本郷の経塚はどこ行った?桜の名所船岡丸山の伝承【おおい町】

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福井県おおい町本郷。ここに「丸山公園」という桜の名所があります。かつては「船岡」とも呼ばれていた山です。

今回その桜と共に見ていくのが、経塚の言い伝え。さらに船岡に関する伝承も見ていきます。

※写真は2022年4月9日。

花見の特集は、桜や彼岸花などの名所・穴場のまとめ記事があります。

>>【福井県】桜の名所・花見スポット -有名から穴場まで情報一覧

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※当記事がそのページの場合があります。

意外と近くにも、名所や穴場があるかもしれません。

船岡について

船岡はおおい町本郷の西端にある山です。

と言っても今は小浜線や国道27号線によって船岡は削られ、さらに公園整備によってかつての山の面影は無くなっています。名前も船岡という名前は残っておらず「丸山公園」となっています。ただ、現地のおおい町郷土史料館の隣にある広場に人の模型がありますが、そこで「船岡」の文字を見ることができます。

ただそれでも市民の憩いの場となっているので成功例ではあるのでしょう。

船岡一帯は元々「丸山」とも呼ばれ、「聾山(つんぼやま)」ともよばれていたようです。また現地で「船岡」は「ふのか」とも読みます

船岡と安土山

訪問は2022年4月9日安土山を背後に桜が満開でした。

今はこうして人工の整備が行き届いています。ただ昔は違ったようです。

丸山公園
本郷小堀両区の中間に壹岡丘あり丸山又は聾山と称し半は青松半は雑木密生す登ること数十間にして頂上に数百歩の平地を造り名けて丸山公園という背後には長覚寺山控え前は海水にその裾を洗わせて一葦を隔てて近く垜山に封す開拓日尚浅く老樹草花の観るべきなしといえども左方和田及び高浜海浜の蒼々たる松林を通じて端麗なる若狭富士の全景は掌上に載するが如く右の方青戸海の水色また掬(きく)すべし遠望の風致に至っては敢て妙見山に譲らざるものあり思うに妙見山と丸山とは本村好一封の勝地なり。
引用:『大飯郡誌』

と書かれており、昔は雑木林の茂っていた場所だったようです。

今の山の面影は高低差のみとなっていますが、人々が集まる場所としては申し分ないです。

桜の名所として

船岡(丸山公園)の桜

そんな元船岡丸山公園は、気軽に登れます。全面階段という変わった形態で、更にその全面に桜が植えられているという、なんとも桜推しの公園なのです。

この桜を見に、現地でもたびたび人が訪れておりました。

見所は何といってもこれ。

船岡(丸山公園)の桜と青葉山

青葉山が見えるのです。

青葉山のきれいな三角形は若狭方面からしか見えません。なので若狭富士。そんな若狭富士と桜が共演される場所があるのが大飯高浜地域の良い所。この船岡もその一つなのです。

郷土史にあった通り、ここからの青葉山の眺めは素晴らしいものですね。

青葉山と桜

船岡の言い伝え

若狭を行く旅人が故郷へ便りを送る際に入れた文言として、『郷土誌大飯』にはこのように書かれています。

「無事に吉田(きつた)の橋を越えた…」

『郷土誌大飯』でもこの意味をいろいろと考察しています。その中に船岡の言い伝えもあります。

ある人は吉田川に近い舟丘(ふのか)の浜は昔斬罪場であったから旅人を恐れしめたのだとも云っていた。
引用:『郷土誌大飯』

おお、なかなか暗い部分もあった山だったのですね。

ある意味一つのランドマークとしての存在だったのかもしれません。

経塚の言い伝え

経塚の伝説

さて、記事題にもある経塚です。伝説を先に見ていきましょう。

御経塚
御経塚は本郷区の西端、国道にある。昔この富豪、渡邊源與衛門氏の祖先が、如何なる故か多くの経書をここに埋めて塚としたものであるという。その後毎年旧盆の十五日の夜中になると、この塚から数多の僧侶の読経の声がありありと聞こえるので、渡邊家では年に一回必ず供養をおこなうことになっている。
引用:『福井県の伝説』 『越前若狭の伝説』にも記載あり

何ともあやしい伝説です。ちなみに福井県の埋蔵文化財遺跡地図にもこの経塚についてのことが書かれており、

つんぼ山経塚

という名前で載っています。

私はこの遺構がないか調べ始めました。

経塚の遺構探し

というわけで、いろいろ探していると『郷土誌大飯』にその経塚に接続した場所の写真が載っており多くの石仏が写っていました。その備考としてこう書かれています。

本郷の石仏
本郷字船丘の経塚に接続して、石仏墓石が集めてある。この石仏はもと「墓輪谷」という処にあったもので、中に「永禄三年」の刻銘のあるものもあったが、何者かが持ち去って今はない。
引用:『郷土誌大飯』

これだ!と思いました。

といっても今その石仏がある場所が、明らかに道路によってなくなっているように見えるのです。なので、郷土資料館さんに問い合わせることにしました。

おおい町郷土史料館に聞く

さてここで問題が起きます。私はてっきりこの石仏のある場所が経塚の場所と思い込んで、郷土資料館に問い合わせてしまいました

ちなみに解答をいただけました。それをまとめると、

  • 経塚は船岡の尾根で明治期に発見され、経筒などの出土品は香山神社の所蔵。
  • 本郷から高浜へと続く道沿いに石仏があった。
  • 石仏群は県道整備に伴い移転されたと思われ、有力候補が潮音院。潮音院は元船岡にあったため。また潮音院の無縁墓に祀られている石仏の形からも可能性は高い。

素晴らしい有力情報でした。感謝です。

私はこの情報を頼りに、認識違いのまま潮音院さんへ訪問するのでした。

潮音院訪問

潮音院

ご住職がとても親切にご対応してくださり本当にありがたかったです。お堂の中まで入り、郷土史まで持ってきていただき、座ってお話もしていただけました。
誠にありがとうございます。

先ほども少し書きましたが、潮音院は元船岡にありました。

1322年建立。
開基は明極和尚(明極楚俊)。明極楚俊は鎌倉末期に来日した元の禅僧です。また、開基について、一説には楠正成という説もある。
開山は桂盧仙和尚。
慶長年間に船岡から現在の地に移転。
参考:『大飯町誌』他

というわけで、私は経塚の石仏のことについて質問しました。

で、私のやらかしです。
「石仏=経塚の場所」と思い込んでいた私は、その認識のまま潮音院さんへ訪問して、「経塚の石仏」を聞いてしまったのです。経塚と石仏は別物なのに!本当にやらかしました・・・。

経塚についてのお話をまとめると、

かつての何度かの火災で寺宝や経典などは焼けてしまい、船岡時代の記録もあまり残っていない。経塚があったという話は聞いたことがあるが、その経塚が潮音院とともに現地に移って来たという話は聞かない。

ということでした。

そうですよね・・・。先ほど経塚についての出土品は香山神社の所有となっていると郷土資料館さんからご回答ありましたものね・・・。船岡にあった石仏と聞かなければいけなかったのに。もう一度時を見て訪問できればと思います・・・。

 

ちなみに『大飯郡誌』には、「舟丘地蔵堂」という物があったと書かれており、これも船岡から共にこの地へやって来た地蔵尊だそうです。ここからも船岡の遺構を見ることができます。

共同墓地に石仏

ちなみに本郷の経塚があったであろう付近に共同墓地があります。

その入口に石仏が何体か並んでいました。

共同墓地の石仏

実際郷土誌の写真で見た石仏もこんな感じの石仏だったので、一部かこれなんじゃないか?とも思い写真撮りました。

ただ、後に一滴文庫の学芸員の方に聞いたところ、

共同墓地に石仏が移された可能性は低い

とのことでした。

という事で違うみたいですが、形としてはこんな感じの石仏が経塚付近にあったという郷土史に載っていた石仏です。

聾山の古墳

さて気を取り直して、経塚以外にもこの船岡にはいくつか遺跡があったようです。

それがこの古墳。

聾山の頂に広さ凡そ六尺四方の凹字型なる所あり上部は悉く石を敷き詰めたり明治二十一年九月十六日三人の者これを掘ること四尺許りにして一口の剣と二面の鏡とを得たり剣は腐食せしが鏡は径二寸九分ありて幾分の光沢有裏面には尾長島と櫻花との彫刻ありて古色を帯びたり更に又径三寸高七寸余りの青銅の円筒を素焼きの土器に入れ其の素焼きの土器を倒にして浸水を防ぎあるを見出せりその青銅筒の中には二条の杉箸形のものと一塊の土のみありしという蓋し往古の貴人の墳墓なりしなるべし。
引用:『大飯郡誌』

これを見ると先ほどの郷土資料館さんの回答に当てはまる気がします。これ経塚の記述なのでは?

ですがここには「経塚」ではなく「古墳」とかかれているのですね。福井県埋蔵文化財地図でも先ほど見て行った経塚の場所が、この郷土史では古墳だという事です。

まさかここには古墳もあったのでしょうか。

さらに、「尾長島と櫻花との彫刻ありて」という文があります。まさか、ここから桜の名所にしようと思ったのか・・・?それとも、意識せず桜の名所となることが必然だったのか。

船岡(丸山公園)の桜

桜が咲き乱れる丸山公園の頂上は、現在は広い芝が敷き詰められ、謎のモニュメントと遊歩道で構成されています。

古墳を伝えるものは見た感じ無いですが、山の形をとどめている点、そこに気軽に訪れることができることは素晴らしいと思います。

船岡製塩遺跡

さらにこの船岡にはほかの遺跡もありました。それが製塩遺跡。

福井県埋蔵文化財遺跡地図にも書かれています。

船岡遺跡
時代:奈良・平安。
製塩跡として5群17基の敷石炉が見つかり、製塩土器も発見されているといいます。

この遺跡については、先ほど描いた通り、おおい町郷土史料館の横の広場に人の模型が何体かあり、製塩跡の様子が再現されています。そこにも説明板があります。

今も昔も変わらずに

こうして見てきたとおり、この船岡(丸山、聾山)は昔から重要な場所として扱われてきたのがわかります。

今は開発されてその遺構は無くなってしまいましたが、現在では新たに運動公園・図書館・郷土資料館となり、丘の上には多くの桜が植えられて周辺から見ても華やかに異彩を放っている場所となっています。

今も昔も人や文化の重要地としてあり続ける姿は、変わらずに受け継がれているのでした。

参考文献
『大飯郡誌』
『郷土誌大飯』
『大飯町誌』
福井県埋蔵文化財遺跡地図

情報提供
潮音院
おおい町郷土史料館
若州一滴文庫

基本情報

最寄り駅JR小浜線若狭本郷駅から徒歩8分
自動車小浜西ICから6分
駐車場公園周辺に何か所か駐車場があります

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