福井県敦賀市にそびえたつ野坂岳。野坂山とも言い、敦賀富士ともいいます。
ここは修行の山と、信仰の山として栄えました。
この山に祭られる野坂の神は現在、3カ所に分けられ、頂上や麓の野坂地区で巡ることができます。
今回は、この3カ所で見ることができる野坂山信仰を現地の写真を交えて追っていきます。
野坂神社
野坂地区と現地
野坂地区は垂仁天皇25年に大和国十市群の人がここに移り住み、開拓し繁栄したことに始まると言います。『敦賀郡神社誌』
かなり歴史の古い野坂地区は、その後も「野坂庄」といわれ、荘館や代官所などが置かれたこともあった重要地点です。
そんな野坂地区にある野坂神社。
福井県敦賀市野坂の中心にあります。
野坂の神の信仰で現在の主な聖地であり、野坂山参道の起点ともなっているのがこの野坂神社です。
最寄り駅は、JR粟野駅から徒歩8分。
駐車場は神社横に公民館があり、そちらに駐車スペースがあります。
この野坂神社には池があって、鯉が泳いでいます。
神社内にこんな池があるなんて、なかなか味わい深いものですね。
正面鳥居です。
村の神社ではありますが、先ほども言った通り歴史のある区で重要地でもあったので、それなりに大きいというか立派な神社です。
野坂山信仰のためでもあるのでしょう。
拝殿
鳥居をくぐると、社殿の前にこのような建造物があります。
敦賀郡神社誌をみると、おそらく拝殿かと思われます。
変わった形ですね。
しかも、両サイドに床があるし、上には太鼓があります。
何とも特別感がある拝殿です。
本殿
拝殿をくぐると本殿があります。
狛犬、石垣、玉垣。すべてに古い時の流れを見ることができます。
この今見ている本殿は外殿だそうです。
正面の戸を開けて中に入ることができます。
内殿の方は写真は撮るのをやめておきました。
内殿は外殿と比べてさらに古そうに見えます。さらに野坂神社の本殿だけでなく、室内の6方にも社があり、境内社となっているのでしょう。見ごたえがあります。
社殿横には、社叢があります。
『敦賀郡神社誌』にて、境内に大木はないが杉の木の森があり神さびて、人家を隔て清涼の気を漂わせ、延喜の古社であることを偲ばせる。としています。
確かに杉の大木は見た感じありません。
境内には大木がありました。
由緒、六社と信仰
『敦賀郡神社誌』によると、この神社の由緒は懿徳天皇23年3月8日伊予国越智群三嶋大明神祠官越宿禰成相翁稲鶴姫夫婦が大神を勧請したことにあると伝わると言います。
以来「御嶽権現社」、又は「六社大明神」としてまつられてきました。
延喜式神名帳にも名があり、現在の山麓の神社が載っているようです。
ご祭神について
祭神:大山祇命、天津彦彦火瓊瓊杵尊、木花咲耶姫尊『敦賀郡神社誌』
『御大典記念福井県神社誌』には追加で、秋葉大神と蛭子大神が書かれています。
合祀が何度も行われ、多くの神が祀られています。
合祀の歴史と境内社
この神社には周辺のいくつかの神社が合祀されています。
境内社もありますから見ていきましょう。
合祀:織田神社またの名を七社大明神や妙法堂とも言う(大山咋命)、境内社2社(秋葉神社水波女命・蛭子神社蛭子命)
境内社:神明神社(大山咋命、伊弉諾命、猿田彦命、豊受大神、市杵島姫命)、日吉神社、熊野神社、猿田彦神社
(『角川日本地名大辞典 18福井県』『福井県神社誌』『敦賀郡誌』を参考)
先ほどの、祭神で秋葉と蛭子が後に加わったのは、元々境内社だった社が合祀されたからだったのですね。
現地には、社があったであろう跡があります。
ここに何かが祀られていたのでしょう。
先ほどの池に島があり、赤い社があります。
橋もなかなかいい感じです。
神社の名前はありませんが、祭神が書かれていました。
市杵島大神、猿田彦大神、多賀大神、大山大神、蛭子大神、豊受大神、秋葉大神
先ほど見た祭神ばかりです。
しかし、なぜか「伊弉諾命」の名がありません。その代わりに「多賀大神」という神が増えています。これはどういうことなのか・・・。
これをツイッターでつぶやいたところ、詳しい方が反応してくださり、ご教示いただきました。
本当にありがとうございました。
多賀大神の祭神は「イザナギ・イザナミ」の2柱。
この情報で、「伊弉諾命」がちゃんと祀られていたということが分かりました。
しかし、「多賀」ということは「イザナミ」の方も祀られているという事か。となりますが、実は野坂山にてこんな言い伝えがあります。
むかしある女が難産で苦しんでいるのを重盛が見て、白山大権現をお祭りした。そのときひとりの坊さんが現れ、石の観音を刻んでいったので、これを権現に祭るようになった。後にこの坊さんは弘法大師であることがわかったという。
引用:『越前若狭の伝説』
(↑野坂山の伝説はここで説明しています。)
白山大権現、つまり白山の神「伊弉冉命」のことです。(白山の神は3柱いて、「菊理媛」「伊弉諾尊」「伊弉冉命」です。白山権現は「菊理媛」とも「伊弉冉命」ともいわれています。)
多賀大神として「イザナギイザナミ」2柱を現わしているのは、この伝説にも沿っているものと思われ、すべてが繋がってきます。
特殊神事「ダノセ祭(御田打祭・御田植祭)」
野坂神社には特殊神事があります。
「ダノセ祭」と呼ぶのは、歌詞の中に「ダノセ」と囃すからなのだそう。
様々な役に扮して、百姓が田を作る種々の立ち振る舞いを行うものです。
田植歌というのがありますが、めちゃくちゃ長いので割愛させていただきます。
『敦賀郡神社誌』に載っています。
宗福寺境内野坂嶽権現
さて、野坂神社から野坂山へ向かう参道途中に、宗福寺というお寺があり、ここにも野坂の神が祀られています。
道沿いに「野坂嶽権現」の石碑があります。
この石碑、明治41年4月のものでした。
天長三年正月元真開基の宗福寺は野坂神社の宮守でもあります。
そんな宗福寺内にあるのが野坂嶽大権現地蔵尊です。
境内はいって左のお堂です。今回許可を取っていないので、敷地内の写真は載せませんが、普段はお堂は閉まっているようです。
郷土誌にも特に書かれていませんが、地蔵尊があるという事で、修験の山としての面を現わしているのでしょうか。それとも神仏分離のために野坂神社と大権現地蔵尊が分かれたのでしょうか。
いずれにしても野坂の神を拝すなら、この場所もお参りしておきたいです。
最寄り駅は、JR粟野駅から徒歩6分。
野坂神社から徒歩5分。
野坂山山頂御嶽大権現
ここは、野坂山山頂付近にある避難小屋の中です。
この避難小屋に御嶽権現社があります。
もともと野坂の神(六社明神)が祀られていたのが野坂山山頂で、今ではこの社のみです。
もし登山ができるのであれば、ぜひここも訪れてみてください。野坂山からの眺めは最高です。
さらに登山道にも野坂山信仰の面影を見ることができます。
先ほども出た記事ですが↑、その修験の名残も紹介しています。
敦賀の神、野坂の神巡り
庭の美しい野坂神社。歴史の重みを感じる宗福寺。敦賀最高峰の野坂山。
敦賀の神社といえば気比神宮を思い浮かべるかとは思いますが、実は敦賀最高峰で歴史のある野坂山の神もまた、敦賀を見守る重要な神なのです。
修験の山であり、山岳信仰の対象でもあった野坂山。
ぜひこの野坂の神巡りもしてみてはいかがでしょうか。
参考資料
『角川日本地名大辞典 18福井県』
『御大典記念福井県神社誌』
『敦賀郡誌』
『敦賀郡神社誌』
『敦賀志』
『福井県神社誌』
コメント