地蔵橋の伝説~鯖江内北陸道と織田軍侵攻の歴史遺構【鯖江市】

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福井県鯖江市鯖江市街地に地蔵橋という地蔵尊があります。今回この由緒と言い伝えを見ていきます。

かつて織田信長率いる軍勢が朝倉へ攻め入る時、ここ鯖江の長泉寺と争い焼き払った歴史があり、その一つの遺物とされています。後に北陸道の橋となりこの名前が付けられたといいます。

では早速見ていきましょう。

現在の地理

鯖江地蔵橋

地蔵橋が現在置かれているのは鯖江の中心市街地北端。おそらく以前からここの辺りにあったと思われます。

鯖江の旧北陸道(北国街道)、現駅前通りの北入口当たり、交差点歩道の一角に地蔵橋は安置され、由緒書きやそのほかの遺物などが置かれています。

西山公園のすぐ近くなのでついでに見に来るのもちょうどよいかと思います。

地蔵橋の伝説

鯖江地蔵橋

地蔵橋
 下深江の北端にある。六体の石地蔵を橋材として、小みぞにかけてある。この地蔵様は、天正年間に織田信長が長泉寺を焼き払った時の遺物で、元三大師の直作といい伝えている。後に中道院の僧某が、夢のお告げによって、北陸街道の橋材にあてた。いわゆる越前の地蔵橋というのがこれである。明治十二年の道路改修のとき土砂でおおったので、ほとんど埋没した姿となった。
 なお、地蔵橋の所に真宗善光寺直火の常夜燈がある。
引用:『越前若狭の伝説』から『新撰鯖江誌』より

このような伝説があります。

その他の郷土史にも似たように、

 下深江(現本町四丁目)の北端に六体の石地蔵を橋材として、小みぞにかけた橋があった。越前の地蔵橋というのがこれである。この地蔵尊は、天正年間に織田信長が長泉寺の各坊を焼き払った時の遺物で、元三大師の直作といわれている。後年中道院の僧某の霊夢によって、この北陸街道の橋にあてたという。明治十二年の道路改修の際に土砂でおおったので、ほとんど地下に埋没してしまった。
引用:『鯖江市史 民俗編』から『鯖江郷土史』より

という内容が書かれ、ほとんどが同じ内容となっており、言い伝えられているようです。

また、『越前若狭の伝説』にはもう一つ違った言い伝えも掲載されています。

 織田信長が攻めて来て仏像を焼き払った時、地蔵さんを道に埋めて隠しておいた。それ以来旅人がこの地蔵を踏んで通ると、旅の疲れも出ず、かっけにもならなかった。その後夢のお告げがあり、地蔵橋の橋けたにした。
引用:『越前若狭の伝説』

このように、地蔵橋となるまでの不思議な伝説も語られています。

身体的なご利益があったということですね。今は踏んではいけないと思いますが、足に関するご利益を賜られるかもしれませんね。

鯖江地蔵橋

現在も7体あるうちの5体の立像は寝かされており、橋だったころの当時を思い浮かばせる形となっています。

長いこと踏まれ続けたためか、地蔵さんの下半分は風化してしまっています。

座像の方は橋材になったのでしょうか。わかりませんが、織田信長の信仰時代から続く遺物がこうしてあるのを見られることが素晴らしいです。

地蔵橋の由緒に関して

さて、この地蔵橋ですが、伝説を見て行って結構気になる点がありました。気になるというのは「引っかかる」というのではなく「なるほどな」と思う所です。

  • 元三大師の直作であるという点。
  • 越前の地蔵橋であるという点。
  • 身体にご利益があるという点。
  • 踏んだら罰が当たるのではなく、ご利益があるという点。
  • 信長や無知な人に橋にされたのではなく、夢のお告げで橋にされたという点。

この辺りに感心してしまいます。

元三大師とは、角大師で有名な高僧です。長泉寺はこの僧と深い関りがあります。というのも、長泉寺を開いたのは泰澄大師。後に長泉寺を中興したのがこの元三大師なのです。ですからこの地蔵橋が「元三大師の直作だ」といわれても何ら不思議でもなく実に歴史に沿った言い伝えだなと思うのです。

加えて、元三大師は疫病などの身体的な部分の祈願に深く関わった方です。長泉寺中道院の「すりばちやいと」も疫病除けです。なので身体的にご利益があったり、踏んで罰が当たるのではなくご利益があったりするのは、その元三大師の伝説によるものも大きいのではないかと推測します。

その他越前には「地蔵橋」と付く地蔵尊がまだ他にもあります。それでも「越前の地蔵橋」ということで言われるのがここであるというのは、「踏んだら罰が当たるのではなく、ご利益がある」という伝承があるからこそなのではないでしょうか。夢のお告げで自分から橋となり人々に徳やご利益を捧げたというのも、ここに繋がってきそうな気がします。

古きを伝え、良きを伝える遺物

鯖江地蔵橋
昭和二十八年三月建立の碑

古くから伝わる伝説の地蔵橋。

それは昔から人々に恩恵をもたらし続けたが故に、ここまで大切にされ、有名となり、今も祀られ続け遺り続けているのでしょう。

これからも町行く人々を見守り続けながら、変わらず、北陸道の地に在り続けることでしょう。

参考文献
『越前若狭の伝説』
『鯖江市史 民俗編』

基本情報

最寄り駅北陸線鯖江駅から徒歩13分。又は福武線西山公園駅から徒歩4分。
自動車鯖江ICから6分
駐車場なし

鯖江の地蔵橋以外にも、織田軍と地蔵橋の伝説が残っています。

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