細野脇谷にある溜池の祠と白蛇の言い伝え【越前町】

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越前町細野の集落の中には、古くより大きな溜池がありました。
その溜池にはある伝説が伝わっており、現在もその伝説を伝える祠が残っています。

どこにあるのか、どんな場所か

福井県越前町(織田町旧萩野村)細野の脇谷という地区に今回の目的の場所があります。

脇谷溜池

細野は越前二ノ宮剱神社のある織田の町の北にあります。

県道3号線から東の山の方の集落に脇谷があり、その中に池があります。

近くには公園があったり、店があったり、池の東西北には道もあって周りを歩くこともでき、秋には近くの銀杏の木が色づき、春には桜の花も咲き季節感も増す中、ここの溜池の風景を楽しむことができます。

この山の谷の集落の中にこれほどの大きな溜池が残されているのも素晴らしいことです。

そして、その溜池の中に1つ島があり、そこに祠があるといいます。

細野脇谷の溜池の伝説

では、まずこの地に伝わる伝説を見ていきましょう。

 昔はこの辺一帯に茅(かや)が密生していて、その中に深い溜池があった。夏の旱が続いて田の水が無くなるとこの池の水をおとして灌漑してきた。
 ある年の旱のときにこの溜池にいくと、大きな白蛇が出てきて水をおとせなかった。それから数日後、一人の男が脇谷近くの桜谷へ来て、この辺に溜池があるか聞いてきたので、村人がこの溜池の事を教えると、男は「ああ、やっぱりそうであったか」と大層悲しそうにうなだれた。村人は何があったのか聞いた。
 この男の家には娘がいた。一週間ほど前、その娘が書置きをして家を出た。そこには「丹生郡の萩野村に大きな溜池があるからそこに入って死ぬ」ということが書いてあったので、家の人は驚いて調べに来たのだった。
 村人が先日から溜池に行った時白蛇が出てきて目的を達することができなかったが、あの白蛇はこの娘と関係するに違いないと、村中総出で溜池を探すと、娘の遺体が浮いているのが見つかった。娘は白蛇となって脇谷の主となったのだった。村人はこの娘を憐れんで祠を建てて白蛇を祀った。
 ”娘は足羽郡木田村堀江甚兵衛の娘であって、今も木田村にはその娘の家があるとか。”(引用)

参考:『福井県の伝説』一部引用

身投げの伝説でした。

そして、白蛇と変わりこの池の主となったのですね。

水への身投げは蛇となるというのは、結構どこでも共通する話のようです。

そして蛇となった女性は俗に「竜女」と呼ばれますが、先日の龍泉寺のように女人救済、竜女救済の対象となります。

今回も救済という道なのかとも思いましたが、この伝説では僧侶は出てこず、祠を建てることで供養したようです。それとも、他の地域の伝説にここの竜女が出てくる可能性もありますね。目を光らせておくとしましょう。

 

それで、ここの伝説の魅力は、この伝説を現地で肉眼で確認できるところにあります。

現地の様子から「伝説を見る」ことができる

溜池と島の様子

脇谷溜池の島

この池に身投げしたということですね。

冒頭でも見た通りかなり広いです。

こういった大きな池で亡くなったという人は、死後蛇体となって主になるという伝説はよくある話なのでしょうか。敦賀の猪ヶ池もその池で亡くなった人が大蛇となったという一説の伝説があります。

他にもこういった伝説の伝わるところがありそうですね。

 

さて、ここ細野の溜池は水生植物で埋め尽くされています。

で、その細野脇谷の大きな溜池の中に東の方に少し陸地が突き出た島のようなものがあります。
赤い鳥居も見えます。

脇谷溜池鳥居

正面に立ってみると、立派な赤鳥居があり、道も整備されていました。

池の中にある島へ続くこの雰囲気は、何とも特別な土地だということを実感させます。

脇谷溜池八幡

先へ進んでいくと一段と広くなり、松やいろいろな木が植えてあり、ベンチもあるような所で、意外とこの町の憩いの場となっているのかなという印象です。

まあ、池があるのであぶないかもしれませんが、ゆったりできる場所ではあるのでしょう。

そしてこの広場の一番奥真ん中に例の祠があります。

伝説を伝える祠

脇谷溜池祠

「八」と書かれています。八幡神なのでしょうか。

しかし、間違いなくこの祠です。なぜ断言できるのか。

それは、祠の横に彫られている文字を見ればわかります。

脇谷溜池祠の文字

これが、「伝説を現地で肉眼で確認できる」という理由です。

一番右の施主には、「山奥村 堀江甚兵衛」の文字があるのです。

伝説に出てきた、娘を亡くした男の名前です。
「山奥村」とは、現在の福井市西木田の足羽山の麓あたりの地名でした。つまり木田村の中にある村の名前です。

そのまま言い伝えの通りです。

『越前若狭の伝説』にはここに書かれている文字について説明とこの溜池についての説明がありました。

 溜池は1,5ヘクタール。昭和8年頃遊園地として発足。昭和24年に開拓地として発展し、果実や製茶などの家が15戸あり、県下の模範開拓地となった。
 池の中央に1つの島があり、樹木の下に小さな石祠がある。中は空で、中央石壁に

弁財天女八幡大菩薩

と刻んであり、うしろには、

延享四丁卯歳(1747)八月十五日
施主山奥村堀江甚兵衛
木田町油屋喜兵衛
城橋町道具屋曽兵衛

と刻んである。

参考:『越前若狭の伝説』

弁財天女と八幡大菩薩ってどんなかかわりがあるんでしょうか。ここが私の疎い所。

そして、この刻まれている文字から伝説と合致する点やわかった点があります。

この入水事件が起こったのは1747年頃ということ。年代まで割り出せてしまうとは・・・。
しかも8月15日と書かれています。伝説で「ある年の旱の時…」と書かれているので、夏であることも一致しますね。

ほかの「油屋」「道具屋」の人たちはどんな関係だったのでしょう。商売仲間だったのでしょうか。

『福井市史』など見ましたが、特にこれらの名前は見つからず。木田村の郷土史などあれば何かわかるかもしれませんね。
ただ、この「堀江」という家は、現在の西木田(旧山奥)に5件の家があるようです。堀江家は名家だったのでしょうか。

なににしても、ここまで伝説通りの遺物が残っているとは驚きです。

伝説を実物として伝えてきた

町中から離れた細野脇谷村の溜池。

ここには、かつての伝説をそのまま実物として残し伝え続けてきた場所がありました。

憐れな娘の供養のためということもあると思いますが、ここまで完璧に現在もその祠や土地、刻まれた文字など、多くの遺産を残してきてくれた地域の方や町には敬意を表します。

今後もこの土地が続いていき、この伝説の遺産が残っていくことを願います。

参考:『福井県の伝説』『越前若狭の伝説』

基本情報(アクセス、最寄り駅バス停、駐車場)

最寄り駅バス停は、福井駅から京福バス清水グリーンライン(織田)線へ乗り換え1時間5分脇谷口バス停で下車、徒歩9分

自動車では、鯖江ICから車で24分

駐車場はありませんが、溜池の周りの公園の横に広い場所があったり、池の近くに地区の会館があったりするのでそちらに停めると良いと思います。

マップへ


県道3号線の西の方には「せいがい地蔵」という霊験あらたかなお堂もあります。

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