福井県高浜町の若狭和田に安倍晴明ゆかりの石、晴明石という石があります。
安倍晴明が腰かけた石として語り継がれていますが、この石がどこにあるのかというと、現在個人宅の敷地にあります。なので今回許可を得て撮影掲載します。
場所は既に公表されていますが、家主が老体で且つ患ってらっしゃるようで、コンタクトが取りずらい状況にあることはここに記しておきます。
晴明石の伝説
清明石
清明石というのは、和田真乗寺東側の田淵家の庭先にある。むかし安倍晴明(天文博士)が廻国の時、この石に腰かけ、一休みしたので、この名がついた。昔から田淵家に火事に遭うときは、必ず雨が降る。それは雨の晴明石があるからだといわれている。
引用:『越前若狭の伝説』
晴明石
安倍晴明はわが国天文学、暦学の祖といわれた人で、平安中期の陰陽家であった。この人が全国を巡る旅に出かけたおりに和田村に立ち寄った。歩き疲れた晴明は、道路にあった石に腰かけて一服した。後で村人はその人が立派な学者であったことを知り、この石を「晴明石」と云い伝えるようになった。今は田渕家の玄関前に置かれている。
引用:『若狭和田郷土誌』
この伝説で安倍晴明は、一貫して「学者」であるという風に言われています。現代のように不思議な力を持った「陰陽師」ではなく、「学者」なのです。その部分が特に印象に残っています。数々の安倍晴明の不思議な伝説が全国にあり、また福井県にもありますが、ここではそういった「不思議な力を持った人」ではないのです。これが地域で伝えられる伝説の特徴なのか、それとも若狭という土御門家と関わりが深く多くの言い伝えが残り、人々が安倍家とは何かを知っていたからこその認識なのか、それとも若狭の伝説を残していった郷土史編さんの関係者が現実主義だったのか。いずれにしても、
安倍晴明を超能力者扱いしないこの感じが、なんとも新鮮で、面白く思います。
現地の様子
取材に関しては、2014年の観光マップに、この晴明石を掲載していた観光協会に連絡を取ろうと思いましたが、返答がなく、致し方なく何度か現地入りして取材を試みました。ただ、数回不発に終わっていましたが、今回やっとコンタクトをとることができたので、取り上げます。
お世話になった、和田公民館の方、田渕家の方に感謝申し上げます。
撮影も掲載も好きにしていって良いと、許可をいただいたのですが、明確な場所を書くことは避けます。伝説上ですでに書かれてはいますが…。
というわけで、和田公民館の方の案内のもと、晴明石を拝見しました。

茶色がかった石、そしてこの形。確かに、2014年の観光マップに掲載されていたものと一致しています。こちらが晴明石になります。

聞いた話によると、この石は元々、この家の蔵の礎石として使われていたのだそうです。それをもったいないということで、こうして庭石にしておかれたのだそう。
となると、晴明石の伝説はいつから発生したのかが気になるところですが、そのあたりは詳しくはわからないようです。おそらく今まで伝えられてきたこの石の歴史があるはずですが、消えゆく途中なのかもしれません。
伝わり続けるか
個人宅の庭石なので、説明版が出ているというわけでもありません。和田公民館の中で、ご存じの方がいらして、まだ伝説は生きているということは確認できましたが、これが後いつまで残るか。
安倍晴明が関わってくる重要な伝説。若狭は安倍晴明や土御門家の聖地でもあるので、こういった一つ一つの伝説が消えずに伝わり続けてほしいと思ったところであります。
参考文献
『越前若狭の伝説』著者杉原丈夫 出版1970
『若狭和田郷土誌』著者高浜町和田地区委員会 出版1992.12
協力
和田公民館
地元の方


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