福井県敦賀市常宮神社は気比神宮の奥宮であった歴史があります。しかしさらにその常宮の奥の院があるのです。
裏山に祠があり、今も祀ってある。どこにあるのか。その行き方の記録と宮司さんの話、高僧伝説を絡めて記録してゆきます。
どこにあるのか、その行き方
まず地上からは西方が岳登山と同じルートを辿っていきます。登山道は本格的なのでちゃんとした装備が必要です。
駐車場は常宮神社駐車場が使えます。そこからおよそ15分程度で奥の院展望所という岩場につきます。
15分といえどほぼ直線で登ってきているので結構上がっています。ここからの眺めも最高です。長めの方は、次回の西方が岳・栄螺が岳の記事で掲載します。
今は奥の院を先決します。
この奥の院展望所。その名前もまさに奥の院を示しています。この展望所周辺にはこのような巨岩が連なっています。その中に奥の院があります。
様々な巨岩奇岩があり見ているのも楽しいです。ただ私は何処かわからなかったのでとりあえず登山道などを外れていろいろ探しましたが、結果、奥の院はここからもう少し登った先でした。
少し登ったところ、登山道の途中右側に鉄のハシゴがあります。
こんな感じで隠れた感じであります。ここから奥の院への道が分岐します。このハシゴの先です。
私の訪問時は12月手前だったので、冬よりの秋山登山でした。なのでまだマシですが、結構茂っています。おそらく夏などはなかなか厳しい道になっていることでしょう。岩も散乱しており、参道にも若い木が生え、覆いかぶさっています。道を見失わないように慎重に行きます。というかどこを行けば奥の院へ着くかわからないので、とにかく直感で道らしきところを進むのみです。
常宮神社宮司さんの話によると、一旦下る場所があるとのことです。
巨岩の間を下る道?があります。茂っています。蜘蛛の巣の残骸もあります。しかし行けそうな道のような場所はここしかなかったのでここを滑り降ります。
すると新しめの鉄の階段が現れます。道はあっていたようです。
この階段を登った先に奥の院の祠があります。
常宮神社奥の院
常宮神社奥の院。
その創建は不明なのだそうです。
ただし『敦賀志』にこんな一文があります。
磐窟ハ後の山八丁許上に在り。観世音を安置す。
引用:『敦賀志』
まさに岩の隙間に祠が置かれ、その前に仕切りの板と格子が設けられ、祭壇が設けられています。
賽銭箱らしきものが落ちてしまっておりますが、お供え物類はちゃんと台に載ったままで、結構見た目はきれいになっています。
地面は大粒の砂といった感じ。花崗岩の欠片でしょう。獣の糞や木の実などがあったので、ひょっとしたら獣たちの拠点となっているのかもしれません。
奥の院。常宮神社は神社なのに「奥の宮」ではなく「奥の院」なのです。お寺みたいな言い方ですよね。
そのあたり、宮司さんのお話や郷土資料の伝説を見てみると結構納得のいく結果になりました。
お次はそこを深堀していきます。
伝説・宮司さんのお話
実は、この常宮神社裏山にはこんな伝説が残っているのです。
からひつ岩
常宮の山に御具足からひつ岩という大石がある。ときおりこの石が泣くという。
また勤行(ごんぎょう)石というのがある。弘法大師・伝教大師・泰澄大師が行をした岩屋である。礼拝石、烏帽子(えぼし)石という大石もある。
引用:『越前若狭の伝説』から『寺社什物記』
名だたる高僧が修行したというのです。常宮は確かに神の地。ここに高僧が来ていても時代としてはおかしくないです。それに「岩屋」と。この奥の院はまさに「岩屋」と呼ぶにふさわしい様子ではないですか。
これに加えて、私が宮司さんからお話を伺ったところ、これまた繋がってくる内容のことをご教示いただけました。
今の宮司の家系のご先祖様は比叡山の僧兵だったと伝えられている。
織田信長の焼き打ちのときにここに逃げてきて、そこから常宮神社の宮司になったと言われる。
ということなのです。
伝教大師、つまりは最澄の比叡山。さらに泰澄大師も天台宗です。天台宗総本山の比叡山延暦寺が今の宮司家系の始まりだったというのです。
さらに加えて、先日常宮神社の記事でも紹介しましたが、この常宮神社。神仏習合時代の寺の管轄がありました。それがどこかというと、『敦賀郡神社誌』にこのようなことが書かれているのです。
(明治)四年三月、小浜藩より氣比宮摂社と定めらる。因て社司等、氣比宮は粟田青蓮院の配下にして、常宮は叡山配下たり、古来氣比宮の摂社たる事實なき旨を訴ふ。
引用:『敦賀郡誌』
つまり、
常宮は氣比神宮とは管轄の寺が代々別だったのだから常宮が氣比神宮の摂社であった歴史はない。
と訴えているわけです。その常宮の管轄の寺が叡山、つまり比叡山、延暦寺だったのです。
ここでも繋がってきました。
さらに加えて、『山々のルーツ』によると、
『東遊記』に云。
「常宮の後に高き山あり、おおよそ「京」の比叡山ばかりにも見ゆ」
引用:『山々のルーツ』
と書かれています。
その形さえも比叡山に似ているということなのです。
まとめると、
- 伝教大師や泰澄大師、弘法大師などの高僧が修行した岩屋があり、主に天台宗の高僧の伝説がある。
- 常宮神社現宮司家系の先祖は比叡山延暦寺の僧兵である。
- 常宮は元々神仏習合の時代より比叡山配下(比叡山管轄)の神社であった。
- 『東遊記』には常宮の山が比叡山を思い浮かべさせるということが書かれている。
という言い伝えと歴史があるのです。
だからこそ「奥の院」という寺のような名前になっているわけですね。そして、それぞれの資料や言い伝えがそれぞれ裏を取るような形になりました。その山の形すらも繋がってくるのですね。
常宮神社、奥の院。かなり深い場所です。
奥の院から見た敦賀湾。
といっても木々の茂みでほとんど見えません。でも昔は見えたのでしょうか。
ここで修行した高僧はここからの眺めを見たのかもしれません。浜の形から常宮神社がすぐ眼下。その先にあるのはひょっとしたら氣比神宮かもしれません。
ここからの眺めが常宮と氣比を繋いでいるとしたら。それはとてもロマンがありますね。
さて、では登山道に戻るために、この滑り降りて来た急斜面の茂みを戻るとしますかね。
歴史を刻んだ聖地か
奥の院の名前、常宮神社に伝わる伝説、郷土資料、宮司さんの口伝。
それぞれが歴史を伝えており、高僧がここで修行したというロマンを感じさせる名所といえます。
奥の院。それは歴史と伝説を刻んだ、山奥深くの聖地なのかもしれません。
参考文献
『敦賀志』
『越前若狭の伝説』
『敦賀郡神社誌』
『山々のルーツ』
協力・情報
常宮神社
基本情報
常宮神社駐車場から登山できます。詳細は常宮神社記事へ。
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