おおい町

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勧請板・蛇縄~若狭大島半島の厄除けのオコナイ~【おおい町】

福井県おおい町若狭大島半島の集落に道の上に縄が張ってある。これを勧請縄とか蛇縄とか言う。災厄から村を護る結界のようなもので御祈祷は村のオコナイである。この風習の一部。村の蛇縄を見ていく。
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若狭父子の土葬地と時代の流れ~ミドリトウバあり【おおい町】

福井県おおい町父子。この地はかつて土葬両墓制または単墓制であった。今回お寺で土葬についてのお話を伺えたのでここに記す。現存する土葬地も許可の下でここに掲載する。
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若狭大島宮留の八幡宮跡~村の氏神、第三の神か【おおい町】

福井県おおい町若狭大島半島の宮留集落の平地に茂みがある。そこにはかつて八幡宮があったとされ、今でも石碑や鳥居などが残っているという。この八幡神は大島にとって大切な神社であったという。
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島山神社・余永神社~大島の産土神とニソの総社【おおい町】

福井県おおい町若狭大島半島にある神社。ここは大島の産土神と境内社にニソの杜の開拓二十四祖神総社であるとされている神が祀られるとされる。由緒や境内、現地の現在の様子を記録する。
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若狭大島半島のサンマイ葬制事情と現状~土葬から火葬へ【おおい町】

福井県おおい町大島半島。ニソの杜が有名な地域でニソの杜と埋葬の関係もささやかれる。ここではつい最近まで両墓制による土葬が行われてきた。今もサンマイが残る場所もあれば消えたところもある。また整地され面影を失った場所もある。そんなサンマイ事情を郷土史や地元の方の話から記録していく。
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大島半島のニソの杜とその現在~禁足地というより…【おおい町】

福井県おおい町大島半島に「ニソの杜」という禁足地とされる場所がある。ニソの杜とは何なのかというと簡単に言えば家ごとのお社が祀られている森のこと。古くからの祖霊信仰らしい。心霊などと一緒に検索されることも多いようではあるが、全く心霊とは関係なく聖なるもので、むしろ失礼なのでやめましょう。
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熊野神社(下三重)~由緒御祭神と毒蛇伝説【おおい町名田庄】

福井県おおい町名田庄三重の下三重にある神社。歴史が古く神社の境内が神さび、参道も長い。祭神や社由緒を見ていくと共にこの神社に伝わる毒蛇の伝説を見ていく。駐車場も近くアクセスは良い。
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道の駅名田庄と暦会館・流星館はある意味テーマパーク【おおい町】

福井県おおい町名田庄にある道の駅とその敷地隣接で安倍家土御門家に由来して暦会館が立っている。紅葉の時期に行ったが、ここは特に文化を感じられる場所である。茅葺屋根の建物もあれば暦の勉強もできる。また頭巾山青少年旅行村も隣接している。そして何より、葬送地の様子も見られるのだ。
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つるべおろしの怪異~名田庄三重の峠に伝わる伝説【おおい町】

福井県おおい町名田庄三重山田に伝わる怪物の伝説。峠を通る人を殺したという怪異。「王大将」とも言われる。今でも石碑が残りその伝説を偲んでいるというので、集落の人にも聞き込みをし、その所在や実際に伝わる話などを調査する。
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本郷の経塚はどこ行った?桜の名所船岡丸山の伝承【おおい町】

福井県おおい町本郷。ここに丸山公園という桜の名所がある。かつては船岡と呼ばれていた山。今回その桜と共に見ていくのが、経塚の言い伝え。さらに船岡に関する伝承も見ていく。
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尾内の両墓制 ~土葬墓と石塔(浄眼寺)の関係【おおい町】

福井県おおい町尾内(読み方は「おない」)の両墓制を見ていく。現在の土葬地(埋め墓、サンマイ)と浄眼寺裏の石塔墓(参り墓)を訪ねた。花立や棺台、五輪塔など現存し、資料から霊屋、ミハカなど、昔の死生観も見ていく。
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尾内の石碑「祖伝大和尚書法華経碑」の言い伝え【おおい町】

福井県おおい町尾内集落内を横切る丹後街道沿いの空き地に石碑がある。何の石碑なのか。そして何が書いてあるのか。その謎の石碑を見ていく。法華経の石碑か。伝説では何かを埋めてあるとも。
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本郷の和菓子屋『丸栄菓舗』若狭銘菓あめ玉と松露【おおい町】

福井県おおい町本郷の町、丹後街道沿いに店を構える老舗和菓子屋「丸栄菓舗」。銘菓「あめ玉」と「松露」は店の人気商品。旅のお供にもお土産にも最適な品。アクセスや最寄り駅なども記載。
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加茂神社(納田終)と人身御供 ~白羽の矢が立った村~【おおい町】

白羽の矢。それは村の神から生贄に選ばれた少女の家の屋根に立つ人身御供の印。かつて日本の村で人身御供という風習があったとされる。福井県おおい町名田庄村納田終の人身御供伝説の伝わる土地を紹介。白屋とも書くそうだが、現地バス停は白矢だった。その由来はもちろん「白羽の矢」から来ているとされる。身ずしや祭りの名残も見ていく。