弁天岩(夫婦岩)と猫崎~様々な書に登場する敦賀の名所【敦賀市】

当記事には広告(商品リンク、旅行予約リンクなど)を掲載しています。
※ステルスマーケティング防止のため

弁天岩二村

福井県敦賀市二村の海岸の弁天崎とも言われる所に2つの綱で結ばれた大岩があります。

弁天岩・夫婦岩といわれ、敦賀二見とも称されるほど様々な書や旅案内書でも取り上げられている巨岩の名所であります。

地理

弁天岩があるのは、敦賀半島の敦賀側根本付近で、頑張れば気比の松原からも歩いて行ける程度の距離にあります。県道33号線沿いから見えはしますが、駐車場などは無く、自動車で敦賀側から来るときにはあまり見ることはできそうにない感じです。

弁天岩二村

一番近くてこの角度が限界です。

北側から敦賀の海岸を見渡す位置に立つとこの弁天岩も全容が見えやすいです。少し遠くはなりますが。

由緒

弁天岩について

注連縄で結ばれた夫婦岩に弁才天を祀り、その姿が伊勢の二見に似ていることから敦賀二見と呼ばれ、昭和初期ごろの絵葉書の題材によく使われていた。二つの岩の間は、5mほど離れている。また、南無阿弥陀仏の名号が、大きい岩の海に面した方に書かれている。
引用:『みなと・つるが・いまむかし』

ということで、どうやらこれは漁師や海運などの安全を願った信仰物でもあるようです。

こちら側からそれらが見えないのが残念ですが、この景勝は良いものです。

大正から昭和初期の記述

この弁天岩について、新しい資料や名所案内にはほとんど書かれておらず、ようやく『みなと・つるが・いまむかし』で見つけられただけで、そんなに有名じゃないのか?とも思いましたが、昔の資料にはいくつも載っていたので、それらをいくつか引用しようと思います。

此の区の南方僅かにて辨天崎があり、此の崎の海中に大小二つの巖頭がある。俗にこれを雄島・雌島と称へ、或は辨天岩とも云う。これ雄島には辨財天を祀るが故である。此の辺は海湾遠望を背景として、天然の美に恵まれた山水の風光は實に絶佳と云うべく。敦賀名所の一に数えられている。
引用:『敦賀郡神社誌』昭和8年

辨天岩
名称 辨天岩
所在地 敦賀郡松原村二村区
所有者 区有
形状大小現状
海岸近く海中に二岩露出す、略南北に並ぶ、南方のもの大にして雄島と云う、高さ三丈余略円錐形をなす、頂上に高さ三尺余幅三尺横二尺の石堂あり、辨才天を祀る、北方のもの小にして高さ二丈計あり
大小二岩共に花崗岩より成り兩(両)岩に注連を張り宛然二見ヶ浦の如し
引用:『史蹟名勝天然紀念物調査報告 第1号』大正13年

辨天崎に雄島雌島の二小島あり、雄島に辨才天を祀る。
引用:『敦賀郡誌』

二村浦
海岸に沿いて両嶋有り。雄嶋・雌嶋と云う。両嶋の間に小艇を刺す。尤も好し。雄嶋の上に小祠有り。弁才天を祀れり。此の浦は只二軒建てり。
引用:『敦賀志』

このように結構な名所として書かれていることが多いです。

今では自動車がメインの交通手段となり、駐車場もないので通り過ぎるだけになってしまったのが、この弁天岩の名があまり表に出なくなってしまった要因でしょうか。

それにしても岩の上に祠があるらしいですね。南が雄岩なので陸側なのですが、残念ながら草木枝が茂り、しかも猫崎(弁天崎)の崎の方へはいけないので、雄岩がよく見えないのです。

弁天岩二村

と思ったら・・・、あー、あります、確かに祠がありますね。わかるでしょうか。頂上にあるのが。

見られてよかった。

双眼鏡を持って行って見てみるのも良いかもしれません。

追記「敦賀市街地にあった」

SNSでとある方から、敦賀市街地に弁天岩をよく見ることのできる場所があるとの情報をご教示いただけましたので、それを見に行きました。

増井弘海堂

こちらです。増井弘海堂さん。のシャッター。

増井弘海堂

これは、はっきりと祠が見えますね。素晴らしいです。

しかも謎のモニュメント(灯台的なもの?)もあります。こんな感じになっているのですね。

こんな町中で見られるとは、灯台下暗しですか。

教えてくださった方には本当に感謝申し上げます。

旅行案内書や教材にも書かれる

郷土史以外でもかなりいろんなところで取り上げられていました。

  • 『茨城ゆかりの史蹟探訪 続編』1971年には、名所の地図にて記載あり。
  • 『新旅行案内 第10 (北陸・高山)』1955年には、敦賀市観光案内地図上に記載あり。
  • 『知られざる北陸路』に記述あり。

『知られざる北陸路』には

二村海岸猫崎にある弁天岩、敦賀二見を過ぎると素朴な舟小屋、漁村風景が続く。
引用:『知られざる北陸路』

とある。

また、高浜虚子著書『虚子俳話 続』には、「気比の松原にてカモシカを見て、市長夫人と史斗夫人が来て挨拶をした」という話の次にこのような記述がある。

両夫人も同乗、更に敦賀湾を抱いている西浦に車を駆る。
辨天岩で下車。伊勢の二見ヶ浦に似た巖があって注連がかかっている。
二村という村を過ぎる。其処は三世帯で人口十五人の村である。山の麓に稲田が少しばかりある。
二村は刈田二枚に三世帯 虚子
引用:『虚子俳話 続』

松尾芭蕉がこの先の色浜へ行ったという縁で、俳人高浜虚子がここへ来たようです。その時の旅の記録が記されたものに載っているんですね。

こうして昔は敦賀の観光名所としてはそれなりに有名だった場所のようです。

ただし、過去のものであるというとそうでもなく、大正昭和初期の文献に書かれている「二つの岩」と「注連縄」のそのままの風景が今も残り見ることが出来ているのです。それは非常に価値のあることではないでしょうか。

猫崎はどこ?

さて先ほど『知られざる北陸路』に
「二村海岸猫崎にある弁天岩、敦賀二見を過ぎると~」
と書かれていました。弁天崎の別名が猫崎なのか?という事になりますが、他の書を見るとどうやら弁天崎が猫崎だという事でもないらしいのです。

『虚子俳話 続』には、縄間を過ぎた後に

猫崎という半島が海中に突き出ている。それは猫の蹲ってをる形に似てをる。白い道のついてをるのが猫の頸輪に見える。その半島を横切るとやがて色ヶ濱が見えて来る。
引用:『虚子俳話 続』

とかいてあるので、これを見るに『虚子俳話 続』では猫崎は沓の半島のことを言っています

しかしあそこには「鷲崎トンネル」というトンネルがありますし、『知られざる北陸路』にも

常宮からカモシカの住む西方が岳を左に見て山路へ入ると鷲崎無線中継所となる。
引用:『知られざる北陸路』

と書いてあるので、この沓の崎の名は「鷲崎」で間違いないでしょう。

他には、名子崎を猫崎と言っているところもありますが、出典は不明。(ネット情報)

ということはやはり、弁天崎が猫崎なのでしょうか

 

他、『敦賀市立博物館 収蔵品データベース』にある「絵葉書」には、
「弁天岩は二村海岸にあり敦賀二見といわれる夫婦岩に弁財天を祀る。猫崎は常宮湾に突出した岬でその形が猫に似ている。 猫崎と名付けしことよ秋の海 立子」
等と書いてあり、写真を見るにやはり鷲崎が猫崎かのように写されています

 

真っ事謎。

調べれば調べるほど謎な景勝地

思ったよりも郷土誌を調べてしまいましたが、調べれば調べるほど矛盾する景勝地でした。

きっと答えは単純なのでしょうが、まあ、そんな謎も良いものでしょう。

何にせよ弁天岩は純粋に楽しめます。猫崎はよくわからないので、人それぞれに猫崎がいるのです。

参考文献
『みなと・つるが・いまむかし』
『敦賀郡神社誌』
『敦賀郡誌』
『敦賀志』
『史蹟名勝天然紀念物調査報告 第1号』
『茨城ゆかりの史蹟探訪 続編』
『新旅行案内 第10 (北陸・高山)』
『虚子俳話 続』
『知られざる北陸路』
『敦賀市立博物館 収蔵品データベース』

基本情報

最寄り駅北陸本線敦賀駅からバスに乗り換え二村バス停で下車すぐ
または松葉町バス停下車から徒歩28分
自動車敦賀ICから12分
駐車場なし
  • コメントはメール返信ができませんので、該当ページ上での返信となります。
  • コメントは審査をしますので、反映・返信までに数日かかる場合があります。(1週間経っても反映・返信されない場合はサイト運営者に何かあったと思ってください)

コメント