、八百姫神社、八百代姫の社、玉椿の社、八百姫明神

境内に八百姫神社あり、祭神は倭姫命なり
引用:『若狭遠敷郡誌』

と書かれています。

神明神社八百姫社

八百姫神社の参道には椿の木が植えられており、八百比丘尼伝説を彷彿とさせます。

ちょうど椿が落ちてくる時期で、伝説になぞらえた感じの風景でした。

神明神社八百姫社

まだまだ色鮮やかに咲いている花もありました。扁額は少しのぞきこまなければいけませんが、ちゃんと「八百姫神社」と書かれています。

この神社には八百比丘尼の像が祀られていると云います。

八百比丘尼の伝説

八百比丘尼の伝説は多くの本に収録されています。以前福井の伝説を取り扱った本を紹介した記事でも、いくつも八百比丘尼の話を載せている本がありました。

それほど有名な話です。おそらく伝説好き以外の方も知っている方は多いと思います。

その一説一部を少しここにも書いて、少し今回の八百姫社と絡めて見ていきます。

 八百姫は若狭国祖の末流、高橋長者の娘だった。娘の父親が浜で変わった魚を取り(または会食で人魚の肉として出されたものを食わずに)持って帰った。娘はそれを食べてしまったので長生きした。容姿端麗で結婚を望む者も多かったが、何年経っても十八才(又は十六才)の姿のままで、嫁に行かず髪を下ろし尼になった。諸国巡遊し、堂や橋の修繕などで人々を助けた。特に東国に長くいた。後に若狭に帰り、後瀬の山中の天照皇大神宮、豊受宮にいおりを結び、仕えた。椿を好み山に多くの椿を植えた。よって玉椿の社ともいう。
 この後に空印寺の岩穴に入定し、岩穴の前に椿を植え、「この椿が枯れた時、私が死んだと思ってください」として生涯を閉じた。人皇四十二代文武天皇の御代に生まれ、亡くなったのはその800年後だったという。それで人々は八百比丘尼と称するようになった。
 八百姫宮は福寿円満八百姫明神としてお祭りした。福徳寿命の神として信仰され、病気の人が一心に願をかければ、霊験あらたかである。

八百比丘尼には夫がいたとする話もあります。孫も老いたのに彼女だけ老いなかったという話があります。また父親を「秦道満」とする話もあり、縁起にも書いてあると『笈埃随筆』は書いています。

他にも、八百姫像について「花の帽子を冠り、手に玉と蓮華のようなものを持っている坐像」としており、霊宝は「尼が所持した鏡、正宗作のほこ太刀、馬の角、天狗の爪」としています。

秦氏まで出てきました。ちなみに高橋氏は膳氏ですね。若狭の豪族が集結ですかね。

 

八百比丘尼の伝説は本当に多くのパターンがあって、出生地も若狭以外の場所が上げられることもあります。ただし妙に人魚伝説の多い若狭には当てはまる伝説だと思います。

そういえば、この八百姫社のある神明神社創建の歴史も、「創建の由緒が雄略天皇二十一年(西暦400年後半)と建保年間(1213~)の2パターンがあるということで、800年も誤差がある」ということでしたね。神明神社を開いた筑紫の巫女は筑紫を離れたときに17歳。この熊野山麓の地に住んだと。

・・・。

なるほど。

八百姫社創建の伝説と白玉椿の地

この神明神社・八百比丘尼のある土地は白玉椿、玉椿などと言われる字名の土地。

ここに八百姫社を創建するに至った経緯の伝説が伝わっています。

青井の八百姫宮
 小浜市青井の神明神社に八百姫の社址がある。これは元和五年神明の神主菊池某の建立したもので、その頃青井の坂に八百比丘尼の霊魂が迷い出で行き逢う人を驚かすのでここは昔比丘尼の住んでいたところであるからとここに小社を建ててから怪異のことは無くなったという。
引用:『若狭の伝説』

白玉椿の地で通行人と行き逢っては、かき消すように消えたので、神主菊池某のはからいで小社を建てた。
参考:『越前若狭の伝説』

なんと怪異の伝説が発端だったようです。しかもここがかの有名な八百比丘尼の住居跡とする話でもありました。境内には八百姫社の前以外にもいくつか椿の木がありました。伝説の地に立っているという実感が湧く土地です。

あくまで伝説なので本当かは不明ですが、この伝説はかなり浪漫がありますね。

今も社はありますが、『ふるさとの昔話』では「現在は八百姫の像だけがある」と書かれているので、一度無くなった経緯があるのでしょうか。

他境内の現状

ひとつ、境内に気になるものがありました。

青井神明神社

八百姫神社の向かい側になぞの石だけが立てられ祀られているかのようなものがあったのです。

不明です。

いずれにしても、八百比丘尼の伝説を感じられる、空印寺以外の聖地といえるでしょう。

神明神社創建の伝説も相まって、なかなかロマンあふれる土地です。

参考文献
『御大典記念福井県神社誌』
『越前若狭の伝説』
『若狭の伝説』
『若狭遠敷郡誌』
『今富村誌』
『ふるさとの昔話』

基本情報

最寄り駅JR小浜線小浜駅から徒歩24分
自動車小浜ICから6分
駐車場なし

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福井県伝承浪漫

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