尾内の両墓制 ~土葬墓と石塔(浄眼寺)の関係【おおい町】

尾内土葬地

両墓制とは、土葬(又は遺骨の埋葬)を行う「埋め墓」と、石塔を建ててお参りする「参り墓」の2つの墓を持つ墓の形態を示す、民俗学の言葉です。

福井県おおい町尾内。
かつて、両墓制を行ってきた土地です。

ここは「埋め墓(サンマイ)」と「参り墓」が現存しています。

尾内

尾内。読み方は「おない」です。

尾内の海岸地帯の耕地は砂質壌土で、明治の中頃まではサトウキビの畑があり、尾内黒砂糖製造の原料を耕作していたそう。
その後、養蚕全盛期に桑園に
さらにその後、たばこ畑に
またさらにその後、事業者などの進出の地となったようです。
参考:『大飯町誌』

尾内の葬送

今回は、民俗文化・葬送文化という事でしっかりと裏を取ります。といっても、集落には人がいなかったので、後に『おおい町立郷土史料館』さんに問い合わせて教えていただきました

丁寧なご対応をしていただきました。ありがとうございます。

問い合わせで以下のことを教えていただきました。

  • 達山(舘山)の東側が尾内のサンマイで土葬の場所。
  • 40~50年前までは土葬。現在は火葬。
  • 尾内の大半の家は浄眼寺の檀家であることから、現在は火葬後、寺裏の墓地に遺骨を埋葬している(サンマイには入らない)。
  • 浄眼寺裏の石塔は、土葬の時から存在し、土葬を行った後のお参りのための石塔だった。
  • 土葬にはお骨が残る墓もあり、現在でも花を供えられる方もいる。
  • 土葬からお骨を浄眼寺裏の石塔に納める方もいる(改葬)。

これらを踏まえて、この記事では現地の様子を見ていきます。

※以下、墓地の写真あり。

尾内の両墓制の墓

埋め墓(土葬墓)

尾内の葬送

春。

尾内集落から東へ100m程の村はずれ。美しい桜が咲き誇っています。

ただ、ここは桜の名所ではありません。

尾内土葬地様子

尾内集落東の達山(又は舘山)山山麓。出っ張っている先端、ここが両墓制の「埋め墓」です。

尾内土葬地花立

整えられ草が刈られた土地。花立が立てられているだけで、それ以外の目印はありません

岐阜や滋賀など、他の地域の埋め墓は、木の墓標が立っていることが多いですが、この若狭の地はこのように花立だけだったり、自然の石が建てられているだけだったりすることが多いです。

昔は魔除けや獣除けにいろいろ装飾がなされているところもあったようです。

尾内土葬地棺台

中央やや下に見える石は、おそらく棺台です。

若狭に限らず、昔ながらのサンマイにはこういった棺台が必ずと言っていいほど存在します。

 

もっと深い話をしましょう。

『国立歴史民俗博物館研究報告書 若狭における葬送墓制の変転 金田久璋』の284ページには、昔の尾内のサンマイの写真が掲載されていました。その写真には、現在は無い小屋みたいなものと、その小屋に「善光寺」の名が書かれた歌が書かれています

同じく金田久璋書の『あどうがたり 若狭と越前の民俗世界』にその答えが書かれています。

身は茲(ここ)に心は信濃の善光寺
みちびき給へ弥陀の浄土に


このご詠歌はおおい町以西のミハカと呼ばれる埋葬地でよく見かける。霊屋(たまや)の板に墨書きされた文字は、やがて地中の死肉と共に朽ち果てるが、「身はここに」とは、いかにも土葬にふさわしい歌い出しではないか。「牛にひかれて善光寺参り」という俚諺のとおり、かつて善光寺は欣求浄土に他ならなかった。ひとがみまかると、死霊はすぐに善光寺へ詣でるといわれている。

引用:『あどうがたり 若狭と越前の民俗世界』

小屋みたいなものは、「霊屋」という埋葬地の小屋だったようです。現在では花立しかない土葬地に、当時はこの霊屋が多く存在していたのですね。

「身はここに~」について、土葬地特有の発想と言及されていますが、この「身はここに~」というのは、両墓制の観点からもうなづけることで、「身」と「魂」を別のものとして考える「両墓制」の考え方に合致します。死んだ後の「身」は、あくまで「屍骸」であり「抜け殻」。魂は「別にある」という考え方です。

熱くなっちゃいました。

 

尾内土葬地石仏花立

しかしながら、実際は『おおい町立郷土史料館』から教えていただいた通り、サンマイへお参りする人もいるので、わかってはいても「身」と「魂」完全に切り離して考えることは難しいのが実際の所です。
実際に現地は、まだ新しそうな花が立てられていたり、花立に木の葉が立てられていたりましたから。

 

尾内土葬地石塔

奥には五輪塔がありました。

何の五輪塔なのか。集落の豪商か、はたまたこの辺りで戦病死した武将の墓か。

参り墓(石塔墓)

さて、参り墓は尾内の浄眼寺裏にあるといいます。

尾内参り墓

こちらには六地蔵、その上に石塔墓があります。

現在は火葬後こちらに入っているようですね。土葬地からの改葬をされる方もいらっしゃるのだとか。

今でこそ、両墓制はなくなり火葬になりましたが、両墓制の埋め墓参り墓が現存しているというのは非常に価値のあることなのではないでしょうか。

情報提供・参考資料

情報提供:『おおい町立郷土史料館』

参考資料
『大飯町誌』
『国立歴史民俗博物館研究報告書 若狭における葬送墓制の変転 金田久璋』
『あどうがたり 若狭と越前の民俗世界』

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