矢戸口の「石田三成の墓」とはどこにある【福井県勝山市】

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矢戸口

これは教えていただいた話。

福井県勝山市鹿谷町矢戸口
勝山の町から離れた、山の谷の集落に、かの有名武将の墓があるという。
それは、「石田三成」である。

これは教えていただかなかったらおそらく、知らないまま生きていたでしょう。
情報のご提供感謝申し上げます。

さて、こんな有名武将「石田三成」の墓がなぜこの福井県勝山市の町はずれの村にあるのか。

私は、この墓がどこにあるのか。そしてなぜこの地にあるのか
訪れ調べてみました。

石田三成の墓はどこにあるのか

まず、この墓はどこにあるのでしょうか。

ネット上ではいくつか取り上げている方もいらっしゃいましたが、どうもどこにあるのかとか行き方などは書かれておらず、手探りです。

現地の情報

矢戸口の名所

矢戸口集落の入口に矢戸口案内図があり、その下に矢戸口の「名所史跡案内」の看板が建てられています。

そこに、右から三番目「石田三成之墓 約三百米と書かれています。
どうやらここから300メートルのどこかにあるようです。

現地の方からの情報

現地の方に墓の場所を2人に尋ねました所ところ、以下の情報を得ました。

  • 集落から見て西の山の中にある。
  • 入口からは墓は見えない。
  • 集落側から見て集落入り口にある公園の一本奥、山へ行く道が入口。
  • 公園奥にあるお墓があるところから、柵をよけて山へ登る。
  • 入口から300メートルくらい登る。

郷土史からの情報

以上の現地情報に加えて、『勝山市史』におおよその記述があります。この郷土史は小字名の地図まで載っているので、とても素晴らしいものです。

どうやら矢戸口集落の入口付近の西側の山「35字 西山」という小字があるそうで、そこが関係しているらしいです。

というわけで、現地の案内板や字の位置関係は以下のようになっています。

墓と字の関係
出典:国土地理院撮影の空中写真(2018年撮影)を加工して作成

墓の入口は名所案内板からすぐ近くですね。

字西山は山字だったので、位置が明確ではないですが、だいたいこんな感じです。このどこかに「石田三成の墓」があるのでしょう。

それは登ってみなくてはわかりませんね。

石田三成の墓の現地へ赴く ~墓までの道のり~

というわけで、現地調査開始です。

ちなみにこの山は誰の私有地なのか、それとも共有林なのか勝山市の方でも把握していないらしく、入って良いのか不安だったので、集落の方に聞いてみたところ、普通に入って良いらしいです

今後どうなるかはわからないので、行く方は一応聞いてみた方が良いかもしれません。

名所案内板から150メートルの西の山際まで来ました。

墓への入口

山際に3つの墓が見えます。
墓の横に入口があります。

この道をまっすぐです。

山とは柵で区切られているので、その柵を越えて行かなければなりません。

入口の柵

墓の横の所だけ、扉のように開くようになっていました。

ここを開けていざ入ります。

石田三成の墓道中1

杉林です。

道らしきものはありますが、すぐになくなるみたいです。道の横に水路があります。
ちゃんとした通り道ではあるようです。

石田三成の墓道中2

これは、道と言うより水の流れ道ですね。サイドによけながらいかないと歩きずらいです・・・。

特に案内などは無いので、合っているかはわかりませんが、この道沿いをまっすぐ行ってみようと思います。

石田三成の墓道中3

本格的にわからなくなってきました。
雪が残っているからなのか、道が全く分からない。

何か木と木の間に導線みたいなものが張っていましたので、この道であっているのかな?

わからないので進みます。

石田三成の墓道中4

これは果たして道なのでしょうか。

ここであるものに気が付きます。

石田三成の墓道中目印

木の後ろ側に、こんなものが置かれていました。

明らかに目印のように束ねられた枝です。この道であっていると信じたいです。

それにしても、なぜ木の後ろ側なのか。振り返ってみるといくつかありました。
今まで気が付かなかった。

石田三成の墓道中5

階段です。

どうやらこの道であっていたようです。

不安はぬぐえたのでどんどん進んでいきます。

石田三成の墓道中6

所々雪があって道がわかりませんが、また階段を発見し、先ほどの枝の束など、周りを確かめながら進んでいきます。

石田三成の墓道中目視

あれは!

テンション上がります。もう、あそこに向けて突撃です。

石田三成の墓到着

着きました。
まさにこれです。

では、郷土史や勝山市の話を交えながらじっくりと見ていきましょう。

墓の様子

石田三成の墓1

左の大岩の上に自然石の墓石があり、「南無阿弥陀仏」と書かれています。

右側には、自然石や小さな塔、中には五輪塔もあります。

「石田三成の墓」といえど、こんなに墓石があるのですね。石田に関わる他の人の墓なのでしょうか。

勝山市さんに問い合わせてみたところ

山を少し登ったところに墓(五輪塔)があります。

とのことだったので、どうも「石田三成の墓」は、これらの中の「五輪塔」の墓石のようですね。

石田三成の墓4

といっても、五輪塔もいくつかありますが。
特に、梵字以外何も書かれていません。

それにしても苔むしており、古の空気を感じます。

そういえば、以前紹介した福井市味真野の明智神社にある「明智光秀の墓」といわれるのもいくつも墓石がありました。

こういった地方の有名武将の墓は、いくつも墓石が並ぶものなのでしょうか。

石田三成の墓5

左の大岩の方の南無阿弥陀仏は名号塔のようにも見えますが、どうやら墓のようです。

というのも、少しお邪魔して上横から見てみると、

石田三成の墓7

なにか書かれています。

石田三成の墓文字

ん~。「石田○○○○墓」
全く読めぬ。

というわけで、勝山市さんに尋ねた所

「石田重右衛門之墓」

と彫られているそうです。
どなたなのでしょうか・・・。

五輪塔が「石田三成の墓」ということで、その後に作られた墓守の方か親族の方の墓なのでしょうか。

石田三成の墓掃除道具

近くの木には、掃除用具が括り付けられていました。

いまでも、墓を守っている方がいらっしゃるという事ですね。

なぜここに石田三成の墓があるのか

さて、なぜここにあるのか。
おそらく誰もが一番気になるところだと思います。

先に結論を書いておきますが、「わからない」です。

というのも、勝山市さんからの公式見解なのです。

  • 伝承として伝えられている三成の墓は鹿谷町矢戸口の山中にある。
  • 地元の郷土史家の話では、本物かどうか疑わしいとのこと。
  • 文献は何も残っていない
  • あくまで地元の言い伝えと思われる。

しかし、郷土史や報告書などを見ていくと、いろいろと記述はありました。

『勝山市史』の方に、ちょっとだけ気になることが書かれていました。

小字名の中で(35)西山には、石田三成に関係のある居住地跡といわれる所があり五輪塔の形をした墓石がある。

引用:『勝山市史』1974年
石田三成の墓2

どうやら、この墓のある辺りが居住地跡という言い伝えも残っているようです。
しかも、やはりここでも「五輪塔」が墓と記されています。

こうなると、なおさら福井市の明智光秀の墓と似てきますあちらも住居跡ですからね。

現地の人には、あまり人がいなかったので2人にしか聞けなかったのですが、お二方とも

詳しいことは分らない

とのことでした。

石田三成の墓2

なかなかの斜面です。
もし居住跡があったなら、もう少し下の平らな所にあったのかもしれないですね。

他、参考になりそうな資料ですが・・・

  • 『大野郡誌』には記述すらない。
  • 『鹿谷民俗史談』には地図に記載があるが、説明は一切ない。
  • 『勝山市石碑調査報告書 勝山市の石碑 2014勝山市教育委員会』には、「鹿谷町矢戸口の山中には石田三成墓と伝えられるものがあるが、これらは確証がないため(掲載を)省いた。」とある。

市に認知はされているようですが、詳細な調査はされていないようです。

ただ、その他の文献に気になるものがありました。
『史蹟勝地及天然記念物予備調査概要』という、大正六年発刊の報告書です。

鹿谷村
墳墓 矢戸口区 石田十治郎 石田三成一族ノ舘址
所有者石田氏ハ其後昆タリト五輪塔高三尺現存ニ個

引用:『史蹟勝地及天然記念物豫備調査概要』

要は、石田三成の子孫が矢戸口にいらっしゃるという事のようです。

確かに1件だけ、石田姓の家があります。その方なのかはわかりませんが・・・。
あくまで伝説ですね。

石田さんに押し掛けることのないようにしましょう。

謎多き有名武将の墓にはロマンがある

福井県には有名な人物の墓がいくつもあります。
当サイトでも、なぜか福井にある有名人の墓をいろいろ取り上げてきました。

いままで、それらの墓について多く考察してきました。

しかし今回は結果的に、なぜ勝山市鹿谷に石田三成の墓があるのかという問題は「わからない」という事になります。あくまで地区に伝わる伝承なのです。

ただ、私はこういう結末もいいと思うのです。

なんか自分で書いていて負け惜しみみたいになってるかなとも思いますが、謎は謎のまま、村にのみ伝わる不思議な伝承

最高にロマンがあります

私はそんなことを思いながら墓をあとにするのでした。

石田三成の墓帰路

!?

帰り道が全く分からない。明らかに登って来る時よりもわからない。
階段が見えない。道が見えない。

ああ、なるほど。

さっき、「木の枝の束がなぜ木の後ろにあるのか」と思っていましたが、帰り道側から見えやすいように置いてあったのですね

おかげで、それだけを頼りになんとか道を迷わずに下りてこれました。

石田三成の墓帰路2

先ほどの水の通り道はこちらから見ると、ちゃんとした道に見えて安心するのでした。

参考・協力

協力
『勝山市』

参考文献
『勝山市史』
『勝山市石碑調査報告書 勝山市の石碑 2014勝山市教育委員会』
『史蹟勝地及天然記念物予備調査概要』

基本情報(最寄り駅バス停、アクセス)

最寄り駅は、えちぜん鉄道勝山線発坂駅から徒歩41分
勝山駅から鹿谷線コミュニティバス矢戸口バス停下車、徒歩4分

自動車では、勝山ICから3分

駐車場はありません。

マップへ(マップは墓の入口)

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