福井県あわら市金津町内の惣持寺境内の山際に大きな地蔵尊が祀られてあります。
この地蔵は織田信長と一向一揆の戦いの遺物とされており、地蔵橋になっていたものだといわれます。今回その伝説を追います。
地理
今回の目的、大地蔵があるのは芦原温泉駅ほど近く、あわら市金津小学校の西隣接地惣持寺境内の山際にあります。町からは少しばかり外れています。
以前当サイトでも取り上げた、[七ツ塚の祟り。金津稲荷山に伝わる伝説の真意【あわら市】]とほぼ同じ場所です。
境内の山際、お墓のある駐車場横に祀られています。
大地蔵伝説
お堂が建てられており、そこには「土中出現大地蔵尊」と刻まれた笏谷石製の石碑があり、お堂の中に巨大な地蔵尊が立っています。
本当に巨大です。
伝説を見ていきましょう。
大地蔵
現在惣持寺にある大地蔵は、むかし織田信長が金津町の南端付近で一向一揆と戦った時、ここに小川があって都合が悪いので、そこにあった大地蔵を小川に渡して橋にした。
昭和七年川さらいをしたとき、人足に出ていた伊藤若七氏が発見し、びっくりして新町に小堂を建ててまつった。震災後惣持寺に移された。
引用:『越前若狭の伝説』から『金津町郷土資料』
地蔵橋に関することは織田信長の侵攻に由来することが多いような気がします。鯖江にも織田軍と地蔵橋の伝説があります。この金津の地蔵橋もその一つなのですね。
この地蔵尊は織田軍侵攻の遺構であるということです。信長がこの地蔵を扱ったと考えると、それもまたロマンがあります。
それにしても大きい。
花が手向けられ、今でも大切にされていることが分かります。
この大きさ、信長伝説関係なしに、何か大きな力を感じざるを得ないです。
街中にひっそりとたたずむ巨大な地蔵尊
このように、町から少し離れてひっそりと存在している、しかしながらその巨体に堂々とたたずむ大地蔵尊。
場所的にもあまり知られることの少ない場所かもしれませんが、その地蔵尊は山の上から今でも街を眺めています。そしてそこは福井坂井平野をも見下ろす場所でもあります。
街と平野の安寧を見守る。そんな大地蔵なのでしょう。
参考文献
『越前若狭の伝説』
基本情報
最寄り駅 | 芦原温泉駅から徒歩19分 |
自動車 | 金津ICから11分 |
駐車場 | あり |
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