アイノカミ(丹生) ~数々の磨崖仏は海の神か【美浜町】

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福井県美浜町丹生にいくつかの石仏や磨崖仏が点在しています。

この磨崖仏は「アイの神」と呼ばれるものといわれ、村によって田の神だったり海の神だったりします。わかさ美浜町誌を見ながら、この磨崖仏についてみていきます。

松谷三尊磨崖仏

丹生地区松谷という丹生の一番西側の地区のさらに西端の山にこの磨崖仏があります。駐車場があり、六地蔵が置かれていますが、その後ろ、柵の向こう側に磨崖仏が彫られています。

磨崖仏が彫られているのは花崗岩の3つの岩。

『わかさ美浜町誌』によると、それぞれの岩に高さ50cmの枠を掘り、像高39cm、肩幅12cmの二体に並んだ神像を彫っています。
時代は不明
地元では「アイノカミ」と呼ばれ、漁神(海神)として祀られているものと思われ、日ごろの信仰以外に、海仕事海路など海の安全海難事故の供養の為ではないかとされています。

鎌倉時代から続くとされる丹生の海人たちが彫って来たものではないかとされています。

この磨崖仏については、美浜町・herica.netが出していた文化遺産カードも作られていました。
https://herica.net/detail/card/244/

まともな写真がないのが申し訳ないです。

もう本当に四角い枠に、簡易的な像の形が二体ずつ造形されているという感じです。確かに不思議な感じです。

丹生公民館裏磨崖仏

元々波打ち際にあったとされ、護岸整備で移動してきたと言います。

2つの石に、
右側は高さ63cm、幅33cmの舟形光背を彫り、中に像高45cm、肩幅14.5cmの二体並列の仏。
左側は高さ58cm、幅25cmの舟形光背を彫り、中に像高46cm、肩幅12.5cmの仏。

写真はありませんが、こちらもアイノカミ同様海の神であるとされています。

この磨崖仏は特に形がわからなくなっていました。磨崖仏の前にはそのほか石仏が並べられており、この辺りにあった石仏や新しく作った石仏を集めて祀っているものと思われます。

護岸の磨崖仏

一つ目の松谷三尊磨崖仏の近くの広場の岩に磨崖仏が書かれています。

このについては郷土史に記述がありません。

昭和五十二年と刻まれています。位置的にも最近彫られた磨崖仏です。

ただし、これが彫られているのは護岸整備前からある天然の岩に彫られているものと思われます。

昭和五十二年にはこの護岸はあったでしょうし、整備後にもこの岩が残ったから磨崖仏を彫って岩を祀り始めたのでしょうか。整備後に残った天然岩を神聖視したのかもしれません。

いずれにしてもこうして新たに磨崖仏を彫られているという事はその信仰がまだ続いているという事なのでしょう。

龍渓院前の神像

石で組み上げられている祠に仏が祀られていました。こちらについても郷土史に記述無し。(もしかしたらどこかに記述があるかもしれませんが)

但しこれは古くからあるものと思います。

この辺り一帯が整備のためかそれとも放置なのか、元がどんなものだったのかはわかりませんが、ストリートビューで見るとこの祠のかたわらに木が生えていたようです。

そして「アイノカミ」という磨崖仏が多くある丹生。さらにそのアイノカミは「田の神」「海の神」とされている。そして「アイ」というのは「アイの木」という地籍も美浜にあり、アイノカミ近くには木が近くにあることも多いようです。彌美神社の「アイの木」も昔一本松があったとされます。

そう考えると、この石仏も「アイの神」と言えるのではないかと思うのです。

後ろにはかつて田があったような土地です。もしかするとこちらは「田の神」だったのかもしれません。

また、この祠の道は龍渓院というお寺に繋がる道でもあります。ただし葬儀のために通るのは使いの者だけであると思います。少なくともここはソウレンカイドウ(野辺送りの時に通る道)ではないはずなので、葬送にはあまり関係のない祠と思います。

そういう点で「アイの神」であるのではないかという可能性を出してみました。

民俗信仰

丹生は敦賀半島の美浜町側の一番先端。

まだまだこの半島には多くの民俗信仰がそのままの形あるいはほぼ当時のまま残っていると思われます。

それは石仏なのか、石塔なのか、またはほかの神体か。

楽しすぎます。

参考文献
『わかさ美浜町誌 拝む・描く』

基本情報

最寄り駅敦賀駅からバスに乗り換え、丹生バス停で下車徒歩4分
自動車若狭美浜ICから18分
駐車場なし

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