長源寺浦の河童伝説を尋ねて ~旧南川跡・小浜橋【小浜市】

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福井県小浜市に南川という川が流れています。
この川は、かつて街中の酒井という町名の町の側に流れていました。

そしてその酒井にある「長源寺」という寺があります。

今回この一帯に伝わる、河童の伝説を追っていき、南側の地理関係を見ていきます。

長源寺浦の河童伝説

まず今回メインのターゲットである、「長源寺浦の河童(がわら)」についての伝説を見ていきます。

 むかし長源寺浦から浅が瀬の間にかけ、水あびや洗いものに出て水死する者が、三年五年のうちにひとりはあった。水におぼれて死ぬのではなく、水の中へ引き込まれて死ぬようである。あがった死骸を見ると、肛門は破れているが、ほかに傷はなく、どの死体もみな同じである。治療しても助かる人はいない。
 俗にがわら(河童)のしわざといわれている。これは、いわゆるかめである。かめは元来人に死をほどこすことはないが、ここにいるかめは、どすを持っているらしい。
 ある人が川縁(かわべり)町を通ると、大きなかめが浮いて、むこう岸より泳いで、長源寺浦へ渡るのを見た。ここの水の深さは、計り知れないと言われ、正徳ごろより年々浅くなって、かめも住むところがなくなり、享保二十年(1735)大水で流されたのか、近年は水死する人が亡くなった。

引用:『越前若狭の伝説』

「かっぱ」ではなく、「がわら」なのですね。「かめ」とは言っていますが、まあ性質見る限り「かっぱ」ですよね。地方によって呼び名が変わるのはよくあることなので、珍しい事ではないですが。

長源寺

長源寺の門です。小浜を歩いていると、この立派な門を見かけることもあるかと思います。中央公園の前にあります。
長源寺浦というからには、この辺りまで海が来ていたという事でしょうか。

それに加えて、「川縁町」というのが出てきましたね。この川縁という地名は、現在交差点として残っています

杉田石材店、中日新聞(日刊県民福井)のある交差点が「川縁交差点」です。長源寺はそこから南に150mなのですぐそこなのですね。

そして、この沿いが昔の川跡であり、浦跡なのです。

旧南川跡と小浜漁港の今昔(空撮)

空撮を見ていきましょう。まず現在(とはいっても2013年)の空撮です。

2013空撮小浜
出典:国土地理院撮影の空中写真(2013年撮影)を加工して作成

川跡を水色でなぞってみました。これが旧南川の流れです。長源寺浦はその横に位置。現在の中央公園はまさに旧南川、長源寺浦の埋め立て地にあるということです。
グーグルマップでもいいので空撮を見てみると、今の港から中央公園まで心なしか川跡の地形が残っているように見えます。長源寺前の道路がカーブしているのがその川に沿った道だという事なのでしょう。

では、昔の空撮を参考に見ていくとします。

1947空撮小浜
出典:国土地理院撮影の空中写真(1947年撮影)を加工して作成

さて、はっきりと見えます。
長源寺の前まで海が繋がっているのがわかりますね。ちょうど長源寺前で途切れています。

これが先ほどの青線でなぞった、昔南川が流れていたところらしいのです。今の南川は小浜城の横を通って海に流れていますが、昔は蛇行していたらしいですね。上の1947年の空撮を見ると、現在の第二中学校や市民体育館の辺りには、旧南川の名残と思われる大きな水溜りが確認できます。

何にせよ昔は長源寺は川沿いの寺だったようです。長源寺浦というのがあったのもこれで納得です。ここに例の「がわら」がいたという事ですね。

1975空撮小浜
出典:国土地理院撮影の空中写真(1975年撮影)を加工して作成

時代は流れ、1975年。かなり埋め立てられました。長源寺も完全な陸地になっています。これでもう長源寺浦が消えました。

それでもまだ、今よりは港が長かったようですね。現在の商工会議所辺りまでは港だったようです。

さて、これだけ川跡を見てきたので、何かその名残のようなものを探してみたいと思います。

三の堀公園

三の堀公園

と言っても「川跡」なんて碑はないわけですが、それを象徴するかのように昔の小浜湊についての碑が現地にはあるのです。それが、むかし「小浜橋」があった場所の「三の堀公園」です。

石碑

三の堀公園碑

てっぺんに船の模型が鉄か石で造られ置かれています。

そしてその下に記念碑があり絵付きで説明がなされています。

三の堀公園碑板

そして小浜橋の様子もありました。跳開橋だったのですね。すごいな・・・。

この橋が架かれているという事は、この南川跡、長源寺浦があったときの様子というわけです。と言ってもおそらく商工会議所前までくらいの時の様子ですかね。

小浜橋跡と親柱

そしてさらにこの三の堀公園には価値のあるものがあります。

小浜橋

まさかの小浜橋の親柱か公園の入口の門となって残っているのです。本物ですよねこれ。おそらく当時の物だと思うのですが。

「小浜橋」の板がついています。

小浜橋親柱

上はこんな感じ。これは当時の物だと思いたいです。

小浜港跡

逆の親柱には「小浜漁港」の板がついています。本物だと信じて。

なににしても当時の地形がわかるような碑や遺構を残してくれているというのは素晴らしいですね。

現在の川の名残

さて、実際の川跡を見てみましょう。

現在の小浜港

現在の小浜漁港末端です。

湧き水で有名な雲城水があるところです。

?しかしこの流れの通りに行くと、あの湧き水って川跡の上にありますよね?それとも川があったときはもっと漁港の幅が狭かった?と思って先ほどの空撮を見てみるけどそんなことはない。むしろ昔の方が若干広くも見える。

これっていったい・・・?

 

まあ、あんまり触れてはいけない気がしたので先に行きましょう。

長源寺浦

長源寺の門が奥に見えます。

長源寺前のカーブです。実は今でもこの道沿いには暗渠の川があるのですね。もちろん南川の水ではないでしょうが、こうして今も川の流れになっているというのは面白いものです。

メジャーな伝説

さて今回は小浜に伝わる「河童(がわら)」の伝説を見てきました。

むしろ旧南川、長源寺浦跡の調査がメインになってしまったようにも思えますが・・・。

しかしこの2つは切り離せない関係にあると思います。旧南川、長源寺浦があってこその河童伝説。実際はこの蛇行した川のため、流れや淵へはまって起きた水害を物語る伝説なのかもしれません。尻が破れているというのは謎ですが。

実は小浜にはもう一つ「河童伝説」があります。

「お倉出口の彦左衛門、雑魚(ざこ)と命をかえられた。」
「お倉出口の彦左衛門、河童の淵へ雑魚釣りに、雑魚で河童につうられた」
こんな歌が流行った時代があるという。むかし、河童淵というところで釣りをして大魚を成していた彦左衛門という男がいた。ただこの河童淵で釣りをするのは危険だと周りから言われていた。彦左衛門はそんな忠告を無視してここで釣りをした。ある日、彦左衛門の釣り竿に大物がかかった。しかし釣り上げることができず、竿ごと淵に引きずり込まれた。河童に引きずり込まれたのだった。
参考:『福井県の伝説』

この河童淵の河童が長源寺浦の河童(がわら)と関係があるかはわかりませんし、この河童淵もどこなのかわかりません。

しかしそんな河童伝説たちが、小浜の街中にあるというのは歴史も伝説も続いている、おもしろい町という事です。

参考資料:
『越前若狭の伝説』
『福井県の伝説』
国土地理院

アクセス(駐車場、最寄り駅)

最寄り駅は、JR小浜線小浜駅から徒歩11分。

駐車場は、人魚浜駐車場。

マップへ(地図は三の堀公園)

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