福井県勝山市北郷町檜曽谷にあり、大日霊神社とも書かれる。大日孁の読み方は「おおひるめ」で御祭神は大日孁貴尊。
山の麓に大きな敷地を持ち、一角に彼岸花が咲く。祠の中には5体の石仏が彫られていた。
御祭神・由緒

御祭神:大日孁貴尊
創立不詳。大日孁の読み方は「おおひるめ」。明治九年六月に村社になる。祭礼は九月二十一日。
参考:『福井県神社誌』『御大典記念福井県神社誌』
『詩でつづる北郷の歴史と神と佛の歌』には、
祭神 千代社、天照皇大神、大日孁貴尊
と書かれている。
北郷で最も広い境内を持つという神社。境内は外の段・中の段・奥の段に分かれています。ただし、これほど大きいにもかかわらず詳細な情報がほとんどない神社です。なので『詩でつづる北郷の歴史と神と佛の歌』などの郷土資料以外のものも参考にしました。
千代社とは何なのでしょう。ちなみに公式の神社誌には大日孁貴尊のみが書かれています。

鳥居をくぐった先の正面に2つの大杉があるのが特徴的です。この大杉については後に紹介します。

上段に社殿が立ち、その前の中段に狛犬と石柱があります。
境内はすっそうとした杉林。神社の奥は山になっていき、さらに鬱蒼としています。クマでも出そうです。
檜曽谷について
大日孁神社があるのは県道112号線沿い。村の西側の山の麓。
大日孁神社のある檜曽谷は桧曽谷とも書き、読み方は「ひそだに」です。神社のある小字名は「西京所」といいます。
檜曽谷(ひそだに)の「ひそ」とは、「若い針葉樹の茂った土地」という意味があるという。
草分けは津田彦左衛門、山岸長左衛門の両家。土地は林野が多く、田地が少なかったので天保六年(1835)に津田、山岸、平井家と志比原村とで開墾。
参考:『勝山市史 第1巻 (風土と歴史)』
この村の始まりはそんなに古いものではないようです。ということは神社も江戸時代後期あたりの創建なのでしょうか。
境内の謎の祠

社殿の向かって右側のわきにいくつか石がならび、その先に祠があります。
この祠がなんとも特徴的なのです。

奥の壁面に3体、両側壁面に1体ずつ、計5体の石像が彫られていました。
これについて郷土史などには、私が調べた限りでは全く載っておらずなんなのかわかりませんでした。
しかし、見るに中央の石像は如来っぽいのです。螺髪があるように見えます。
その周りに4体として思い浮かべるのは、やはり四天王でしょうか。奥の壁面左の石像は冑のようなものをかぶっており、持国天のようにも見えます。
檜曽谷の大杉(夫婦杉)と天狗

神社の鳥居と社殿のちょうど間に天を貫かんと立つ二本の杉。まるで第二の鳥居の役割を果たしているかのような位置関係です。
境内にある菩提樹の中でも、天を突くようにそびえたつ2本の杉が「檜曽谷の大杉」。高さは30m近くあり、村では昔から天狗が棲む杉と伝えられている。
引用:『KITAGOU NAVI 北郷町めぐり人めぐり心めぐり』
まさかの天狗杉でした。
『詩でつづる北郷の歴史と神と佛の歌』には「夫婦杉」という名前で載っていました。
神木
夫婦杉
樹齢は詳かならずも、数百年の風雪を経しと思われる。そっと寄り添うみ姿は微笑しく、末長き夫婦愛に誰しも合掌す
引用:『詩でつづる北郷の歴史と神と佛の歌』
畏れ多き天狗杉とは打って変わって微笑ましい夫婦杉に様変わりしました。
しかしこれは本当に何か意味のあるように生えているので、そういった言い伝えがあるのも納得します。
特徴的で謎多い神社を彩る彼岸花
天狗杉に石仏の祠。
確かに福井では祠に石仏が彫られているところは多くありますが、祠内部3面に計5体の石像が彫られているのは初めて見ました。
神社の境内も広く、なぜこんなにも資料が少ないのか。やはり新しい神社だからか。
そんな神社の境界付近には、秋に彼岸花が咲き始めます。

そんなに多くはないですが、境内にちらほら。
境内外の正面にいくつか。

大日孁神社の大日孁、太陽の女神を祀る神社に赤く映える彼岸花は、その神社の色を表現しているかのよう。
最後に『詩でつづる北郷の歴史と神と佛の歌』に載っている穏やかな詩を…
若かき緑の針葉樹
檜の村と名ずけして
郷土を拓き世に残す
松尾の峯のその麓
大日霊のお膝もと
氏神様のおん前に
夫婦杉の睦じさ
村の衆よこの通り
仲よく生きよと神様の
無言の教えありがたや
参考文献
『福井県神社誌』
『御大典記念福井県神社誌』
『KITAGOU NAVI 北郷町めぐり人めぐり心めぐり』
『勝山市史 第1巻 (風土と歴史)』
『詩でつづる北郷の歴史と神と佛の歌』
基本情報
最寄り駅 | えちぜん鉄道小舟渡駅から徒歩31分 |
自動車 | 勝山ICから7分 |
駐車場 | なし |
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