蟬丸の池の伝説 ~蝉丸の舟と雨乞いの祠【越前町宮崎地区】

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福井県越前町旧宮崎村の舟場地区に蝉丸の池があります。

蝉丸の墓が同じ宮崎にあるなどいろいろと縁があるこの地域に伝わる蝉丸伝説の一つ、蝉丸の池の話を見ていき、池の場所と現在の様子を紹介します。

どこにあるのか

蝉丸の池

舟場バス停のある集落から南の山の方へ田んぼの道を進んで入っていくと小さな村が形成されています。開拓地だそうです。

この開拓地に入る前にちょっとした杉林があるのですが、その右手に「蝉丸ノ池」の石碑が立っており、説明板もあります。

行けはその説明板の前の道を進むとすぐに現れます。

蝉丸の池への道

少々草が茂っている道で結構湿っているので躊躇うかもしれません。

蝉丸の池伝説

 昔、蝉丸が船に乗ってここまでやって来た。舟場というのはここから起こったのだろう。辺りは湖だったのかもしれない。船が着くと舟をここに沈めて、櫂を投げた。櫂が落ちたところを八田では開谷という。
参考:『ふるさと探訪宮崎村 こどものむかしばなし』

舟場区に伝わる伝説では、北陸平定の道中大彦命が敦賀から載ってこの池を漂着したクスノキ製丸木舟の木片が今も池に沈んでいるという。乗ってきたのは継体天皇との説もある。また平安時代の琵琶の名手の蝉丸が船で流れ着いたともいわれる。
参考:現地説明板

◎東に池あり水底に往昔帝の召されたる舟の由九尺二間許の舟の端少し見ゆる由来不知
○素良按するに舟津社説に大彦命北伐の時敦賀より舟に乗り此処に漂着し玉うその頃まではこの辺りへ入海などにて有りしにやといへり
引用:『越前国名蹟考 巻之3-4』

このように蝉丸の池には様々な伝説があります。

様々な伝説というか、舟が漂着したとか船が沈んでいるという点では同じなのですが、人物や時代がバラバラなのですね。

蝉丸の池

見てみると結構小さな池です。

しかしながらその環境はなんとも原風景ともいえる。

様々な草木、竹の生える中に水が溜まっています。たしかに何か言い伝えが伝わりそうな雰囲気です。この中に舟の欠片が沈んでいるというのです。

 

さて、福井平野はかつて湖だったという伝説は、当サイトでも何回か紹介してきました。特に継体天皇の伝説です。

ただし、蝉丸の平安時代だとさすがにもう湖は全くない時代です。蝉丸が舟だけでこの場所に漂着することはあり得ないでしょう。

また、継体天皇などの古墳時代でも、この池のある場所は平野ではなく結構山奥で、標高は130mくらいの場所です。舟場村も120~110mくらいです。ここまで海だったのかは疑問です。

大彦命の時代になると、さすがに検討もつきませんが…。

同じ宮崎村の江波は平野の湖とは別に、また湖だったといいます。竜典長者の伝説で池だった時の伝説が伝わっています。これも継体天皇の時代の伝説です。

こうしてみると確かに、そこら中が水の底だったことが分かりますが、敦賀から舟に乗ってここに漂着するというのはなかなか考えずらい気がします。

ただこの「舟」について、SNSで歴史と宮崎地区に詳しい方にご教示いただいた際には、

「修羅」と言う大型ソリのことなのだろうか

ということをおっしゃっていたので、なるほどそれならこの山奥でもあり得ると思いました。

 

鯖江の伝説では、三里山の「打波岩」の伝説で、海の波が打っていた岩ということで、相当高い位置にその岩があります。
ただ他福井県を紹介しているサイトの「不死鳥の如く蘇る越前国 鯖江市 三里山 波打岩 伝承を検証する(第3話)」をみてみると、今の波打岩はかつての絶壁の上の方しか見えていないだけで本当は下まであったのではないかとする説もあります。

いずれにしても福井が水浸しだったことを表す伝説であり、大昔のことを伝える伝説であることに違いはない場所です。

 

加えて、『宮崎村誌』によると、蝉丸は延喜帝の第四皇子にあたるといい、「帝」とは切り離せない人物。帝という共通点で、時代背景をあわせようとこれだけいくつもの人物と時代の話にブレてしまったのかもしれません。

蝉丸の池へ降りる

階段があるので下にも行けます。

冒頭でも書いた通り蝉丸の墓があるので、同じ蝉丸伝説が宮崎に2つあるのはかなり価値のあることのように思えます。

 

雨乞い伝説

蝉丸の池と祠

 さて、雨が降らないと舟場ではこの池で雨乞いをする。村人が集まって池の周りの草を刈り取りきれいにして、神様にお供えや御神酒を飾る。そして池の水を換える。水が少なくなってくると池の底に沈む舟の楠の木の板が現れる。その木の板を起こしてきれいに洗い再び沈める。その後皆が神へお祈りをする。酒盛りをして待っているうちに雨が降るという。
 最後に雨乞いをしたのは今から二十年程だったという。
参考:『ふるさと探訪宮崎村 こどものむかしばなし』

『ふるさと探訪宮崎村 こどものむかしばなし』の発刊が1989年ということで、最後の雨乞いがその20年ほど前ということなので、そんなに昔の話ではないようです。

 

現地に祠がありました。これが雨乞いの神様なのでしょう。

蝉丸の池の祠

立派な祠です。

こうして池の畔に立ち、草木に覆われている祠はなにか昔話のような光景に思えます。

いいですね。

こうして雨乞いの伝説も大昔の伝説も感じ取れるのが蝉丸の池なのです。

参考文献
『ふるさと探訪宮崎村 こどものむかしばなし』
『越前国名蹟考 巻之3-4』
『宮崎村誌』
現地説明板

基本情報

最寄り駅北陸線武生駅からバス乗り換え舟場バス停下車徒歩5分
自動車武生IC22分
駐車場なし

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