石按比古比賣神社(小原)の由緒と大蛇退治の伝説【若狭町】

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石按比古比賣神社

福井県若狭上中小原に石按比古比賣神社(岩倉大明神)が祀られている。

歴史由緒を調べると創建はかなり古い。

さらに大蛇退治の伝説もあり、王の舞と獅子舞の祭りによって語り継がれている。

神社について

御祭神と創建の歴史

石按比古比賣神社鳥居

参道には大きな切株があり、今も大木があります。いかに古い神社かわかります。

そして立派な灯籠や鳥居。一集落の神社ではありますが、それにしてはこれほど立派なものです。

祭神:石按比古大神、石按比賣大神、素盞嗚命
(素盞嗚命は元字堀にあった無格社相尾神社を明治42年4月に合祀したため)
参考:『御大典記念福井県神社誌』『福井県神社誌』

まず祭神についてですが、石按比古大神・石按比賣大神は夫婦神ということで、神社の名の通り共にまつられています。しかし、以前はこの小原の石按神社祭神は一柱だけだったようです。

大同元年(806)に山城国岩倉より勧請。同二年九月十六日に社を建設。これが式内石按比賣神社である。
参考『若狭郡県誌』を元に『上中町郷土史』『御大典記念福井県神社誌』

大同とはかなり古い神社だということが分かります。そしてその時にこの小原の地に祀られたのが、「石按比賣神」ということのようです。では、「石按比古は?」という事になりますが、それは[大鳥羽との関係]項で説明します。

かなり古い神社といいました。『越前若狭の伝説』によると、

小原の石按神社は鳥羽谷一帯で最古のお宮であると言われ、式内社であると信じられている。
引用:『越前若狭の伝説』

ということで、この鳥羽の谷を代表する神社だったのですね。

では、どのような経緯での創建だったのか。その由緒に関わる言い伝えを見ていきます。

創建の言い伝え

山城国(京都府)愛宕郡小原の住人で尺太郎・尺次郎という兄弟が当国へ下り、ここを見立てて、鳥羽谷の杉を切り、深山を開き、この小原山内に居住した。しかるにおりおり山が鳴り響いた。このような震動は、この地に神社がないからであろうと考え、相談して朝廷に奏上した。岩倉大明神を移せとの仰せがあり、ここに勧請した。
引用:『越前若狭の伝説』元『社寺由緒記』 『上中町郷土史』にも同じ内容

尺太郎・尺次郎という兄弟がこの鳥羽を開いたとのことです。

この尺太郎・尺次郎とはいったい何者なのか謎ですが、一般的には「新年の神事に関係する芸能」?の意味があるようで、神社に深い関りのある名前のようです。創建に関わる人物としてこの名でよばれていたのか。そこまではわかりません。

いずれにしても、先ほど「鳥羽谷最古の神社」とありましたが、鳥羽谷を開いた人が祀った神社ということなら、その言い伝えも納得です。

石按比古比賣神社石垣

立派な石垣があります。見てわかる通り荘厳。鳥羽を開いたときに創建された神社としてふさわしいままに現在に伝わっているのですね。

 

ちなみに、「山内」がたまに出てきます。同じ鳥羽谷にあるのですが、この山内の古城神社の境内社にも小原石按比古比賣神社があるのです。

大鳥羽との関係

さて、先ほど少し触れましたが、石按比売神は元々小原に祀られていた女神です。では石按比古神はどこから来たのか。これは、同じく鳥羽村の大鳥羽にある石按比古比賣神社に関わってきます。

大鳥羽村なる石按彦神祠は式内石按比古神社にて当村なるは式内石按比売神社なりと言えり神社私考の説に拠るなり。
稚狭考云 石按比古神は大鳥羽村より移し祭る故に式外とし石按比売神社は式内なり若し二座ともに式内なれば社二社あるべし彦神を式内として大鳥羽に鎮座なり。寛文書上にても両社に一社ずつ式内あるように書上あり
引用:『上中町郷土史』


寛文七年(1667)に大鳥羽から夫婦神の石按比古神を勧請した。
引用:『御大典記念福井県神社誌』

元々小原の石按神社は石按比売神だけだった所に、寛文の時代に大鳥羽の石按神社である石按比古神の分霊を移して、夫婦ともに祀り始めたというのが、現在の「石桉比古比賣神社」の形の始まりだったという事です。

これと同じく、大鳥羽の方も現在は「石桉比古比賣神社」です。[石按比古比賣神社(大鳥羽)古の神と勧請し合う夫婦神【若狭町】]で紹介しますが、こちらも小原の石按比売神を移したという事で、お互いに分霊を移し合って、2つともが夫婦で祀り始めたというのが、この「石桉比古比賣神社」なのですね。

なんかいいですね。夫婦で祀るの。私は好きです。

酒井忠勝の改修

こんな由緒ある神社ですから、小浜藩主酒井忠勝による改修を受けたといいます。

正保年中酒井忠勝公崇敬ありて、社宇修補のことありしと伝う。
引用:『福井県神社誌』

正保二年(1645)酒井忠勝公が本殿を改修したと棟札に記している。
引用:『御大典記念福井県神社誌』

とはいっても、酒井忠勝は結構いろんなところを改修しています。この神社もその一つだったのでしょう。

石按比古比賣神社社殿

本殿です。と言ってもこれは囲いで二重構造なので、この中にさらにあります。

一応『御大典記念福井県神社誌』には、本殿の名目で

亜鉛鉄板葺

とかかれていたので、これが本殿として間違いはないでしょう。

大蛇退治伝説

伝説

さてこの神社には、伝説があります。

昔、鳥羽村のまだ開けない時分に、長江区の淵から大きな蛇体があらわれて、毎年この地方の子供を一人ずつ取り食った。これを食わねば村中を荒らして歩くというので皆が大層困っていたところが、岩按という人がその蛇を退治してくださった為、小原区に岩按神社をこしらべて岩按さんをお祭りした。そのため今でも神社のお祭りには必ず蛇をつくり能舞をされるのである。
引用:『福井県の伝説』

 京都の小原から尺太郎・尺次郎が移った頃、鳥羽谷の中央一帯は大きな沼だった。沼を隔てて小原の向かいに長江の赤淵という所があり、大蛇が棲んでいた。夜に農作物が荒らされ、人畜にも危害が加えられた。そこで朝廷に奏上すると「神なきが故であろう」とのことだった。
 尺太郎・尺次郎は自分の出生地から岩倉大明神の分霊を勧請し小原に祀った。この神の力により、大蛇は退治され、村々は平和となった。
 山内の明応寺に退治された大蛇の骨という物が寺宝の一つとして保存され、毎年お盆には箱を開いて虫干しをする。
参考:『越前若狭の伝説』

小原前の田園

鳥羽の谷。ここが昔は沼だったのですね。どこかに大蛇がいたのでしょうか。

 

さて、これまた尺太郎と尺次郎が出てきています。

先ほどの神社創建由緒では、「山が震動するから神社を建てた」としていましたが、伝説では「大蛇が暴れるから神社を建てた」という事になっているようです。まあ、無理やり結び付けると、「大蛇が暴れて土地が震動していた」という風にできなくはないですが、これは分けて考えるべき言い伝えなのかなとも思います。

尺太郎と尺次郎。一体何者なんだ・・・。

 

伝説で「明応寺に大蛇の骨がある」としています。

明応寺

この大蛇の骨について、『上中町郷土史』が思いっきりカミングアウトしています。

その骨は南方の海にいるネコザメの骨によく似ているという説もある。
引用:『上中町郷土史』

しかしそんな温暖な気候の海に住んでいるネコザメの骨がなぜこんなところに?という疑問も出なくはないです。あくまで「似ている」というだけなので、ネコザメかどうかはわかりません。こういうのは謎のままの方がロマンがありますね。

ちなみに尺太郎・尺次郎について、神社近くに尺屋敷という地籍があるようで、そこが尺太郎・尺次郎の屋敷跡という事のようです。

特殊神事

特殊神事:王の舞、獅子舞

こちらが大蛇退治伝説をもとにしているそうです。でもなぜ2つの舞なのでしょう。

大蛇の頭を象った獅子舞(普通の獅子舞より平たく長く黒っぽい)の装束をした若者二人が、子供を追って境内を暴れまわる。石按神に扮した選良の子供が天狗の面を被り、鉾を持って太鼓の拍子に身振り面白く踊り、遂に大蛇を退治し鎮める意味の舞をする。王の舞という。
参考:『上中町郷土史』『越前若狭の伝説』

ということで、この舞は大蛇退治のお話を現わしており「獅子舞=大蛇」「王の舞=石按神」という事だったのですね。

王の舞は若狭で良くされている特殊神事ですが、ここもしているのです。

石按比古比賣神社神楽殿

本殿のある一段下に、2つ建物があります。王の舞は左の神楽殿?のような場所で舞うようです。調べると写真付きでネットに出てました。

すると、右の建物は控室かな?

               

境内

天神社(天満宮)

石按比古比賣神社天神社

本殿の左に天満宮があります。

郷土史によっては「天神社」だったり「天満宮」だったり書かれていますが、現地の寄進名簿?のようなものに書かれているのは「天満宮」でした。

「大改修」ともかかれ、その通り他の境内の建物と比べると木が新しく、結構最近改修したということが分かります。

桓武社・金比羅神社

石按比古比賣神社桓武社・金比羅神社

本殿の右に2つの社があります。

左の方が「桓武天皇(桓武社)」。右の方が「金比羅神社」です。

由緒不詳です。しかし古くからあるようです。

古の社

語り継がれる創建の伝説は今も王の舞と獅子舞によって可視化された状態のまま伝わっています。

これが如何に素晴らしい事か。

神社の荘厳もまた、ぜひともこの王の舞獅子舞と共に、今後とも絶えることなく繋いでいってほしいものです。

参考文献
『越前若狭の伝説』
『御大典記念福井県神社誌』
『上中町郷土史』
『福井県の伝説』
『福井県神社誌』

基本情報

最寄り駅JR小浜線大鳥羽駅から徒歩21分
自動車若狭上中ICから4分
駐車場神社前にちょっとしたスペースがあります

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