機織池の伝説と坂尻の機織姫神社~巫女の伝説か?【美浜町】

当記事には広告(商品リンク、旅行予約リンクなど)を掲載しています。
※ステルスマーケティング防止のため

福井県美浜町坂尻の水田地帯にそう遠くない昔まで機織り池という池がありました。氏神一言主神社の中に今でも機織姫神社があり、当時の機織池の名残を今でも見ることができます。

今回はそれらの伝説や神社、名残を見ていきます。

機織池の伝説

機織り池俯瞰

坂尻に広い水田地帯があります。これは国吉城から俯瞰した図です。この水田地帯に機織り池があったとされます。

名前の由来はとある伝説から成ります。

機織池
坂尻の東南、国吉山麓の北の水田は、むかしは一面の池であった。その頃冬の寒い日一人の婦人が、機織道具を携えてこの池の氷上を通った。その時氷の薄い所があったので破れて池の中に陥って婦人は死んでしまった。その後はこの辺りを通るといつも池の中から機を織る音が聞こえたので、村人は哀れに思って池の頭に祠を建て婦人の霊を祀って機織姫神社といい池を機織池というようになった。後に池のほとりは漸次水が涸れて水田となったので、機織姫神社は坂尻部落の一言主神社に合祀した。
引用:『福井県の伝説』

むかしある女が、冬の寒い日機具を背負ってこの池の氷の上を歩いた。すると氷が割れて、池の底に沈んだ。その後池の中から機を織る音が聞こえる。池のほとりはい草が多く生えていたが、今は水田となっている。
引用:『越前若狭の伝説』

『三方郡誌』には『福井県の伝説』と同じようなことが書かれていたので、『福井県の伝説』は『三方郡誌』あたりから引っ張ってきた内容なのだと推測します。

『廻国雑記』にも登場しています。

[廻国雑記]准后道興
此所々恋の松原、浦見坂を云ふを打過て、はたをりの池といへる所に休て、
蝉のはの衣に夏は残れとも秋の名にたつはたをりの池
引用:『三方郡誌』

文明18年(1486)~文明19年(1487)に巡った物を記しているという『廻国雑記』。こんなに古くから機織池はあったということなのでしょうか。

この伝説は一体…。

機織姫神社

池の畔にはかつて機織姫神社というのがあったとされ、それが機織り池の目に見える唯一の名残と言っても過言ではないわけですが、それも今は坂尻の神社に合祀されたということで、文字すらも見られないかもしれません。

機織姫神社

と思って一言主神社に入ってみたら、思いっきり「機織姫神社」という文字がありました。

機織姫神社

まだここに機織り池があったという名残が、こうもはっきりと残っているのでした。

一言主神社は社殿が室内になっており、一言主神社の本殿が正面で左右に境内社のような形でいくつかの神社があります。その中の一つにこの機織姫神社があるのです。

機織り池の地形

はっきり目に見える形の名残としては機織姫神社が最もわかりやすいです。

ただし、上から見ると池の名残らしき形が何となくわかります。

2013機織り池
出典:国土地理院撮影の空中写真(2013年撮影)を切り取って作成

簡単に言えば田んぼのある場所の8割9割方が機織り池の名残なのです。なんとなくわかりますね。

ちなみに下の方にあるため池のある場所は逆に水中だった場所ではなく陸だったようです。

もっとわかりやすいのが古い空撮。

1947機織り池
出典:国土地理院撮影の空中写真(1947年撮影)を切り取って作成

田んぼの形を見ればはっきりと湖畔の境界がわかります。長細い田の場所が池の名残でしょう。

「漸次水が流れた」といいますから、最初は少しずつ流れていき、湖畔に沿うようにして横長の田を作っていったのが、後半は一気に水田と化し、広い縦長の田を量産したという感じでしょうか。

 

ちなみに機織り池は難攻不落の国吉城の防衛に重要な存在でもあったとされるものです。古くから重宝され続けた池だったのですね。

「機織姫」は御岳信仰の巫女説

坂尻

さて、伝説を見ると不思議なことがあります。

それはなぜ機織り道具を持って真冬の氷の張った池の上を歩いていたのかということ。この謎を言及している本があります。『山々のルーツ』です。

以前御岳山を取り上げた際にその記述がありました。

 水の底から機を織る音が聞こえるという伝説などは、土地によって少しずつ話は違うが、あちこちに残っている。秋田県北秋田阿仁金町の白糸沢という所では、水の神様が淵の底で機を織ると伝え、岐阜県益田郡上原村門和佐川の竜宮ヶ淵では、龍宮の乙姫様が機を織るという話があった。長野県西筑摩群日義村の野婦池では、山姥が機を織るのだという話がある。
 昔は村々のお祭りで、神様のために新しい衣服を作ってお供えしたようであり、そのために穢れを忌んで人里を離れた清い泉のほとりに、機殿(はたどの)をたて潔斎した清浄な乙女が機を織った。この風が段々に廃れて、後には神様にお付きの女神が、その役目を代ってなされそれがいつしか龍宮の乙姫に代わったらしい。ここも織姫神社を建てたくらいだから、ただの女が機を織ったわけでなく、御岳山の神様に宮仕えする女神であったのだろう。御岳山と尊称されている山だから、昔は山頂に何様を祀ったかは知らないが、神祠もあったのであろう。
引用:『山々のルーツ』

御岳山はこの地域一帯の御神山であると言われています。

今でも山頂付近には社があり、美浜の総社である彌美神社の奥の宮であるともされています。そんな御岳山なので、この『山々のルーツ』の考察は結構当たっている可能性もあります。

氷の上を歩いたというのも、部落から見て池の向こう側の御岳山の麓に行くためではないか。

「女神」であるかはわかりませんが、神に仕える、例えば巫女的な立場の人が、この伝説の登場人物のもとになっているのかもしれません。

哀れ話ではありますが、どこか神秘的な話への転換。そうなるのが必然だった話なのかもしれません。

参考文献
『福井県の伝説』
『越前若狭の伝説』
『三方郡誌』
『山々のルーツ』
国土地理院

基本情報

最寄り駅美浜駅からバスに乗り換え坂尻バス停下車
自動車若狭美浜ICから3分
駐車場千鳥苑

【当サイトはリンクフリーです】

スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク
美浜町
スポンサーリンク
シェアする
  • コメントはメール返信ができませんので、該当ページ上での返信となります。
  • コメントは審査をしますので、反映・返信までに数日かかる場合があります。(1週間経っても反映・返信されない場合はサイト運営者に何かあったと思ってください)

コメント