若狭浦の名前の由来と古墳「王塚・黄金の鶏」伝説【小浜市】

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福井県小浜市内外海地区に若狭という集落があります。若狭小浜の若狭です。

なぜこの名前になったのか、その由来を見て行く。またその村に伝わる伝承と古墳の関係も見て行きます。

地理

今回取り上げる集落があるのは、小浜市北部の内外海半島の浦にある村です。

道は唯一県道107号線のみ。周囲を山と海に囲まれた一つの集落。

ただしかなり入り組んだ入り江になっているので孤立しているといった様子ではありません。

若狭浦の由来

若狭小浜若狭浦

今回の集落の名前は「若狭」です。道路標識にも「小浜市若狭」と書かれています。

少し混乱するかもしれません。

福井県嶺南の大部分が「若狭」という地域です。昔は「若狭国」として長い間続いてきた地域でした。その若さの中にあるのが今の小浜市です。その小浜市の中にある若狭という集落なのです。

つまり、

若狭の中にある小浜の中にある若狭という村

ということです。

ではなぜ一集落がこの名前なのか。郷土史を見て行きましょう。

若狭の浦
(略)
岬を回りますと田畑が広がり若狭集落が見えます、往古、千年も前には、もう一つ谷越えの西浦(椎崎とも)に村がありましたが、故あってこの東浦に移り住み、字も、めでたい若狭の国の名をとって、「若狭浦」と改称し、今に至っています。(村名については、豊かな海の幸山の幸を、朝廷に献上していた土地であったからとの説もあります)
 又、一説「西の浦に村があったが、藩政時代に鉄の精錬をここで行おうとしたため、隣の入江の若狭浦に全戸を移したそうです」とも記されています。(『越前若狭の譜』より)
引用:『内外海の記憶』

とのことが記されています。

元々は2つ村があったということでしょうか。

西浦東浦とあるのは、今グーグルマップで見てもらえれば分かるかもしれませんが、若狭集落は2つの平地があります。その西と東という意味でしょう。西の平地には椎村神社という神社もあるので西浦のことを「椎崎村」と呼んでいたことにもつながります。

実際に『若狭遠敷郡誌』にもこのように書かれています。

若狭浦
(略)往昔は今氏神椎村神社の現存せる西浦にありしが、約千年前今のところに移れりと伝ふ。
引用:『若狭遠敷郡誌』

さらにほかの文献を見ると

  • 『角川日本地名大辞典福井県』
    「わかさぶら」ともいい、戦国期に既に見えている地名。『若狭旧事考』によると、西の浦にあるときに疫病が蔓延し災厄を避けるために東浦へ集落を移したという。
  • 『福井県の地名』
    同じく、西の浦にあるときに疫病が蔓延し災厄を避けるために東浦へ集落を移したと伝わる。そこから国名にちなんで若狭と名づけられたという。
  • 『越前若狭の伝説』
    『若狭旧事考』を参考にしている。ある年神の祟りで疫病が流行り、生き残った人が東浦へ移り、名前もめでたくするために国の名と同じ若狭にした。という。

『内外海の記憶』ではニュアンスが少しわかりにくかったかもしれませんが、これではっきりしました。

まとめると・・・
元々この村自体は西浦にあり「椎崎村」としていた。それが千年前か藩政時代から東村に全戸移って行き、西浦の「椎崎村」ではなくなった。そこで移転という形で、東浦の「若狭村」と新たな村が誕生した。

そんな変革があって今この一帯を「若狭」というようになったということですね。

氏神が集落側の東浦ではなく西浦にあるのも、これが原因のようです。

ちなみに『若狭遠敷郡誌』によると、この若狭浦一帯の集落は漁業ではなく農業を主としているとされています。

 

村が移った原因は、疫病がメジャーなのでしょう。しかし実際に藩政時代に鉄の精錬があったというのは本当のことのようです。もしかすると、今でいう公害」によって村人が病気になったという説もあり得るかもしれませんね。

王塚・黄金の鶏伝説

伝説

さてそんな若狭の集落にはとある不思議な伝説が伝わっています。

王塚と黄金の鶏
 昔、若狭浦に韓の国から身分の高い人が来てこの地に住んだ。西の浦の古墳はその人の墓で王塚と呼ばれている。
 王塚の中には、黄金の鶏が一緒に埋められているといわれ、この泣き声を大晦日から元日の朝に聞くと、生涯幸せになれると伝わる。
 その昔、ある人が大晦日にこの村を通ったところ、夜の静寂を破る綺麗な鶏の鳴き声を聞いて早くも夜が明けたのかと驚いた。しかしいつまで経ってもあたりは暗く夜は明けない。それは王塚の黄金の鶏の声だったという。その後その人の家は良いことづくめで大層幸せに暮らしたという。
 この村では今もこの鶏の声を元朝に聞くと幸せになると信じられ、夜が明ける前に雪があっても素足で無言詣り(道中は人に会っても声をかけない)をし、黄金の鶏の鳴き声を期待しながらお参りに行くという。
 王塚は神聖な土地として不浄を嫌う。昔は女の人の出入りが禁じられていたという。
参考:『内外海の記憶』

よくある金鶏塚伝説ですかね。

実際にその場所と思われるところはありました。

古墳との関係

まず最初に冒頭で「古墳」と出てきましたね。

『若狭遠敷郡誌』にも

付近に古墳あり、発掘の土器猶存す。
引用:『若狭遠敷郡誌』

と書かれています。

実際この若狭村には2つの古墳があります。その名前は、

  • 王之摩恵古墳
  • 大塚古墳(おそらくこちらが王塚か)

どちらも「王」「大」など漢字や発音がそれらしい名前です。
では少し写真とともに見て行きましょう。

王之摩恵古墳

若狭小浜若狭浦

今の集落側(東浦)にある古墳です。つまり東浦です。

今はおそらく隣接の家の私有地となっているでしょうか。

福井県教育庁生涯学習・文化財課の埋蔵文化財遺跡地図によると
時代は古墳
状況は山林、石室露出

となっているようです。

ただ東浦の古墳なので伝説の王塚ではないでしょう。
「王之摩恵古墳」という名前も、「王の前古墳」という意味かもしれません。

大塚古墳(おそらくこちらが王塚か)

若狭小浜若狭浦

椎村神社の西隣接地にあります。つまり西浦です。

福井県教育庁生涯学習・文化財課の埋蔵文化財遺跡地図によると
時代は古墳
状況は山林、石室一部残存

となっています。

これでしょう!

「大塚」は「王塚」。西浦にあり、神社が隣接する。伝説にあった無言詣りというのは神社の初詣のことではないでしょうか。そこにある王塚というのであれば繋がります。

状況は気になりますが、私のような個人趣味勢が安易に立ち入ることなど恐れ多いので、最接近は神社参道前道路からの外観だけにしておきます。

若狭小浜若狭浦

ここが黄金の鶏のいる王塚。そういって間違いないと思われます。

かつては西浦にあったという村に氏神と王塚があり、今も西浦には若狭集落の重要な土地が残っているのでした。

古き言い伝えの重なる土地

様々な変革をたどって今の形となった若狭集落。古墳時代から続く歴史と土地。

それを見るには地名と成り立ち。そこから遺跡、神社など。様々な歴史と言い伝えがあり、それが合い重なってゆく。

これからも、村の歴史と言い伝えを語る土地は残り続けます。

参考文献
『内外海の記憶』
『若狭遠敷郡誌』
『角川日本地名大辞典福井県』
『福井県の地名』
福井県教育庁生涯学習・文化財課 埋蔵文化財遺跡地図

基本情報

※若狭集落のアクセスです。

最寄り駅小浜駅からバスに乗り換え若狭バス停で下車
自動車小浜ICから13分
駐車場なし

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