久豆彌神社の由緒と御祭神~沓見の女神【敦賀市】

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福井県敦賀市の沓見にある久豆彌神社。その漢字、読み方もさることながら、境内の見どころも多い。

横穴らしき物があり、歴史の古い沓見の神としての面がかなり強い。

信露貴彦神社との関係と沓見を知る上での重要な神社を見ていく。

御祭神・由緒

祭神:木花開夜姫命、邇邇芸命、大山祇命
創立不詳。延喜式神名帳に「久豆彌神社」とある。戦前は「沓見大明神」「山王権現」「十禅師権現」と呼ばれ、神仏混淆の時は両方の「山王十禅師権現」とも呼んでいた。現在も十禅寺社が境内社にある。かつて社家は十禅寺と称えはじめ神通院末の支配だったが、後に粟田青蓮院宮の支配となる。久豆彌神社の「彌」を「美」として女神(女宮、おなごみや)としている。信露貴彦神社は「彦」として男宮としている。

近くにある久豆彌神社と信露貴彦神社が夫婦神という事。

この久豆彌神社の場所は西の山の麓で「宮ノ下」という土地です。

久豆彌神社

石段を巻き込まんばかりの大木。この十段の石段は『敦賀郡神社誌』によると、

この石階は天明七年に設けられたことが刻んである

と書かれています。天明七年(1787)200年以上前の石段を踏みしめます。

久豆彌神社

拝殿が神楽殿のようになっている様式です。明治時代に多い様式らしいです。

奥の階段の向こうが本殿。

久豆彌神社

建物に囲まれた中にさらに社があります。歴史の古い社です。

古い伝承

古い伝承によると、女宮として木花開夜姫命が元々祀られていた場所はこの宮ノ下ではなく、東の「父花(手々花)」という現在の木崎山麓の庚申堂南付近にあったとされています。

この神社を深く掘り下げると、崇神天皇の時代までさかのぼると言われます。

蘇那曷叱知(都怒我阿羅斯等)が日本に渡来した際、敦賀の白木に着き、笥飯宮(現在の氣比神宮の場所)に滞在した。都怒我阿羅斯等が亡くなった後、従者たちはそれぞれ敦賀半島の白木と木崎出鼻(沓見)へ散っていった。その後、沓見に二つの氏神が祀られた。それが瓊瓊杵尊と木花開耶姫。瓊瓊杵尊は白木大明神として祀られた。

ということは木花開耶姫は沓見の神として祀られたのでしょう。

『沓見誌』には移動してきた理由について、

奈良時代(天平)聖武天皇が奈良に大仏を建立された際食糧が不足したので新天地を求められ、敦賀の沓見になら荘園を作ることになった折、手々花の女宮が田になるため、久津見神社に合祀された。
引用:『沓見誌』

このように書かれています。

久津見神社の元の祭神は大山祇命であるとされ、そこに親子関係の木花開夜姫命を合祀することになったという事らしいです。

信露貴彦神社と久豆彌神社の両社の祭神は夫婦なので、年に一回会うことになっており昔は海だったというので舟で会っていたのだそうです。その祭りは今も続いている(復活した)とのことです。

神社の名前と沓見

この地区は「沓見(くつみ)」という大きな土地です。その沓見の象徴ともいえるのがこの久豆彌神社ともうひとつの信露貴彦神社です。

『御大典記念福井県神社誌』によると久豆彌神社の読み方は「くずみじんじゃ」と書かれています。しかし、『敦賀郡神社誌』には「くつみじんじゃ」と読むとしています。
『延喜式神名帳』には、「久豆弥神社」と載っており、読み方は「くつみのじんじゃ」
『気比宮社記』には「久豆美神社」と載っている。

集落の沓見という名前とはやはり関係はあるようです。

先ほど、父花(木崎山)麓に鎮座していたという話がありましたが、その時代に十禅寺の「大山津見(オオヤマツミ)」「津見」竹生島の「久比奢母智(くひざもち)」「久」を取って「久津見」となったとも。
他には、神社前に八幡神の乗っていた神馬の沓が見つかったので「沓見」になったとも。

様々な伝説があるようです。

いずれにしても久豆彌神社と沓見は深い関わりがあるのがわかります。

特殊神事「田打ノ式・田植式」「お会い祭り」

久豆彌神社と信露貴彦神社の関係が深いことは見てきた通りですが、それは特殊神事においても見ることができます。

特殊神事「沓見御田植祭(田打ノ式・田植式)」は両社合同で行う神事になっており、久豆彌神社と信露貴彦神社それぞれで両社の芸が1回ずつ(合わせて二回)行われ、その特殊神事の最後を締めくくるのが久豆彌神社の女宮の御幣と信露貴彦神社の男宮の御幣が馬場先で出会う。これが「古い伝承」項の最後に記した「夫婦が年に一回会う」行事の名残である「お会い祭り」とされています。

ちなみに馬場先の位置はちょっとわからないのですが、『沓見誌』と『敦賀郡神社誌』を見ると、どうやら久豆彌神社前の丁字交差点から正面に延びている社標のある小さな道付近のことのようです。

久豆彌神社

向こうの杜が神社です。

さらにこの祭りの「やーほはいや」と称える際の太鼓の音を「テイツクツク」というそうで、これは昔父花(手々花)に久豆彌神社があったころ、男宮の衆が女宮に着く意を表しているといいます。

境内社

久豆彌神社境内社

手前が常宮神社(神功皇后)、奥が猿田彦神社(猿田命、天津国津神)

 

久豆彌神社境内社

左が神明社(天照皇大神)、右が十禅寺社(大山祇命)
十禅寺社は山王神道の余波によって創立したであろうとされる。神社啓蒙には十禅師瓊瓊杵尊とあるという。どちらにしても本宮にも祀られている。十禅寺は十禅師が正しいとされる。宝殿神社(大地主大神)当社をこの地へ遷宮する際に奉祀した神であると言われる。

 

久豆彌神社境内社

松岡社(倉稲魂命)

横穴

沓見の横穴?

境内の一角には恐ろしいくらいの横穴があります。なかなかおどろおどろしい。

沓見は横穴の宝庫です。八幡神社でも同じこと言ったような気がします。

この女宮の元の東の方にも馬坂横穴墓群という横穴群があり、場所によっては3連部屋、2連部屋を有する横穴もあるとされています。

境内

久豆彌神社奥の水

社殿の裏に水が流れていました。何とも意味深な配置です。でも由緒を見た感じ水に関するいわれがあるわけでもなさそうですし、よくわかりません。

また、『敦賀郡神社誌』によると松岡社のあたりに竹生島を模した庭園があるということです。これはいまいちわかりませんでした。

先ほどの「竹生島の「久比奢母智(くひざもち)」」の名を取ったといういわれが関係しているのですかね。滋賀県との関係も深い敦賀です。

古の敦賀

この沓見はまさに古(いにしえ)の土地です。

古代から中世、現代の歴史を感じられる土地。

観光化がされているわけではありませんが、好きな人にはかなりささる土地だと思います。

参考文献
『沓見誌』
『御大典記念福井県神社誌』
『敦賀郡神社誌』
『敦賀郡誌』
『福井県神社誌』

基本情報

最寄り駅敦賀駅からバスに乗り換え沓見で下車徒歩5分
自動車敦賀南ICから12分、敦賀ICから12分
駐車場なし

他、沓見の神社

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