つるべおろしの怪異~名田庄三重の峠に伝わる伝説【おおい町】

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※ステルスマーケティング防止のため

福井県おおい町名田庄三重山田に伝わる怪物の伝説。峠を通る人を殺したという怪異。

「王大将」とも言われ、今でも石碑が残りその伝説を偲んでいるというので、集落の人にも聞き込みをし、その所在や実際に伝わる話などを調査することにしました。

地理

名田庄三重区は名田庄内でもかなり大きな集落で、名田庄の谷の最北端に位置します。ここが今では国道162号線が名田庄の谷に沿って通っているので、車通りもそれなりにあります。

三重の中でもいくつか区がわかれており、その一番南に山田区という地区があります。そこが今回の目的の集落です。

山田区には名田庄総合運動場があり、その南へ行く道沿いが伝説の地です。

名田庄三重のつるべおろし

名田庄三重から名田庄久坂への坂道があります。これがその地です。

伝説

 尾之内から山づたいに道を上の方へ辿って行くと山田という字がある。これも同じ三重の区中である。その山田の村はずれに大きな木が二本それも淋しく青空に池の面を見下して立っている。夜など何か出そうな物凄い所である。
 ここに「つるべおろし」と言う一風変わった化物が出て夜道を通る人に問答をかける。そして問題にまけると取って食ってしまう。しかもその問いが生やさしい問いではなくて道を通る人は皆負けてしまうのだった。或時一人の元気な男が「何自分が行ってやっつけてやる」と言って出かけた。
 すると何所ともなく声がきこえて来て問答をかけた。その男は利巧な人だったので、それをうまく答えてしりぞけて了った。そこで化物も弱ってその夜かぎり出なくなり、今まで人の途絶え勝であった道もようやく人が通る様になった。それで村の者は其の人を非常に尊んで石碑を立てた。此の石碑はその木の下に立っている。
引用:『福井県の伝説』

王大将
久坂と三重を結ぶ坂に古い石碑がある。それを王大将という。むかしつるべおろしという怪物が出て、通りかかった人に、「王大将か、みそ大将か。」と質問した。そのため現在のような平和な村になったという。しかし反対に泥棒ばかりの村になったかも知れない。
引用:『越前若狭の伝説』

郷土史によってニュアンスが若干違うというのが見て取れます。

「つるべおろし」というので「つるべおとし」のようなものかと思っていましたが、どうやら全然違うもののようです。

名田庄三重のつるべおろし

三重山田と久坂を結ぶ峠の頂上。今は道路改修されて通りやすくなっています。

ただし峠に石碑らしきものはありません。大木もないです。三重山田側には少なくともそれっぽいものは見当たりませんでした。

名田庄三重のつるべおろし

久坂の方へ降りてゆくと地蔵群がありました。しかし伝説では「石碑」と書いてあるので、おそらくこれのことではないでしょう。

こうなったらもう地元の方へ聞き込みしかありません。

地元の方の話

そんなわけで何名かに聞き込みをしたところ、一人だけこの伝説についてご存じの方がいらっしゃいました。

三重山田のおそらく80~100歳代の方の話
 つるべおろしというのは聞いたことないけど、「オダイシショウユ、ミソショウユ」といって、昔は久坂との峠の坂道に大男の怪物が出ると言われていて、道のわきに座っていたらしい。
 その大男が「オダイシショウユ、ミソショウユ」を言ってきて、それに「オダイシショウユ」と答えるとその道を通れて、「ミソショウユ」と答えると殺されるという話を聞かされていた。殺されたのは女、子供だったとも聞いている。
 石碑は今は坂の向こうにある。坂を下って三重から見て右側に石碑がある。「南無妙法蓮華経」か何かよくわからないけどそんな感じのことが書いてある。石碑はその犠牲者のために建てられたと聞いている。

ということでした。

この方以外に三重では3人尋ねましたが、他の方は知らないと言っており、その方と一緒にいた娘さんらしき方は

「全然知らなかった。今初めて知った。」

とおっしゃっていました。

それにしても地元の方の話でも郷土史とは若干違います。大まかには一緒ですが問答の文言が違いました。聞き返しましたし、何度もおっしゃっていましたが、やはり「王大将、みそ大将」ではなく「オダイシショウユ、ミソショウユ」でした。

聞こえは結構似ているので、訛ったのか、口伝で伝わっていくうちに変わったのか。そこまではわかりません。

(後に答え合わせができます)

石碑について

私が当時現地の方のお話をお聞きして訪れた石碑です。

名田庄三重のつるべおろし

先ほどの地蔵群の前を通り、久坂集落が見えてきました。この右の道。今木が生えている所の道です。

名田庄三重のつるべおろし

そこに2つ、確かに石碑がありました。向こうに見えているコンクリートが先ほどの坂道。逆側から見ている状態になります。道からは奥の方の石碑。写真では手前の方の石碑。

名田庄三重のつるべおろし

確かにそこにほかられている文字ははっきりとは認識できず、何と書いてあるか不鮮明ですが、「南無」と「蓮」の文字が確認できるので、先ほどのご老人が仰っていた石碑に思われました。

ちなみにもう一つの方の石碑は、最近彫られた句か御言葉が書かれた石碑でした。

 

ちなみに久坂側でもこの伝説について聞き込みしましたが、ご老人に聞いてもその伝説のことはわからないと言っていました。やはりこれは三重側の伝説なのかもしれません。

ただしこの坂について新たに聞いたことがあります。

久坂の40~50代くらいの方
 この坂は昔は本当に峠で、山道のような道だった。今の道はそれをだいぶ切り落として整備したもの。だから昔峠にあった石仏などは下におろされている。今峠の(久坂側から見て)坂の前にある石仏は元々峠の上にあったもの。

ということでした。

名田庄三重のつるべおろし

その石仏群は久坂側にあり、石仏群の上には、写真では見えずらいですが、祈祷か何かの板が数枚木に括りつけられています。現在でも信仰を感じられる場所です。

このような現状であるということは、つまり昔から伝わる「つるべおろし」の怪異伝説の舞台はその昔の坂にあったと考え、そうすると伝説にあったような「二本の大木」は無くなっていると見ていいでしょう。そしてその下にあった石碑だけが移転して現在の久坂の峠麓に置かれたということなのでしょう。

後に訪れたもう一つの石碑

当記事のコメントの方につるべおろしの伝説の石碑についての有識者の方からコメントをいただきました。

どうやら最初に取り上げた石碑とは別の所に「南無妙法蓮華経」の石碑がもう一つあるということで、しかも三重山田側にあるということで、こちらが正しいつるべおろしの石碑ということです。

情報のご提供誠にありがとうございます。

どうやら私が現地で聞き間違えたようです。

 

というわけで再度訪問しました。

つるべおろし

三重山田側にこのような木の道?があります。この藪の中に。

つるべおろし

確かにありました!

南無妙法蓮華経 一千部法界

と刻まれています。

識者の方によると、
これは石碑ではなく墓であり、周辺工事の際に御祈祷をあげていたほどだとのことです。さらに、「僧侶かどうか問われて違うと答えると殺される」という話を聞いたことがあるとのことです。「お大師(又は道師)しょうゆ、味噌醤油」が正しいのではないかということです。
(コメントからのご教示いただけた内容を参考)

こうみると、最初の現地調査のご老人のお話とも一致します。逆に郷土史の内容は地元に伝わる内容とは違うということになります。

今回現地でお話を聞かせてくださった方、コメントをくださった方のおかげさまで本当の伝説に到達できたような気がします。

石碑は犠牲になった人の墓であり、王大将ではなくお大師(導師)である。

こうして怪異伝説の石碑を見ることができたのは素晴らしいことです。こうして今も残っているのです。

途絶える伝説、残していければ

私は今回のように、集落内でもご老人のほんの少しの方しか知らない伝説に出逢うことがたまにあります。
それは伝説自体もそうですし、こういった石碑が残っている場合もそうですが、
「このままなくなってしまうのだな」
とおもうのです。

由緒不明の石碑なども多いと思います。

今こうして取材して、地元の方々の協力を得て、記録し残していくことができる時、どうか多くの人々に届き、残ってほしいと思うのです。

参考文献
『福井県の伝説』
『越前若狭の伝説』

協力
三重山田の方
久坂の方

基本情報

最寄り駅JR小浜駅からバスに乗り換え秋和バス停下車徒歩12分
自動車小浜ICから19分
駐車場名田庄総合運動場

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コメント

  1. アサヒ より:

    初めまして。地元民ですが、つるべおろしの石碑は山田側の坂の裾にある石碑が正しい石碑と聞いていますよ!記事の写真1枚目右手の山斜面、草木に隠れた位置にあります。

    地元県のかなりマニアックな民話を現代にまとめてる方がいるなんて!と驚き少し前から興味深く読んでおりましたが地元のお話だったのでついコメントしてしまいました。これからもご活動頑張って下さい(^^)

    • こうづけのすけ より:

      初めまして。コメントありがとうございます。そして、情報ありがとうございます!
      まず地元の方に見てもらえたこと、コメントをいただけたことがとても嬉しいです。
      つるべおろしの石碑について、まさか他にも石碑があったとは・・・。そちらが正しい石碑なのですね。訪問時、周りを見ていたつもりでしたが全く気付きませんでした。おそらく今教えていただかなかったら一生気づかずにいたと思います。本当にありがたい情報です。これはまた行かねばなりませんね!

      ちなみにですが、すみません。地元の方ということでこの伝説で少し気になっている部分が2つあるのですが・・・
      1つ目は、呪文的なものが「王大将」なのか「オダイシショウユ」なのかどちらが一般的なのでしょうか。
      2つ目は、現地の石碑はつるべおろしを撃退した英雄を称えた石碑なのか、つるべおろしの被害者の供養の石碑なのか、どちらが多く言われている伝承なのでしょうか。

      もし差し支えなければ、ご教示いただけるとありがたいです。

      • アサヒ より:

        私も夏頃に見に行きましたが藪が茂っていたので見つからなかったのも無理ないとおもいます(^^;;

        石碑というよりお墓だと聞いていました。名前か何かが彫られていたはずなので次回行った際は是非読み解いて来てください!
        周辺の山や坂を工事した際は神職のような方が何やらご祈祷?をあげているのを見たと親族から聞きましたので未だに気にして供養されてる方がいらっしゃるようです。

        王大将については聞いたことがないのですが、僧侶かどうか問われて違うと答えると殺されると聞いていたので「お大師(もしくは道師)しょうゆ、味噌醤油」が正しいのかと思います。完全口頭で聞いた記憶を掘り起こしてるので曖昧で申し訳ないです!
        参考になれば幸いです!

        • こうづけのすけ より:

          ご教示いただきありがとうございます!本当にありがたいです。
          なるほど。お墓ということは被害者供養の可能性が大きそうですね。供養が続いているならこの伝説も廃れることはなさそうで安心しました。
          「僧侶かどうか問われて違うと答えると殺される」というのは初めてお聞きしました。あの呪文のような言葉にはそういった意味合いがあったのですね。これはかなり貴重な情報です。
          こうなるとおっしゃる通り「お大師(もしくは道師)」という意味で「オダイシショウユ」の方が正しいということになりそうですね。訪問時に伺ったときに聞いた「オダイシショウユ」は聞き間違いではなかった。これも繋がったことが本当に感動です。

          こうしてご教示いただけると本当に支えになります。もし今後も当サイトをご覧いただけたら幸いです。私も郷土史も間違っている可能性があったり、私自身足りない部分があったりもしますので、考察や紹介する話と口伝との相違などの指摘、またちょっとしたコメントでも嬉しいのでよろしくお願いします。

          再訪問して撮影・確認した後、ご教示いただいた口伝と考察も写真と共に本文に追加させていただきます。その際はまたコメント返信の方でご報告させていただきます。

          長文になってしまいました。
          改めまして、貴重な情報を本当にありがとうございます。

        • 宮 こうづけのすけ より:

          アサヒ様
          先日三重山田に再訪致しました。例の坂の三重山田の方に木の道のようなものがあり、その先に確かに「南無妙法蓮華経 一千部法界」と書かれた墓が立っていました。まさかあの藪の中にあったとは・・・。本当に教えてもらわなかったら気が付きませんでした。本当にありがとうございます。
          記事内に「つるべおろしの怪異~名田庄三重の峠に伝わる伝説【おおい町】(https://kofukuroman.com/tsurubeorosi/)」記事内に追加しましたので、又お時間がありましたらご覧いただければと思います。
          本当にありがとうございました。