福井県福井市上文殊地区東大味に、戦国時代の有名な武将「明智光秀」が居住したという地が残っています。
現在も明智光秀の屋敷跡と呼ばれていて、その敷地内には明智神社が鎮座しており、先の大河ドラマ「麒麟がくる」では明智光秀が主人公だったこともあり、この東大味の地が盛大に盛り上がりました。
今回はそんな東大味にある明智神社の訪問記と明智光秀についての言い伝えを見て行き、明智光秀と朝倉と東大味の人たちとの関係を見ていくと共に、その他明智神社周辺の東大味内の遺構や西蓮寺など見所などを見て行きます。
明智神社
明智神社へのアクセス
JR福井駅から京福バス西大味行きに乗り、東大味バス停を降りると、上写真の交差点にでます。
車で行くと、県道25号線東大味内の交差点に上写真のような「明智神社」の看板が現れますので、それに従って集落内に入っていきます。
しばらくこの道を行くと、駐車場があります。その場所に東大味のマップがあるので、周辺遺構を観光することができます。
明智神社(あけっつぁま)
駐車場から集落内を歩いて、徒歩3分の所に明智神社がありました。狭い道を入りますが、今では案内もちゃんと掲げられているのでわかりやすいです。
明智神社は地元から「あけっつぁま」と呼ばれ、親しまれています。
石垣で積まれた広場に、祠サイズの神社があります。
有名で広大な土地を取社殿を持つような神社のように観光客を招き入れるような感じではないですが、集落内でひっそり信仰されていた地域ならではの雰囲気が伝わってくる場所です。
東大味の人たちにとっての明智光秀
この明智神社が、東大味地区の人たちにとって、いったいどれだけ明智光秀は親しまれてきたか、東大味のある上文殊発刊の郷土史から伝わってきます。
朝倉義景と明智光秀はお互いに認め合うこともなかったようですが、東大味区民にとっては光秀の印象はよかったようです。 参考:『上文殊の歴史』 |
この集落にとって明智光秀とは、村を救ってくれた恩人であるようです。
明智光秀の像まで作り、更にそれを本能寺の変で裏切り者として有名になった後でも守り続け、現代の明智光秀の評価が再認識されるまで、ずっと守り信仰し続けたのです。
それはこの村にとって光秀が如何に素晴らしい人物であったかが見て取れます。
明智光秀の屋敷跡
この明智神社がある辺りは土居ノ内という場所なのですが、ここが明智光秀の屋敷跡だそうです。
『足羽町史』には、この屋敷跡について少し言及されていました。
明智光秀の館はかなり大きかったようですね。
僅かに礎石や垣石が残っていたようで、一個で数百キログラムもあったそうです。その規模から城郭か寺院の構造をだったのではないかとされ、光秀の仮住まいの跡だとされています。 参考:『足羽町史』 |
現在の明智神社がある一帯、つまり周辺の民家の土地までもが館跡の一部というわけです。
もちろん民家にまで入るのは駄目ですので、いまはそれを確かめることはできませんが、集落のいたる所に案内板が出ているので、その案内板で屋敷跡がどのくらいの規模だったか大体の見当は付けることができます。
その案内は後で紹介します。
明智光秀の墓
それにしても気になるのが、先ほどの『上文殊の歴史』にも書かれていましたが、「明智神社の傍らに明智光秀の墓がある」と書かれています。
現地へ行った時も気になっていましたが、明智神社の横にたしかに墓石・石塔がいくつか並んでいましたね。
まさかこれ全部が明智光秀の墓ではないでしょうが、この一つがそうなのでしょうか。
墓石が昔からあるようなら、時代と共にその墓石を新調していった結果、多くの墓石が残っているなんてことも考えられなくはないです。
ただ、明智神社の傍らにこうやってあるということは、光秀にとって関わりの深い墓石であることは間違いなさそうです。
東大味歴史文化明智光秀資料館
明智神社の向かいには、小さな資料館があります。
東大味歴史文化明智光秀資料館というようで、かなり詰め込んだ名前と内容になっています。明智光秀のことだけでなく、名前にもある通り東大味についての歴史も書かれています。
館内は年表とか資料とか、映像があります。パンフレットもここで手に入ります。
ただパンフレットは補充されていない場合があります。私が訪れた時はラスト一枚でした。こればかりはどうしようもないです・・・。
細川ガラシャ出生地
この明智神社のある場所には、「細川ガラシャゆかりの里」という石柱が立っています。
明智光秀がこの地に滞在していた時、光秀の三女「玉」という人が生まれたといいます。
この「玉」さんが、後に細川家へ嫁いだ「細川ガラシャ」さんだそうです。つまりここは、細川ガラシャの生誕の地でもあるのです。
見所「ハート苔」
明智神社の由緒とは直接的なかかわりはないですが、近年人気になっているのがこの「ハート苔」です。見てみましたが確かにハートの形になっていました。
どうやらSNS界隈で話題になったようです。
確かに最近は苔ブームなんてのもありますし、それに「ハート」までついたら確かに人気になるでしょうね。
上からの写真はここには載せないでおきますので、ぜひ現地でどのくらいハートなのか確かめてみてください。
こういった形で、若い方も集客出来て地域の歴史を知ってもらえるようになると良いですね。
西蓮寺
どんなお寺なのか
東大味集落の南の山の麓に、西蓮寺という寺があります。
正門の入口は非常にわかりにくいので、地元に人に聞くのが良いかもしれません。(ちなみに裏口もあります)
正門横の石柱に、わかりにくいですが「柴田勝家公之御旧跡 慈摂大師御直作之像」と書かれています。
どんな寺院なのか気になるところですが、常時どなたかいるわけでもなくお寺自体も閉まっていて、さらに説明板や案内板があるわけでもないので、現地で詳しいことを探るのは難しいかもしれません。
例の如く『足羽町史』を見てみると、ざっくり以下のことがわかりました。
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以上のようなものが残される、かなり価値のある寺院であることがわかりました。
勝家の安堵状
どうやらこの寺院は、柴田勝家にまつわる品が多いようです。
その中でも、この東大味集落にとっての価値のあるものというのが「勝家の安堵状」です。
安堵状、つまりは「ここは安全は保証する」ということです。これに関してこのような説があります。
勝家が東大味の西蓮寺に対して安堵状を出したのは、東大味に住んでいた光秀が勝家に頼んだのではないか |
つまり、明智光秀が東大味を救ってくれたという一つの説でもあるということです。集落の人が明智光秀を慕うのは、こういった話がいたる所に残っているからなのでしょう。
西蓮寺のタブの木
西蓮寺の向かって右側に大きなタブの木がありました。
地元の人から聞いた話では、このタブの木は相当昔からあるようで、西蓮寺ができた時からあるのではないかとも言っておられました。
西蓮寺と同じくらいの高さまであったので、樹齢が相当あるのは間違いなさそうです。
ただこのタブの木。成長しすぎて、近年周りの家々に覆いかぶさってしまうらしく、2020年10月に伐られてしまったようです。
私が訪れた時にはまだそのタブの木が伐られる前だったので、最後の姿を遠目からですが残せたのはよかったと思います。
西蓮寺について地元の方との話
地元の方の話によると、この西蓮寺は明智光秀に関するツアーがあるときはここも巡るらしく、私が訪れた前日にも、20人のツアーが来ていたそうです。
また、この西蓮寺には多くの墓があります。檀家さんの墓でしょうが、かなり古いものばかりです。
地元の方の話によると、現在檀家14軒しかなく維持するのが大変らしいです。
ただ、昔は比叡山直属の寺だったらしく、かなり大きな力を持っていたようです。柴田勝家が安堵状を出したのもそれほど大きな寺だったからなのかもしれません。
周辺の遺構
東大味集落内には、上画像のような案内板が所々にあります。どんな場所だったかの説明も書かれているので、理解しながら見回ることができます。
土居ノ内という案内板は、先ほど言っていた明智光秀の屋敷跡です。これがかなり広範囲な場所にあるので、やはり光秀の館跡は相当大きかったのだということがわかります。
この土居ノ内以外にも馬場跡など他にも案内が出ているので、集落を見回って探してみるのも良いと思います。
歴史の詰まった東大味の里は魅力が多い
以上、明智光秀と東大味の歴史に関する名所や遺構を紹介しました。
見れば見る程、東大味の方が明智光秀を慕っていた形が浮き上がってきます。そしてそれは形として東大味の人たちの手によって守り通され、現在でもそれを目にすることができます。
明智光秀はこの地の人たちとどうやって接してきたのでしょう。ここまで慕われるのはそれほどの深いつながりがあったのかもしれません。
そんな歴史ロマンあふれる東大味集落を一度味わってみませんか。
参考書籍:『福井県足羽郡誌(明智軍記)』『福井県の伝説』『足羽町史』『上文殊の歴史』
基本情報
最寄り駅は、JR福井駅。京福バス西大味行きに乗り換え、東大味バス停を下車。徒歩5分程度。
アクセスは、県道25号線東大味内の交差点に「明智神社」の看板が現れますので、それに従って入っていきます。
駐車場は、東大味集落内の県道238号線沿いに明智神社無料駐車場があります。
他、歴史的有名人の旧跡を取り上げています。
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