和田の街中、昔の所要道の傍に昔から語り継がれてきた石碑があります。
その石碑の名を「はったい地蔵」といい、民話や習わしによってその石碑は今でも存在感を放っているのです。
今回、この変わった名前の由来や民話を実物を見ていきます。
どこにあるのか
福井県高浜町和田。ヤマザキYショップ和田店の前にあります。
国道ができる前はこの道が主要道で若狭街道です。
後に説明しますが、一番上の写真のお堂にある石仏の方ではなく、お堂前にある石仏の方が「はったい地蔵」なのです。
伝説
西の方から和田地区にはいた若狭街道沿いに、高さおよそ4尺(1.2m)の石碑がある。村人はそれを「はったい地蔵」という。そういわれるようになったのは、ある聞き違いから始まった。 参考:『若狭高浜むかしばなし』 |
一人の老婆と石碑の物語ですか。
こういった村に慕われる存在は一人はいるものなのでしょうね。
ちなみに『越前若狭の伝説』では、「応無所住而生甚心」とかかれてしまっています。『若狭和田郷土誌』では、「応無所住而生其心」です。
さて、そのはったい地蔵がこちらです。
すっごい古くからあるような風貌の石碑です。
「応無所住而生其心」もしっかり書いてあります。伝説通りの姿を見ると興奮します。
「享禄四捻辛」とは?
捻は年?享禄四年辛(かのと)。
その時建てられたのでしょうか?
伝説内では「いつのころからか街道沿いに石碑は立っており」としていますが、享禄四年(1531)に建てられたという事でしょうか。
裏を見てみると、「天保六乙来秋再建之」と書かれています。
再建されていたものなのですね。というか再建でもそんな昔ですか。そいうことはやはり表側に書いてあった年はこの石碑が最初に建てられた年なのでしょうか。
まあ、とにかくこれがはったい地蔵さんです。
習わしと民話で固められた地盤
最初は老婆の祈りから始まり、病の治癒の話、母の助け、そして習わし。
民話伝説と習わしで固まった地盤は、この道沿いに立ってあるだけとも見える石碑の存在を地域になくてはならない存在へと確立し、古い石碑のまま、この現代まで当時の空気を残し続けています。
花が手向けられているのを見るとこれからも伝え続けられるという安心感があります。
参考文献
『若狭高浜むかしばなし』
『越前若狭の伝説』
『若狭和田郷土誌』
基本情報(アクセス、最寄り駅)
最寄り駅、JR小浜線若狭和田駅から徒歩10分。
駐車場はありません。
近くに『ハローベーカリープリーズ』という和洋菓子・パン屋があります。この辺りに来たときはお勧めです。
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