狐が辻子の伝説「たいことキツネ」~浄蓮寺と三島稲荷神社【敦賀市】

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福井県敦賀市大島。ここにはかつて稲荷明神があり、まんが日本昔ばなしの題材となった民話が伝わっています。

人と狐の穏やかで優しい昔話。その舞台を巡ります。

空襲でなくなってしまったものもありますが、今も稲荷神社や浄蓮寺が現存しており、伝説を感じることができます。

狐が辻子の伝説「たいことキツネ」

 昔、敦賀の橘のお稲荷さんのお社にキツネがすんでいた。森の中のお社のわきにはきれいな水が湧く池があった。お参りに来る人は時々池の縁で水鏡をしている狐を見たという。化ける練習をしていたのかもしれない。お社にお供えした油揚げはいつの間にかなくなっていたが、お稲荷様のお使いの狐のことだと誰も気にしていなかった。
 そのうちお社のそばにお寺が建てられた。そして朝晩、時を告げる太鼓の音が聞こえるようになった。
 ある晩のこと、
「もしもし」
と、寝ている和尚を起こす者がいる。見ると枕元に女の人が座っており、
「和尚様、私はお社に住む狐です。お願いがございます。近頃三匹の子供を産んで育てておりますが、毎日お寺でなります太鼓の音に子供らがびっくりするので、大変困っております。何とかお考えいただけないでしょうか。」
問いって人間に化けた母狐の姿は消えていった。
 「やれやれ、かわいそうなことをしてしまった。」
和尚はその朝からかわいい子狐のためにもう太鼓を打たないようになったという。
参考:『福井のむかし話』

このようにとても穏やかで優しいお話なのです。

では、もう少し細かく見ていくとしましょう。

いつもの如く他の郷土史を見ていきます。

狐が辻子
 浄蓮寺の地はもと稲荷明神の社地であった。其の頃から御いみの井といふものは今も猶清水が堪えている。
引用:『福井県の伝説』

『敦賀郡神社誌』にもこれと同じようなことが書かれていました。

其の杜に狐の住みしより狐ヶ辻子と云いしとかや。此の寺此処に移りて後、住寺の夢に、狐人に化けて来りて曰く、「晨夕の太鼓の音に児共の驚き侍れバ、この鳴物をやめさせたべ」と云う。住寺憐ミて、其より後ハ今に至り太鼓をならさずとなん。
引用:『敦賀志』

昔話の元となる話が、この『敦賀志』(原本は江戸末期発刊)からなのでしょう。それが今までずっと言い伝えられているのです。

ちなみにこちらが【まんが日本昔ばなし】の動画です。

【まんが日本昔ばなし】たいことキツネ(No.1078)

おそらく転載だと思います。

では、当記事では、その現地の聖地巡りをしていきましょう。

狐が辻子と浄蓮寺

『敦賀志』によると、浜嶋寺町の中の支町として狐ヶ辻子の名が載っています。

浄蓮寺(西本願寺末)、開基ハ誓円法師。本尊阿弥陀如来ハ仏工春日の作。当寺旧地ハ樫曲村也。其の後洲崎に移り、寛文の末(1661~1673)此処に移れり。今の寺地ハ稲荷明神の社地也。其の時の御いミの井と云う物、今猶清水湛然たり。
引用:『敦賀志』

『敦賀郡神社誌』『福井県の地名』にもこれと同じことが書かれていました。

狐が辻子

現在の大島公園の西側にある道。大島公園から博物館通りのこの一本が狐が辻子です。

其の杜に狐の住みしより狐ヶ辻子と云いしとかや。
引用:『敦賀志』

と言っていますが、『敦賀郡誌』では

寺地は稲荷社の址なり。狐ヶ辻子の名も稲荷社の在りし故なり。
引用:『敦賀郡誌』

と、狐が住んでいたかどうかではなく、稲荷神社があったという史実からなるという由来を示しています。

其処には今尚稲荷社の小祠がありて昔時の名残を存している。
引用:『敦賀郡神社誌』

昭和8年の『敦賀郡神社誌』にはこのように書かれています。

浄蓮寺

浄蓮寺。「たいこときつね」に登場するお寺で、ここもまた聖地のひとつ。

先あったように、元々稲荷の杜があった場所に寛文(1661~1673)頃に移ってきたといいます。それが伝説の時代のようです。今でもこの狐が辻子に建っており、戦災で一帯は焼け、浄蓮寺も焼けてしまいましたが、場所は変わっていません。

ご住職の話によると、

話は伝わっているが、井戸や泉などはもう無く、稲荷の社などもなくなってしまった。
敦賀空襲の戦災やその後の復興などでなくなってしまったのでしょう。

とのことでした。

いろいろなものがなくなってしまっていますが、それでもまだこの場所に浄蓮寺があってくれたことが素晴らしいことです。

浄蓮寺

狐が辻子の浄蓮寺。この場所であの優しい昔話が繰り広げられていたのですね。

しかし今はお話にあったように稲荷の社はありません。消滅してしまったのか。いいえ。実は今も、この浄蓮寺の場所にあった稲荷社は現存しています。場所が移動しているのです。

それが、現在三島地区にある稲荷神社なのです。

三島稲荷神社

御祭神・由緒

三島稲荷

祭神:倉稲魂命、猿田彦命、大宮賣命
往古敦賀狐ヶ辻子(大島区)に鎮座し給うを長亨三年(1489)の頃越前国司朝倉孫四郎が眼病の祈願全治癒後、霊徳を報賽のため現在地に神殿を造営して奉遷。朝倉・織田の兵火に遭い焼失。後、崇敬の人々は全郡に勧化し、稲荷大明神と尊称し社殿を造営。明治八年十二月十日に村社。大正十年二月十一日に幣帛供進神社に指定。
参考:『福井県神社誌』『御大典記念福井県神社誌』『敦賀郡神社誌』

字は八幡。

『福井県神社誌』『敦賀郡神社誌』によると、かつては境内社も多くあったようです。
金刀比羅神社(大物主命)、八坂神社(素戔嗚尊)、相殿(大己貴命、太田命、伊弉册命、大宮姫命)、天満神社(菅原道真)、相殿(保食大神、加茂別雷命、少彦名命、九頭竜大神、倉稲魂命)などがあったとされています。大きい神社だったのですね。

稲荷社ハ慶長年間(1596~1615)故有りて新田村へ移し奉れり。
(中略)
新田村 氏神、稲荷社(慶長年間浜嶋寺町より奉遷する所也)。
引用:『敦賀志』

往古より敦賀町狐ヶ辻子町、今の大島区に鎮座し給うを、長亨三年の頃越前国司朝倉孫四郎、年久しく眼病にて癒えず。或夜霊夢あり、速に当社に参詣し、神前に祈願者を掲げて帰りしが、日ならずして病は全癒した。故に其霊徳を報賽の為め現地をト定して、新たに神殿を造営し、狐ヶ辻子より奉遷し、御供田若干を寄進し、尚祠官を存置すべき様命ぜられた、然れば此の事を伏見本地稲荷社に急使を以て報じたるに、直に祠官一名を下向せしめ、則ち号して狐通寺と称し管理せしめ、伝来の神書・記録・宝物等をここに納めた。
引用:『敦賀郡神社誌』

といたる所に書かれており、この三島の稲荷神社が狐が辻子の稲荷神社であったということが証明されていますね。

『敦賀郡神社誌』にある、「狐通寺」というのが狐が辻子そのままの名前で何だか素晴らしいですね。ただこれも兵火によって焼失したようです。

三島稲荷

鳥居は稲荷の社らしく赤鳥居が並んでいます。茂る松や木々も、この街中とは少し違う雰囲気をかもし出しています。

三島稲荷

社殿は拝殿が改築が増設されているようで、比較的新し目で綺麗でした。

拝殿の中はガラスだったので覗いてみると、色々ものが置かれ、昔の扁額と思われる物や中にも稲荷の狐が置かれていました。中の狐は白狐でした。

三島稲荷

本殿の方は全面木の板で張り巡らされており、拝殿のステンレスやガラス窓という様相とは違いました。

境内の杜の名残

むかしは木々も茂っていたとされていますが、『敦賀郡神社誌』によると大正十二年六月の近隣火災で社殿の壁になり防火の任を果たし燃えてしまったと言います。

今社殿、本殿側に広葉樹の木があるのがその名残なのだそうです。

三島稲荷

たしかに社殿うしろに広葉樹があります。かつての様子がほんの少しうかがえます。

境内の礎石

『敦賀郡神社誌』によると、当時の植樹工事の際に土の中から2,3尺ほどの深さのところから巨石が出てきたという話が残っているようです。

それに関して、

今その一石を社務所沓石に使用しているが、此の土中には尚多数埋没している。これ朝倉孫四郎の霊顕を報謝して、狐が辻子より奉遷せし際の本殿、又は其他の建物の礎石ならんと云われている。
引用:『敦賀郡神社誌』

とされているようです。

確かに境内には大石や礎石らしきものが多く置かれていました。

三島稲荷

これは手水舎でしょうか。かつての礎石にも見えなくはないですがどうでしょう。大石というのでこれくらいはあってもいいと思います。

以前あった境内社の礎石と思われるものもありますが、この中に『敦賀郡神社誌』に書かれている巨石はあるのでしょうか。

三島稲荷
三島稲荷

奉遷当時の物がもしあるのならそれはロマンですね。

               

様々な灯籠

三島稲荷
三島稲荷

街中、住宅地内にある神社と云えども、このように様々な灯籠があります。素晴らしい石造物です。

これはやはり、これまでの厚い信仰を表しているものなのでしょう。

今もこうして当時の信仰の跡を残しています。

稲荷の狐に特別な思い

稲荷神社両脇に鎮座する、御祭神の使い。稲荷の狐。

あの伝説を見た後に彼らを見ると、ここの狐は大変特別なものに思えてしまいます。

伝説を思い出しながら眺めて愛でるとしましょう。

優しく穏やかな敦賀の民話は今も

戦災空襲、都市開発。さまざまな変革があった敦賀。

しかし浄蓮寺は昔の位置にあり、狐が辻子も車道として現存しています。狐がいた森の稲荷の社も、信仰が続き、場所は変わりましたが、こうして祀られ続けています。

時代の中で消えゆく物も多かれど、今も確かに、敦賀には昔話「たいこときつね」の舞台は残り続けています。

優しく、穏やかな、人と狐のお話は、今もそこにあり続けているのです。

参考文献
『越前若狭の伝説』
『御大典記念福井県神社誌』
『敦賀郡神社誌』
『敦賀志』
『福井のむかし話』
『福井県の地名』
『福井県の伝説』
『福井県神社誌』

 

動画編

【福井の伝説 #6】敦賀狐が辻子~まんが日本昔ばなし「たいことキツネ」の舞台~

基本情報

狐が辻子

最寄り駅敦賀駅からバスに乗り換え氣比神宮前バス停下車徒歩7分
自動車敦賀ICから5分
駐車場なし

稲荷神社

最寄り駅敦賀駅から徒歩16分
自動車敦賀ICから6分
駐車場境内横

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