小浜の名水「瀧の水」の言い伝え【小浜市】

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小浜市の後瀬山の麓に湧き出る清水。
その水は昔、遠い中国へ持って行っても、少しも味が変わらなかったそう。

福井県小浜市浅間後瀬山の麓にいくつかの社と、1つの清水がわき出ています。

この清水を「瀧の水」といい、小浜にある名水の一つです。

今回はその瀧の水についての言い伝えや歴史と現地の様子を紹介します。

どんな場所で、どこにある

瀧の水があるのは、小浜市市街地の西側。浅間という地区です。

丹後街道沿いに天満宮の鳥居があり、そこへ進んで小浜線の下をくぐって社があります。

瀧不動

この左の赤い屋根に瀧の水があります。常高寺の参道からも行けます。

(小浜線あたりに道しるべが立っています。)

滝の清水

屋根付きで水を汲めるようになっています。

瀧の水の碑由緒書きもありここが瀧の水だとわかります。
水が湧きだす岩は苔むしており、地域信仰の為か地蔵さんが何体も置かれ、素晴らしい景観で雰囲気あります。花も手向けられていて、地域の人から親しまれ大切にされていることがわかります。

見た感じ「滝」という印象はなく「清水」というような印象です。
『若狭遠敷郡誌』には「瀧の清水」と書かれています。

若狭上中の有名な観光地である「瓜割の滝」もそうでしたが、ぱっと見「清水」という印象の場所でも「滝」という名前で通っているところが多くあると思います。

ただ、今回の「瀧の水」はどちらかというと「○○の滝」ではなく「○○の水(清水)」の形になっているので、違和感はないと思います。

「瀧の水」の言い伝え

滝ノ水碑

清水の横には「瀧の水」と書かれた立派な石碑がありました。

では、この瀧の水がどれほどの物なのか。

ここに伝わる言い伝えを見ていきましょう。

 小浜には酒を造る家が50戸ほどあったそう。これらの酒屋は、後瀬山麓の天神近くの滝の清水で酒を造った。水質は清く、味も良い水だったので、酒造りの他お茶につかったり、近くの町屋数件の飲料水にもなっている。
 干ばつの時や梅雨時にも水の増減が無く、この清水の水源がどこにあるのか誰も知らない。
 天文八年(1539)京都天龍寺の策彦(さくげん)という僧が明(中国)へ渡る時、日本の土産品を数種類持って行った。その一つが滝の清水で造った若狭の酒だった。長旅の後明に渡り、その酒を飲んでみると少しも味が変わっていなかった。策彦はこれを称えて「酒の記」を書いたという。
 またここから名が広まり、手まり歌に「筆は三対、すずりは二対、水は若狭の滝の水」とうたわれた。

参考:『越前若狭の伝説』から『若狭郡県志』・『小浜のみなと』

古くから親しまれていた水だったようです。

ちなみに策彦とは、策彦周良のことだそうです。策彦のことはwiki情報程度しかわからないので、そちらを見てもらえばと思いますが、僧侶でありながら外交もやっていたらしく、伝説通り天文8年4月に明へ渡っているようです。いわゆる日明貿易(勘合貿易)の時らしいです。

そんな教科書にも出てくるような歴史上の中で、この若狭の「瀧の水」が持って行かれたということだと、かなり魅力的な場所に思えます。

 

また『若狭遠敷郡誌』には、

瀧の清水は一名龍瀧と名け・・・

と書かれています。「龍」という名までもついてしまうほどの名水だったのですね。

小浜瀧町と瀧の水

ではこの「瀧」の名について少し見ていきましょう。

ここ一帯は、「瀧天満宮」「瀧不動」などの神社名所があります。「瀧」とは「瀧の水」の固有の名前ではなかったようです。

実は今でこそこの地区は「浅間」という区名ですが、昔はいくつかの町に分かれていました。その1つに「瀧町」があったのです。

寛永17年の町名にもすでに「瀧町」は記されています。
明治7年の区割改正の時に瀧町は、石垣町今道町ノ内区と共に「浅間」という地区となりました。
参考:『若狭遠敷郡誌』

瀧町は小浜城下の一部として昔からあった町名のようです。

「瀧の水」以外にも、「瀧」とついた場所があるのはこの町名から来ているのでしょう。瀧の水とは直接的にはつながりはないということかな。

では、瀧の水もこの「瀧町」にあるから「瀧の水」という名前なのでしょうか。町名と清水の名前のどちらが先なのでしょう

『若狭遠敷郡誌』には、いくつか町名の由来が書かれていましたが、瀧町の由来は書かれていませんでした。しかし、『新わかさ探訪』という本にその由来について明言されていました。

後瀬山の山裾に「滝の水」と呼ばれる湧き水があり、これが「滝之町」の名前の由来です。

引用:『新わかさ探訪』

はっきりと言い切っています。

この「瀧の水」が先で、ここから「瀧町」と名付けられたようですね。

人々と瀧の水との近代における関係

滝の水

最後に、この瀧の水と地域の人々との関係について触れていきます。

『新わかさ探訪』には、この瀧の水について、近代の人々と瀧の水の関係に現地の方の話が掲載されていました。
詳しい内容は、この本を直接読んでもらった方が良いと思いますが、少し紹介します。

 昭和10年前後の話では、蔵人は天秤棒や荷車、リヤカーと木桶などで瀧の水と酒蔵を行き来していたようです。
 大正の話では蔵人と瀧天満宮に参り、「瀧の天神さんからお水を頂戴することに感謝し、よい酒ができるようにと祈願し、皆信仰心をもって酒造りをしていた」ということです。
 しかし、酒屋は酒蔵の近くに水源を確保できるようになり、この瀧の水も昭和初期以降は酒造りにつかわれなくなってきたようです。

瀧の水は、天神さんから水をいただくという認識だったのですね。

瀧天神

今は小浜線で天満宮と瀧の水は区切られていますが、この天満宮にお参りして瀧の水をいただいていたのでしょう。

先ほど、「瀧の町名が同じという理由だから、瀧の水と周辺の天満宮などは関係ないのかな」とも思いましたが、瀧天満宮は瀧の水と関係のあるものだったようです。

まちの人たちの生活の部分では、昭和40年の上水道が完成するまでは飲料、炊飯、洗濯の最後のすすぎの際に瀧の水を利用していたそうです。

この瀧の水はこうして小浜の町を支えてきた存在でした。

「伝説」と「町の生活」との両方を伝え続ける名水

小浜の山の麓に湧き出る名水。

それは単なる「伝説になるほどの美味い水、名水」というだけでなく、まちの人々にとって生活や商いの中心でした。

いくつもの地蔵さんと今でも手向けられ続ける花は、こうした生活の中心として町を支えたが故、地域の方から親しまれて大切にされているこその物なのでしょう。

そしてそれは「名水」という名として、今も多くの人々を支える水であり続けます。

参考文献:『越前若狭の伝説』『福井県の伝説』『若狭遠敷郡誌』『新わかさ探訪』

基本情報(アクセス、最寄り駅、駐車場)

最寄り駅は、JR小浜線小浜駅から徒歩15分

駐車場はありません。人魚浜駐車場からは徒歩11分

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