千束一里塚(北国街道・北陸道)の由来や伝説【あわら市】

千束一里塚

福井県あわら市花乃社に千束一里塚という一里塚があり、大木や石仏があります。

今回その歴史や「千束」とはなんなのか、名の由来。馬面のばばという赤猫伝説も見ていきます。

どこにあるか、どんな場所か

一里塚の里

あわら市の花乃社という地区の山の上にあります。

「千束山」というそうです。

山の上と言っても、周辺には住宅地があります。

金津村田製作所と嶺北あわら消防署の間くらいにあります。

現地には「一里塚の里」という黄色い看板が大きく出ていて、大木もあるので、一里塚らしく目立っています。

一里塚としての歴史

千束一里塚の案内

千束一里塚は福井県指定文化財になっています。

現地には説明板もあります。絵には、一里塚で休む人々が描かれています。

江戸幕府二代将軍秀忠が、慶長九年(1604)に江戸日本橋を起点に東海北陸東山に一里塚を設けます。そのときに北国街道(北陸道)の一里塚として、この千束一里塚もできました。

千束一里塚

北側から見た一里塚です。現在は片方に大木が残り、塚が築かれています。

しかし当時は道の両側に五間四方の塚があったようで、東に榎二本、西に一本が植えられていたようです。

今は西側の一本が残っている状態です。

夏場は木陰で涼み、秋は木の実を食べて飢えをしのいでいたそうで、大切にされていたようです。

「千束」の名前の由来

では、なぜ「千束」というのか。

読み方は「せんぞく」と読みます。

これには太閤検地が関わっているようです。

豊臣秀吉が天正十年ごろから各地を平定するたびに、長束正家を総奉行にして検地をおこなわせました。越前では慶長三年(1597)六月~七月に行われました。

この千束とは、役人が検地引上げの時、検地につかった古縄千束を埋めた所だと言います。それで「千束」と呼ぶそうになったと言います。
参考:『越前若狭の伝説』『金津町の史話と伝説』

伝説

この千束一里塚には、赤猫の伝説が伝わっています。

伝説の本編はまた別に紹介しますが、簡単にここで起こったことを説明すると、

この千束一里塚を夜通る者は、赤猫の集団に襲われていたそう。ある加賀藩士がこの噂を聞き、一里塚の木の上で待っていると、赤猫が出てきて皆踊っていた。しかし気に入るのを見つかってしまい、親玉の大猫に襲われかけたが、藩士はそれを刀で応戦し退治した。
参考:『福井県の伝説』

という話です。

千束一里塚の木

この大木の木の上から赤猫を覗いて、ここで襲われたのでしょうか。

なかなかロマンがあります。

この赤猫の正体や、後日談、赤猫伝説に関わる他の聖地もまだまだあるので、後日紹介します。

現在も受け継がれる一里塚

千束一里塚全様

実は現在もちょっとした駐車スペースがあります。

一里塚はかつて、距離の区切りの役割と共に、先ほど記した通り休憩所でもありました。

この千束一里塚は、当時の姿を今もとどめていると共に、その役割も受け継いでいるのでした。

参考文献
『越前若狭の伝説』
『金津町の史話と伝説』
『福井県の伝説』

基本情報(アクセス、駐車場、最寄り駅)

最寄り駅は、芦原温泉駅から徒歩24分。

自動車では金津ICから8分。

駐車場は空きスペースがあります。2台が限界かと思います。

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