アイの木と一本松の伝承 ~彌美神社旧跡と出合いの地【美浜町】

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福井県美浜町麻生の田園の中に謎の石柱と灯篭があります。かつて「アイの木」と呼ばれたこの地に伝わる一本松の伝承。

彌美神社と深い関わりがあり、相の木・愛の木・合いの木とも言われているこの地を見ていきます。

どこにあるのか

アイの木

彌美神社の一ノ鳥居から北へ340mくらいの田園の中にあります。

特に案内や看板、説明板などは無く、何も知らなかったらまずわからないし、偶然通りかかっても「なんだこれ」くらいしか思えないであろう姿です。

別に参道の途中にあるわけでもないので、ぱっと見彌美神社との関連性もわからないかもしれません。

アイの木の言い伝え

このアイの木は、特に「逢の木」と呼ばれており、小字名にもなっています。

逢の木には様々な言い伝えがあります。

彌美神社跡地

『わかさ美浜町誌』によれば、東山地区入口付近の逢の木は、かつて彌美神社があった場所であるとされているようです。

口碑として伝わっている話のようで、あまり有名な話ではありませんが、そういった話もあるのです。

石碑も建てられており、「彌美神社旧跡地」とも刻まれているといいます。風化したのか全く認識できませんでした。

彌美神社はもともと新庄が起源とされ、後に二十八所神社として宮代(御社)地区の地主神社に移された。新庄の神社は逆に地主神社となった。といったような話を以前見ました。

今の宮代後に落ち着く前に、一度この地に来て、再度移動したという事なのでしょうか。それとも宮代に元々あった地主神社の跡地がここだという事なのでしょうか。

そこまでは書いていなかったのでわかりませんが、どちらかなのでしょう。

一本松と出逢いの場所

アイの木

石碑は一度折れたのでしょうか。ただ相当古いのか、「彌美神社旧跡地」という文字は認識できませんでした。

この場所には、かつて逢の木には一本の老松があったといいます。

当社より五町計り距りたる地に、今も一千年以上を経たらん老松と、空地あり。此処にて以東よりの参詣者と待合せしとて、その小字を逢の木という。(逢の木は相合の意か)
引用:『福井県神社誌』

彌美神社祭礼の時に、若狭町倉見から美浜の山東までの人々が、まずここに集まってから参詣したと言います。「逢の木」というのはそこから起こった名だとも言われます。

但し民俗学の観点から言うと「逢の木」という名前は「出逢い」の意味ではなく、「饗の神」つまり「田の神」の意味だともされています。

書籍『あどうがたり』では、

むろん神社誌の「待合して参詣云々」の記述は、単なる付会の説にすぎない。
引用:『あどうがたり』

と写真付きで言っています。

この「アイ」の話はまた後で見ます。

一本松の祟り

昔彌美神社の祭体の時、西は十村の倉見から東は山東に至るまでの民衆が集まってきた。麻生の字東山の一本松はその集合の目標になる木であったので大切に保存され、若しこの木を伐ると祟りがあるといわれている。東山の彦七というものはこの松の枝を切ったため、家内一人を残して皆死んでしまったという。
引用:『福井県の伝説』

やはりこういった木には祟り伝説がつきものですよね。

越前町の千足杉も切ると祟りがあります。

こういった特別な木の祟りの話を取り上げるたびに言ってますが、この祟り伝説は大切にされている木だからこそ、誰も伐らないようにそういった恐ろしい話を生み出しているのだろうと思うのです。こんな例えが適切かはわかりませんが、「いい子にしてないとサンタさん来ないよ」みたいなものだと思うのです。

しかし今見ての通り、伐られています。もう松の木はありません。

「アイノキ」と「アイノカミ」について

アイノキやアエノキというのは県内坂井郡・南条郡に点在し、石川県・滋賀県にも多く分布しているといいます。『わかさ美浜町誌』では、これが米どころと関係があるような言い方をしています。

また、奥能登には田の神祭「アエノコト」という行事があります。これが若狭の「アイの神」にもいえるとしています。

地名では、美浜佐田・山上の「相の神」、上中麻生野・海士坂の「相ノ森」。祠などでは、敦賀白木の「アイノカミノ森」、美浜丹生の「アイノカミ」、美浜北田の「饗神御社」、美浜佐野の「愛神社」、三方北前川の「合いの神」。

というわけで、今回の「逢の木」も本来「饗の神」の祭場であったという意味を持っていると推測されているようです。

ただし、あくまで「饗の神」です。郷土史では何度も「田の神」を強調されていますが、必ずしも「田の神」ではないということです。というのも以前「丹生のアイノカミ」を紹介しました。この丹生のアイノカミは「海の神」とされています。

「饗の神」の「饗」という字を見てもわかる通り、「田」でも「海」でも、食事に関係する神であるのかもしれません。

しかし私は思うのです。そんなに難しいものではないのではないかと。

アイノカミとは、つまり村人のなんでも祈る神なのではないかと。日本人ならこの感覚でわかるかもしれません。岩でも石仏でも祠でもなんでも神になりうるし、何かある特定の事だけをつ祈る神ではなく、生活のすべてを祈る神。願掛けなんてものでもない、ただ祈る対象である。それがアイノカミなのではないかと。

麻生と彌美神社

『三方郡誌』に「弘仁元年(810)に麻生朝臣國忠に勅命があり、園林寺が造営された。」とされているようで、麻生の口碑では彌美神社創建の時に麻生殿という公家が勅使として下向し、そのまま麻生に住み着いたとしているようです。それが今の地名の起源と言い、麻生に「彌美神社の元の地」「一本松の逢ノ木」などがあるのは、これが関係しているのかもしれません。

耳の郷にとって重要な彌美神社、その彌美神社にとって重要な逢の木。

区画整理されて今の状態になったのでしょう。それでもこうして目印が残っているという事は素晴らしいことです。

参考文献
『あどうがたり』
『わかさ美浜町誌 舞う・踊る』
『わかさ美浜町誌 祈る・祀る』
『福井県神社誌』
『福井県の伝説』

基本情報

最寄り駅JR小浜線美浜駅から徒歩29分
自動車若狭美浜ICから6分
駐車場なし

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