安倍晴明が悪鬼を鎮めるために彫ったという地蔵菩薩【若狭町】

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福井県若狭上中。

若狭町に山内区と南区の共同墓地があります。

その敷地内に、安倍晴明の彫ったとされる地蔵さんがあるというので探しに行きました。

本当にあるのか、あまり聞いたことのない話だったので正直不安ですが行ってみましょう。

どこにあるのか

山内南区集落公園

山内南共同墓地公園

若狭町上中の山内集落と南集落のちょうど間に丘があります。

昔は向かいの山と繋がっていたのかもしれません。ここが今回の目的のものがあるという山内・南区共同墓地です。

山内南共同墓地公園前

公園も併設しているみたいです。「山内南区集落公園」と書いてあります。

安倍晴明の地蔵はどこにも書いていません。

山内南公園1

階段を登ると、結構しっかりした公園でした。ゲートボール場でしょうか。

向こうには墓地が見えますね。

山内南公園2

ブランコやジャングルジムもあり、子供から老人まで使える公園のようです。

かなり充実した公園です。

しかし、目的の「安倍晴明の地蔵」はどこにもないです。墓の方にあるのでしょうか。

共同墓地

というわけで公園の向こう、墓の方へ行ってみましょう。

山内南共同墓地1

ゴロゴロ自然石があります。

安倍晴明の地蔵も、地蔵とは言いますが、もうはっきりとは見えなくなっているようで、自然石に地蔵の形が彫ってあるという感じらしいので、こっちにあるのかもしれません。

山内南共同墓地2

共同墓地を探し回りました。

はたから見れば不審者です。しかし見つからず。

といっても結果見つかりました。隠れるようにありました。

安倍晴明作の地蔵

安倍晴明の地蔵4

公園の道路側の方に大きな木があります。

昭和道光之碑のある前です。

この大きな木の所が少し盛り上がってまるで塚のようになっています。

安倍晴明の地蔵3

その根元に隠れるようにしてありました。標識や案内は一切ありません。

でも思えばそうです。大体大木の根元になにか祀ってありますものね。迂闊でした。

安倍晴明の地蔵1

というわけでこちらが、安倍晴明が直々に彫ったとされる地蔵菩薩です。

見えにくいと思いますが、よく見ると何かが人為的に彫られているのがわかるかと思います。

郷土誌には以下のように書かれています。

また南区との共同墓地の入口に仏の姿を刻する一米位の立石あり、安部晴明の作という。伝説ではその昔墓地に妖怪変化が出没し行人を悩ましたので、安部晴明に祈り封じ込めて貰ったという。
引用:『上中町郷土史』

昔から墓地だったのですね。言い伝えを信じるとすれば、安倍晴明がここに来ていたという事になります。

「ありえない」とは言えません。もしここ1つだけなら信憑性はかなり低いです。しかし、若狭上中の安倍晴明伝説はここだけではないです。以前紹介した「無悪」にも安倍晴明にまつわる伝説がありました。しかもこちらは「安倍晴明の墓」です。

さらに、ここも墓に関係する話でした。
墓と行っても、墓地ではなく「サンマイ」です。つまり土葬地です。若狭はお参りする墓(参り墓)と埋葬する墓(埋め墓)の2つの墓を用います。その埋める方の墓に安倍晴明の墓があります。

無悪の方の伝説では、簡単に言うと「埋葬地を決めるときにどこにするのがいいかを占ってもらった」という内容でした。

つまり無悪の方も実際に「安倍晴明が来た」という伝説なのです。

 

今回の山内南区の安倍晴明作地蔵菩薩も本当に晴明作なのかもしれません。

ちなみに『新わかさ探訪』をみるとこう書かれています。

「かつてこの地に現れた悪鬼を鎮めるため、晴明が地蔵菩薩を彫った」とされる石があります。石面に線が刻まれていて、人が立ち姿で錫杖を持っているように見えます。そもそも錫杖とは、地獄道に陥った人を救うためのものだそうです。「このお地蔵様の姿が見えなくなると鬼が出る(世の中が乱れる)」と言い伝えられています。
引用:『新わかさ探訪』

悪鬼とは世の乱れの事なのですね。この辺りで戦か疫病が流行った時にこれを作ったのでしょうか。

「錫杖を持っている」という事でよく見てみましょう。

安倍晴明の地蔵2

左寄りにある三角の模様ですかね。この線が見える限りは、なんとか大丈夫だそうですね。

しかし見た目も年期を感じます。相当昔の物なのでしょう。

村を護る地蔵菩薩。ここにあり。

この伝説を繋いでいけるか

今回、実はこの地蔵さんを見つけるのに、こんな小さな公園内でかなり時間がかかってしまいました。

無悪小野篁の墓安倍晴明の墓のような案内は無く、説明もなく・・・。

私は心配になりました。
果たして、この伝説と「安倍晴明作の地蔵菩薩」という存在は、この先忘れ去られずにつないでいけるのだろうか。

この地区内だけの、秘かな言い伝えにしているのかもしれません。そしたら私のこの調査は迷惑かもしれませんが・・・。

でも、やっぱりこの言い伝えは価値あるものです。今後途絶えないことを願いながら、今回の記事はここまでとさせていただきます。

参考文献
『上中町郷土史』
『新わかさ探訪』

基本情報

最寄り駅JR小浜線若狭有田駅から徒歩21分。大鳥羽駅から徒歩23分。
自動車若狭上中ICから3分。
駐車場公園前

マップへ

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