七ツ塚の祟り。金津稲荷山に伝わる伝説の真意【あわら市】

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福井県あわら市旧金津町に稲荷山という土地があった。そこには七ツ塚と呼ばれる塚があり、そこを掘ると精神に異常をきたすという言い伝えがある。今回その現地と伝説の真意についてみていく。

七ツ塚の伝説

金津小学校の北約百メートルの稲荷(いなり)山の中にある。この地を掘ると気が変になるといわれている。780年前にある人が発掘して、発狂した。
参考:『越前若狭の伝説』

まずは、例の如く『越前若狭の伝説』から見ていきました。

よくある発狂シリーズです。

掘ってはいけない場所を掘ったり、木を切ったりすることで気が狂って発狂するという伝説が良くあります。古墳とかがその例ですかね。

別の資料も見てみましょう。

北方の稲荷山に七ツ塚がある。これは古代における大和民族の遺物であるという説もあるが、又ここは、惣持寺隆盛時代当時の名僧知識の遺骸を埋めるために、塚形にしたものであるという説もある。
しかし、いずれにしてもこの土地を発掘するものは精神に異常を来すことが伝えられている。
引用:『金津町郷土資料』


古代の古墳だと言われるが、総持寺全盛時代の名僧の遺骸を葬った塚であろうともいわれる。昔からこの土地を掘ると祟りがあり、精神に異常を来るといわれてきた。今から百年ばかり前に、ある人がこの塚を発掘したところ、果して発狂したという。それ以来恐れて誰も手を付けないようになった。
参考:『金津町の史話と伝説』

百年程前にも誰か気が狂ったようですね。

さて、ここで指摘されていました。この七ツ塚の正体は2つ可能性があると言います。

  • 古代の遺物・古墳
  • 惣持寺歴代名僧の墓

総持寺とは、この稲荷山にあった寺で現在でもあります。いったいどちらなのか。それはわかりませんが、とりあえず現地へ行ってみます。

稲荷山について

現地

稲荷山

これが稲荷山。の成れの果てです。

そう、もう現在は稲荷山は無くなってしまいました。

彫ったら発狂するという場所を余裕で掘ったみたいですね・・・。昔の言い伝えはやはりもう今になっては通用しないのか・・・。

現在は金津小学校になっています。

金津小学校1

少し上まで登ると小学校と同じ高さになります。

小学校がかなり上にあるということが分かります。まさに山の跡に建てたのですね。

横穴があったという

ちなみに先ほど、七ツ塚は古墳なのではないかという話がありましたが、『金津町郷土資料』にはこのような事も書いてありました。

横穴
稲荷山にある、一名陣の洞といっている。坂井郡は古来石器を使用した民族が多かったので、当時の民族の遺跡じゃないかという説もあるが、これを立証するような遺物がない
横穴の内部を改造した形跡のある点から、惣持寺の時代この穴を利用して高僧たちが沈思瞑想の場所としたのではという説もある。
また、陣の洞の付近にある道を歩くと異様な音響を発するところがあるなにか埋葬されているのか
他に、春日神社境内にもあり、今は埋没している。古木の付近。
参考:『金津町郷土資料』

また『金津町の史話と伝説』では、

古代人が生活していた穴ではないか

とも書かれています。

ということで、なににしてもこの七ツ塚というのは「総持寺」と深い関りがあったようですね。「陣の洞」という場所もあったとされますが、おそらくここも小学校建設によって消滅したと思われます。

ただ『福井県教育庁生涯学習・文化財課 福井の文化財』にこの稲荷山のことについて載っていました。1971年に調査されているようで、

稲荷山古墳群 現存2基 銅鏡4面
『福井県教育庁生涯学習・文化財課 福井の文化財』

以上の情報が載っています。つまり、古墳だったわけですね。

『金津町郷土資料』が1952年出版の物なので、それ以降1971年に発掘調査されて、古墳だということが分かったという事のようです。

いまでも小学校の横にほんの少し森が残っています。ここに何か残っていればいいですね。

ちなみに春日神社とは今の金津神社のことです。

七ツ塚の現在

さて、七ツ塚の現在は現状どうなっているのかと思って、とりあえず総持寺に行ってみました。

あわら総持寺

そうすると、なんと説明板があったのです。

その一部に七ツ塚稲荷山について書かれていたのでした。

七ツ塚について

小学校の敷地の、元稲荷山には総持寺にゆかりの七ツ塚があったが、現在は境内の墓地に移されている。
引用:『あわら市商工会 説明板』

現地でこの名前を満つことができるとは、残してくれていることに感謝です。

しかも七ツ塚が、総持寺境内墓地に移されていると。これは行くしかない。

総持寺墓へ

というわけで山側まで登ってきました。

見ての通りまだ少しだけ森が残っています。なので、今も七ツ塚や横穴に関係するものが現存しているかもしれませんね。

で結局七ツ塚がどれかはわかりませんでした。でも明らかに古い五輪塔が一番奥に並んでいました。七つ以上ありましたが・・・。花も手向けられておらず、檀家の墓というわけでもなさそうです。なのでそれが七ツ塚か?もし仮に、本当に名僧の墓だとしたら卵塔だと思うので五輪塔というのは少し違うと思いますが、単純に古墳だとして、その上に後世に何らかの理由で五輪塔が建てられたのなら、間違いではない気がしますが・・・。

ただ、七ツ塚っててっきり普通に「塚」だと思っていたので、なにか石塔などがあるというのはあまり想像と違うかな・・・。

わかりません!

金津小学校2

その墓地から見た景色です。こう見るとよくわかりますが、稲荷山の中に小学校が建てられているのですね。完全に切り落とされています。

金津小学校3

町の方は絶景かな。

ここも山だったのでしょうね。

かつての言い伝えは現代人にとってはあくまで言い伝えでしかなくなっています。

しかし、そこには歴史的背景があるのですね。

参考文献
『越前若狭の伝説』
『金津町郷土資料』
『金津町の史話と伝説』
他説明板

基本情報

最寄り駅北陸本線芦原温泉駅から徒歩17分
自動車金津ICから11分
駐車場なし

マップへ

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