福井県内や周辺に存在する墓・供養・塔を紹介。
飢饉の塚や有名な偉人の墓、供養塔、庶民の墓やサンマイ、葬送の地、五輪塔、宝篋印塔など幅広く取り上げます。

堅海のサンマイ~村の共同土葬地と現地の方の話【小浜市】
福井県小浜市内外海地区堅海。嶺南若狭は土葬地帯だがここもまた古くは土葬をしていた土地である。郷土史や地元の方の話を交え、土葬地現地の現在の様子をここに記録します。

つるべおろしの怪異~名田庄三重の峠に伝わる伝説【おおい町】
福井県おおい町名田庄三重山田に伝わる怪物の伝説。峠を通る人を殺したという怪異。「王大将」とも言われる。今でも石碑が残りその伝説を偲んでいるというので、集落の人にも聞き込みをし、その所在や実際に伝わる話などを調査する。

泰澄大師御生母廟所(墓所)七重塔と五輪塔~泰澄の母と勝山について【勝山市】
福井県勝山市毛屋の県道17号線沿いに泰澄の母の墓であるといわれる場所がある。なぜここに泰澄の母の墓があるのか。その史跡の歴史と由緒はどのようなものか。毛屋は勝山でも特に古い土地である。

不老山の由来と法楽寺~紅葉の名所に織田の古戦場と石塔群【越前町】
福井県越前町織田に不老山公園(風呂山)がある。不動明王像と清水、金比羅神社などがあり、紅葉の名所でもあるここは奈良時代から続く由緒ある土地と寺。不老山の名前の由来と伝説を見ていき、歴史を探っていく。また不老山の登り口も見ていく。

県内各地サンマイ写真(火葬場・土葬地)【福井県の葬送Ⅳ】
この記事では福井県内の墓地や三昧(さんまい)という火葬場・土葬地などの現地写真を掲載し、また今はなくなってしまったサンマイの場所もグーグルマップを元に載せていきます。心霊・ホラー・オカルト要素は皆無ですが、苦手な方はブラウザバック推奨です。

墓制と県内の火葬土葬方法とその違い【福井県の葬送Ⅲ】
福井県は越前と若狭では葬送文化の違う。「墓制」という墓の形態も異なり、福井県には単墓制・両墓制の2種類の墓制がある。火葬方法土葬方法の違いなどを見ていく。

越前若狭の葬礼儀式(伝承~野辺送りなど)【福井県の葬送Ⅱ】
福井県(嶺南嶺北越前若狭)の葬送文化を調べた物を記録。普段あまり聞かない葬礼用語・葬礼(死の予兆・葬儀・納棺・出棺・野辺送りなど)を取り上げる。

葬礼(儀式や道具)・墓制・火葬土葬用語集【福井県の葬送Ⅰ】
両墓制や単墓制、サンマイなどの墓地のから、火葬土葬の用語、葬儀や葬礼・野辺送りなどの儀式や道具など、福井県内の郷土史でわかるだけ集めた葬送用語集。

来迎寺野について~敦賀の刑場であり葬送の地でもあった【敦賀市】
福井県敦賀市松原地区松島の一区画に木々が生えた野があり、ここには多くの墓が散らばっている。ここはかつて形状や仕置き場があった場所でもある。古来の墓地をそのままこの時代まで持ってきたような、現代の区画整備された墓地とは違う、古い墓地です。

沓見宝塔とサンマイ~土葬から火葬へ、ソウレンバの葬送空間【敦賀市】
福井県敦賀市沓見のサンマイには敦賀市指定文化財となっている宝塔(石塔)があり、そのサンマイはかつて土葬だったという。後に集落火葬場が設けられた。六地蔵前の棺台含めた葬送空間に独特な石仏が彫られていたりと興味深いものとなっている。

敦賀市和久野の火葬と土葬の歴史~村の歴史から見えてくる【敦賀市】
福井県敦賀市粟野地区の和久野。ここではかつて火葬と土葬の両方を行っていた。取材を機にその文化を見ていきます。村の成り立ちからの違い、そして土葬の跡、火葬場跡、町営火葬場への移行の年代を見ていく。

福井空襲戦災地・供養碑【福井市】
昭和20年7月19日。福井市中心地がB29の投下した焼夷弾M47・M69によって焼き尽くされた。時間は午後11時24分から81分間。福井大空襲と呼ばれ、福井城お堀や足羽川、郵便局跡、各地に供養塔や石碑が建っている。

熊野神社の由緒~青葉山今寺登山口の謎のお堂と共に【高浜町】
福井県高浜町今寺の青葉山の麓、今寺登山口の道中に熊野神社と謎のお堂、そして陸軍省の石杭がある。熊野神社の由緒と御祭神。謎のお堂と今林寺について見ていく。ここはかつての葬送の道だったのかもしれない。

伊地知姓発祥「伊知地」畑ヶ塚と時能~古戦場に紫陽花咲く【勝山市】
福井県勝山市北郷に伊知地という地名がある。薩摩の苗字「伊地知」の由来の地という。南北朝時代の古戦場であり、畑時能の墓や古い石塔がある。近くにはアジサイが咲いていた。

酒生の弁天さん~足羽川堤防沿いの祠と大木【福井市荒木新保】
福井県福井市酒生地区の荒木新保足羽川堤防沿いの田園に大きな欅があります。その麓に祠が二つあり、石仏や石塔が置いてあります。これが一体何なのか。調べます。

骨橋と極楽三昧の言い伝え【福井県越前市千福】
福井県越前市千福の枝村山麓に大岩があり、その上に碑が立っている。かつて死人が出たときに棺に入れてこの大岩に置くと、山腹にあったという極楽三昧にて火葬されていたという。