中野重治墓所(太閤ざんまい)と彼岸花【坂井市】

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福井県の彼岸花の名所として、いつの間にか有名になった中野重治の墓

私も行ってきました。なので、中野重治についても少し調べましたので、記載します。

花見の特集は、桜や彼岸花などの名所・穴場のまとめ記事があります。

>>【福井県】桜の名所・花見スポット -有名から穴場まで情報一覧

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※当記事がそのページの場合があります。

意外と近くにも、名所や穴場があるかもしれません。

どこにあるのか、どんな場所か

太閤ざんまい

福井県坂井市丸岡町一本田集落の田んぼの中に、島のように浮かんでいる場所があります。
これが中野重治墓所です。

この墓所へは、田んぼのあぜ道を歩いていくしかないです。

ちなみに向こうに見える木々が茂っている場所が、中野重治生家跡です。

国道8号線の丸岡庁舎口交差点を西へ進むと、北の方にこの島が見えます。丸岡城にもほど近い場所ですので、ついでに見に来るのもいいかもしれません。

彼岸花の名所「中野重治墓所」

現地の様子

中野重治墓所

もうすでに彼岸花が凄いです。

奥には古い墓が並んでいます。中野重治の家の先祖代々の土地です。先祖の墓もおいてあるのでしょう。ほとんど笏谷石製に見えますが、一番左の物だけ赤い石です。

ここは、「太閤ざんまい」とも「中野さんまい」ともいわれています。「さんまい」とは墓のことですね。基本、火葬場や土葬地のある墓のことを「サンマイ」というので、ここもどっちかなのでしょうか。

中野重治墓所越前式石廟

大木の根元に石祠の屋根部分がありました。
何か祠があったのでしょう。中身はありません。それとも、先ほど並んでいた墓石のどれかが中身だったのでしょうか。

太閤ざんまいとは

別名「太閤ざんまい」
太閤って秀吉ですね。なぜ・・・?

『福井県ふるさと文学館』のサイトによると、秀吉がこのあたりを検地したときに接待したのが中野家だったらしく、それでこの地をもらい受けた。ということらしいです。

中野重治という方も有名な作家ですが、やっぱりそういう人って、生まれながらに名家だったりするのですよね。

ただこれについて、郷土史を見てみましたが、「太閤からもらい受けた土地」というよりかは「太閤検地から除地」と書かれていました。まあ、ある意味もらい受けたという事かな?

彼岸花の名所

中野重治墓所彼岸花

撮影は2022年9月20日前後

いつの間にか彼岸花の名所となったのですが、成るべくして成ったのでしょう。

ここまできれいに咲いているとは。

まあ、写真の撮りようではあるのですがね・・・。でも写真がうまい人なら、結構いい感じになるのではないでしょうか。墓所なので、入るのがあれな人もいるかもしれませんが、敷地外からでも充分撮れます。

中野重治

生まれや幼少期、作品など

さて、墓所に行くからには、その人のこともそれなりに調べなければ礼儀じゃないかな?みたいなことを思ったので調べました。

中野重治は明治35年に一本田に生れ。中野家は豊原寺三千坊の内の中野坊から出たと言われる旧家で、中野さんまいは太閤検地の時から除地となっている。
参考:『丸岡町史』

おー、やっぱり元々が名家だったようですね。生まれながらにして運命は決まるのか・・・。

ただ、重治の両親は朝鮮へ行っていたそうで、祖父母の元で育ったと言います。祖母から聞く昔話が楽しみだったそうです。

『丸岡町史』の方でもかなり説明されていますが、なんだかその説明文が小説の文みたいになってます。中野重治についてのことなのか、詩なのか。また後の『増補改訂丸岡町史』の方にも書かれています。
「地元の真冬の登校風景、田園の風景、福井地震などが影響しているよ」みたいなことかな。

相当郷里に愛着を持ち、作品を書いていたという事です。

中には、『歌のわかれ』という本にて、その回想に

安吉が知ってから、ここへ葬られた肉親は三人であった。最初が祖母、次ぎが兄の兵馬、その次ぎが祖父だった。と、一抱え半もある杉や五,六本茂っている中野さんまいを書いている。
引用:『増補改訂丸岡町史』

としており、作品の中で今回の「中野さんまい(墓所)」を連想させる場所を書いているということです。自伝的小説というジャンルを書いている人だったので、その通りだったのでしょう。実際、重治自身、祖母、兄、祖父の順に肉親を亡くしています。

その後

『高椋4500年の歴史をひもとく たかむく玉手箱』には、その後の中野重治について書かれていました。

昭和6年に共産党に入り、同7年に治安維持法違反で刑務所へ収容、同9年に出所。
その後、戦後も執筆活動をつづけながら、政治的部分も関わっていたようで、共産党へ再入党し、同22年に参議院になったようです。龍北中学校校歌、丸岡中学校校歌を作り、昭和54年で77年の生涯を終える。

翌年55年に、重治の遺志で生家屋敷跡が丸岡町に寄贈されたようです。
また、毎年8月(亡くなった月)には、ファンが集い、「くちなし忌」なるものが行われているそうです。

遺志で家の跡を町へ寄贈とは、どこまでも郷土愛を貫いた方だったのでしょう。

郷土愛を貫いた人の名所

今回、彼岸花を見に行くのが目的でしたが、中野重治についても結構見てきてしまいました。

家跡を町へ寄贈。作品にも郷土のことを書き続け、地元の中学校の校歌も作った。

どこまでも郷土に愛着のあった、そんな人の墓が今、福井県を代表する彼岸花の名所となり、多くの人に知られ訪れられている。

私は中野重治を詳しく知っているわけではありませんし、全くの縁もゆかりもありませんから、軽々しくものを言える立場にはないのですが、郷土を愛した人間にとって、自分に関係する場所が福井県を代表する名所となっていることは、中野重治も喜んでいるかもしれません。

参考文献
『福井県ふるさと文学館』
『丸岡町史』
『増補改訂丸岡町史』
『高椋4500年の歴史をひもとく たかむく玉手箱』

アクセス

最寄り駅は、丸岡駅からバスに乗り換え一本田で下車、徒歩8分。
または福井駅からバスに乗り換え、丸岡バスターミナルで下車、徒歩10分。

駐車場はありません。

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彼岸花の名所をまとめています。↓

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