若狭彦姫神社と泊の名前の由来~御祭神と竜宮伝説【小浜市】

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福井県小浜市内外海に泊という漁村があり、その中に若狭彦姫神社があります。

泊はかつて若狭彦姫が若狭国巡行の際に一泊した場所であり、山の神と海の神の竜宮伝説などもある神にまつわる話が多い漁村とされ、神社がまさにそれを伝える場所となっているのです。

由緒・御祭神

若狭彦姫神社

祭神:天津日高彦火火出見尊、豊玉姫命
古来日ノ宮大神宮、上下大明神、日吉大明神と呼ぶ。これは若狭国一之宮若狭彦神社・若狭姫神社を上下宮と呼ぶことに由来した。延宝三年の記録には「日の宮大明神」とあるという。
『御大典記念福井県神社誌』には「社伝によると貞観元年(859)遠敷郡上下宮より勧請」とあり、『若狭遠敷郡誌』にも「貞観元年遠敷村より勧請」とある。しかし、『新わかさ探訪』には「社寺由緒記には奈良時代の養老年間(717~724)の建立とされている」としている。『わかさ内外海誌』にも社寺由緒記を引いて「養老年中に建立」としている。
子どもが生まれると2月10日前後に子と両親で泊の彦姫神社に参ってから遠敷上下宮に参る「成子参り」をする。
秋には豊作祈願の「酒事(さかごと)」をする。境内広場で酒を酌み交わし、若者が棒振り太鼓を演じる。
明治四十年に日吉大明神合併。
宝刀に三条宗近作の物があり、重要文化財として国立博物館に寄託してあると伝える。
参考:『御大典記念福井県神社誌』『若狭遠敷郡誌』『新わかさ探訪』『わかさ内外海誌』『内外海の記憶』

『新わかさ探訪』によると、明治の初めころまでは一之宮の祭りの日に、お宮さんのカギを運んだとし、そのカギがないと祭りが始められないというような関係性だったとしています。(後に紹介します)

それほどまでに重要な土地とされていたようです。

また、『若狭遠敷郡誌』には

元禰宜に高橋氏あり
引用:『若狭遠敷郡誌』

と書かれており、若狭の膳氏、後の高橋氏との関係がちらつきます。しかし若狭一之宮と深い関係があるとすれば、若狭国造の膳氏(高橋氏)と関係があっても何ら不思議ではないでしょう。

偉大な神社なのですね。

若狭彦姫神社

しっかり整えられた境内。狛犬と灯籠が新旧二対あります。

社殿は一段上に在り、さらにその上に段になって建物が立っています。立派な社殿です。歴史も感じます。

若狭彦姫神社

格子の戸がいいですね。村の神社という感じですが、村の神社としてもかなり大きな規模ではないかと思います。

泊の名前の由来

泊

由緒でも少し見てきましたがもう少し、この「泊」の由来に関して郷土史を付け足しましょう。

往古若狭彦姫の二神が当国を巡行の際泊の津に一泊され遠敷に向かわれたことから泊の里の地名が付いたという。
引用:『御大典記念福井県神社誌』

としており、その他にも

  • 彦火火出見尊が竜宮からの帰りに泊まられた。(『新わかさ探訪』より『若狭国一宮御縁起』)
  • 下宮豊玉姫が竜宮からこの国へ出現されたときに一日休まれた。(『新わかさ探訪』より『社寺由緒記』)

いずれにしても、『新わかさ探訪』で言及されてもいますが、山幸彦と豊玉姫のどちらとも竜宮からこの泊を経由して遠敷へ行くというルートをとっているとされているようです。

神の道だったのですね。

泊の小話

参考は『わかさ内外海誌』です。

  • 小山の近く海上に「越後くり」という岩があると言い、その岩に舟が引っかかり傷めることがよくあったそうです。
  • 日暮山古墳群という小円墳が堅海近くに二基ある。一号墳は破壊されており、石室は小さい。二号墳は形を保たれている。墳丘に山神の祠がある。一号墳の開口は平家落ち武者が隠れた所と伝わっている。

境内社

諏訪神社(建御名方神)荒神社(興津彦命)があります。本社殿の左右にそれぞれ鎮座しています。

若狭彦姫神社
若狭彦姫神社

『御大典記念福井県神社誌』によると、享和二年(1802)に勧請、明治四十一年四月に本社に合祀したとしています。境内社となっているということはもう一度出してきたということでしょうか。

昭和11年(1936)発刊の『福井県神社誌』には、境内社ではなく「合祀」と書かれているので、この時点では合祀されていた状態だったようです。

力石

若狭彦姫神社

神社境内には力石なる物があります。ちゃんと説明板もあります。

若狭彦姫神社

絵も描かれています。蘇洞門から持ってきた石なのですね。きれいな丸です。

これを100m持って力くらべですか・・・。漁業は力仕事。力こそパワーなのでしょうかね。そう考えるとこの地から石の存在も納得できそうです。

若狭彦姫神社

ちなみに社殿前にあったこの巨石も力石なのでしょうか。

狛犬は通常サイズです。でかすぎです。さすがに違いますよね・・・?いや、でも昔の人なら持てたのか?

伝説

由緒や泊の名前の由来で、ある程度の伝説は紹介しました。

というより、由緒や名前自体が伝説に由来しているというような状態です。

ただ、地元の郷土史に物語形式で紹介されているものがありましたので、流れだけ紹介したいと思います。

 昔、泊で男が畑仕事をしていたとき「トト、トト」と澄んだ声が聞こえた。その方向を見ると、大松の枝に釣り道具を持った神様が腰かけていた。「トト、トトどこか泊まるところがないか」という。村人はおそるおそる村にお連れし、社を作り氏神として祀った。
 ある夜、「大きな千年杉の生える場所に移りたい」と言ったので、村人はその場所を探し移した。それが今の遠敷にある若狭一之宮である。元宮は泊であり、神庫ノ鍵は泊の神主が持っており、祭りのたびに出向いていた。そこから村の名を「泊」、家の主を「トト」と呼ぶようになった。
 この紙は若狭彦神社の山幸の神で、兄の海幸の釣り針をなくし、豊玉姫のおかげで竜宮から釣り針を取り返した。その帰る途中にこの村に泊まったのだった。
 また、竜宮の姫の豊玉姫は泊村の姫で「とまの姫」と呼ばれる。ホオリ(山幸)の尊は夜な夜な泊浦の姫のもとへ遠敷から熊野を越えて山伝いに通ったともされている。
参考:『内外海の記憶』

といった内容で、詳しくはその郷土史を実際に見ていただけると良いかと思います。

神話のような話。まさに神の国であるような話ですね。

もう一つ、『若狭の伝説』には、

若狭彦神社の祭神彦火火出見尊(伝説では山幸彦)は兄君海幸彦の釣針を求めて竜宮に赴き、ここで玉依姫(若狭姫)と結ばれ、三年の後潮満玉と潮干玉とを得て相携えて蘇洞門の千畳岩に着かれ、その近くにある浦に一泊されたので泊浦と称したという。
引用:『若狭の伝説』

といったような昔話形式ではない伝説らしい伝説も残っています。昔話とは違えども、内容的にはほぼ同じですね。また、力石を蘇洞門から取ってきたという伝承と少し繋がる部分もありますね。

いずれにしても豊玉姫がこの泊の神様であるという伝承でもある。これはまた素晴らしい伝承です。

確かに海の景勝地であればリアス式海岸の素晴らしい場所で、竜宮があるというような伝説も語り継がれそうなほどです。そのうえ若狭国という歴史の深い土地柄。この話もまた必然だったのかもしれません。

神ノ国

泊浦

神ある土地。海の神山の神。

それが若狭。

豊かな海と歴史ある土地に、神の伝説が伝わる土地。

内外海半島の先端に位置する泊ですが、名前にも伝説にも深い深い歴史のある、若狭の重要地点だったのです。

参考文献
『御大典記念福井県神社誌』
『若狭遠敷郡誌』
『新わかさ探訪』
『わかさ内外海誌』
『福井県神社誌』
『内外海の記憶』
『若狭の伝説』

基本情報

最寄り駅小浜線小浜駅からバスに乗り換え泊バス停下車徒歩2分
自動車小浜ICから19分
駐車場神社横集会所

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