福井県勝山市北郷町伊知地の山の中に鎮座する白山神社。
古い境内には白山信仰のお膝元らしく白山信仰の形が見て取れ、石碑などもあります。
由緒は何か、御祭神は。神社誌や郷土史からも見ていきます。
地理
伊知地は南北朝時代の古戦場であり、武将畑時能の墓がある土地でもあります。また、薩摩伊地知氏発祥の地ともされています。
白山神社は、そんな伊知地集落の北の山の中高台に神社が鎮座します。南北朝時代の砦跡がある鷲ヶ岳登山口の手前に神社への参道が分岐してあり、長い階段が続きます。
村の墓も所々に散らばっています。また道は非常に狭くなっており、地図が無ければここにたどり着くのも難しそうです。ところどころに「鷲ヶ岳」の道しるべがあるので、それを頼りに行くとたどり着けます。
由緒・御祭神
祭神:伊邪那美尊、譽田別尊
創立年始不詳。明治九年六月八日に村社。治四十三年六月十日に八幡神社(譽田別尊)が合祀。大正元年八月二十六日に神饌幣帛料供進神社に指定。
『大野郡誌』によると、
伊知地字畔山に在り 原と字後出替に在りしが、四十三年六月十日無格社八幡神社を合併すると共に、現今の地に移せし。
引用:『大野郡誌』
とあります。この「後出替」というのは、『勝山市史 第1巻 (風土と歴史)』を見るに、「51字 後出替地」というのが載っています。この地は現在の白山神社から南西へ416m程の山の出っ張り部分付近であるようで、そこから合祀に合わせて今の土地に移ってきたということです。
畔山
階段を登ると高台に平地があり社殿が鎮座しています。
現在の白山神社が鎮座するこの畔山という土地ですが、移ってくる前は何の土地だったのかというと、これまた信仰の土地だったようです。
畔山
伊知地区の南北に在り、反別壱町三反歩許、往時は、坂東神社、文珠、薬師など祀られし霊地なりしに、明治九年、是等の祠堂を白山社内に移ししに、十三年、善光寺新建せられ、一時は世に喧伝して、賽人絡繹たりしに、夫も衰頽し、四十二年、遂に白山神社の境地と変じ、土地高爆風光明媚、眺望絶佳なりとは、此丘上の変転亦た一世相の表現たらざらん乎。
引用:『大野郡誌』
まとめるとこうなります。
- 元々は坂東神社・文珠・薬師が祀られていた。
- 坂東神社・文珠・薬師が別地の白山社に移される。
- 四年後、善光寺が建てられて、再び信仰の活気を取り戻す。
- しばらくして、善光寺の参拝ブームも衰える。
- 四十二年に白山社が移され、土地も高く風光明媚で最高の土地として変転し今に至る。
という感じですね。
ずっと信仰の土地とされてきて、土地が衰退した後も信仰の聖地としたい気持ちが伝わってくるような様子です。
現在はまさに神聖な空気に包まれる山中の神社。
杉の大木あり、段上に高くなっていき、草木茂る。奥の山は雲がかかる。古めかしい社殿に石造物。
求め続けた「畔山」の信仰空間が現在広がっています。
現状
社殿
赤い屋根の拝殿。
祭りの時にでも使うのか、提灯でも吊るしそうな柱があります。
扁額は「大正三年九月二十二日 近藤外吉」。
拝殿の後ろに階段があり、本殿へ繋がります。
本殿への階段は、拝殿から出てくる段差から延びています。拝殿と本殿への道が繋がっているという野がはっきりわかる構造です。
本殿の段には白山神社特有の、3つの社が並列している構造になっています。
正面が白山神社本殿「伊邪那美尊」。向かって左が日吉神社「大山咋神 喰らう、噛む神」。
向かって右が坂堂神社「大山祇神 国創り、土地の神」。
(『福井県神社誌』には「大山咋命」と書かれている。)
中央の白山神社本殿はかなりみるべき部分があります。まず扁額が横に立てかけられています。年代は不明ですがかなり古い物のようです。本殿の扉の彫刻による装飾は和のパターン紋様が細かく彫られており美しいです。
上を見上げると軍馬の絵が飾られていました。
この真上に飾るというのにはどんな意味があるのでしょうか。やはり守り神的な立ち位置なのでしょうか。
本殿は内部でさらに一段上に上がっています。
この人が登るためのものではない階段の構造。かなり高いです。
境内の造物
拝殿の正面右には、灯籠と謎の石とその奥に馬の像が置かれています。
灯籠は、「山王大權現」「文久四甲子」「惣若連中」とそれぞれの面に書かれています。
拝殿左側の奥にはまたもや謎の石。この石は何でしょうね。そして立派な石垣。
本殿前には石碑と狛犬と灯籠。
天然石の上に載っているのがなかなか珍しいのではないでしょうか。
灯籠は「天保五年八月」と書かれています。
片方の屋根が落ちています。
境内東端にある謎の石碑
何と書いてあるか全くわからないが、立派な石碑があります。
『勝山市石碑調査報告書「勝山市の石碑」』にも書かれていないこの石碑。一体何なのでしょうか。
白山の神社の地
白山信仰の神社の形が色濃く出ている土地。
明治時代にここに移ったということですが、灯籠などは江戸時代の物も多数あります。
それは土地にとらわれず、信仰自体の時間がずっと続いてきた証。
しかし古くから続いた信仰の土地に変転はあったものの、今現在は再び深い信仰の空間になっており、素晴らしい光景を見せてくれているのでした。
参考文献
『大野郡誌』
『福井県神社誌』
『御大典記念福井県神社誌』
『勝山市史 第1巻 (風土と歴史)』
『勝山市石碑調査報告書「勝山市の石碑」』
基本情報
最寄り駅 | えちぜん鉄道勝山線越前竹原から徒歩30分 |
自動車 | 上志比ICから8分 |
駐車場 | 鷲ヶ岳登山口にあり |
コメント