福井県坂井市(丸岡町)内に現存するえちぜん鉄道の前身「京福電気鉄道」にあった永平寺線廃線跡の今をたどります。
丸岡口駅のバスターミナルは線路のデザインや西瓜屋駅、乗兼駅、橋の土台や盛土跡、カーブなど多くの鉄道遺構を残します。
京福電鉄永平寺線
かつて京福電鉄として金津~永平寺口間を走っていた路線。
昭和4年(1929)12月 新丸岡駅 – 永平寺口駅間開業。
昭和44年(1969)9月 金津駅 – 東古市駅間廃止。
廃線になり既にかなりの時間が経っている金津~永平寺口間の路線ですが、まだまだ跡は残っています。
今回は坂井市内(丸岡町内)の遺構と一部永平寺町内の遺構、「丸岡駅 – 永平寺口駅間」の廃線跡を辿っていきます。
<2023年6月末発刊の新刊>永平寺口
現在の永平寺口駅。かつては東古市駅という名前でした。
駅舎が新しくなりましたが、古い駅舎も保存されています。
今ではえちぜん鉄道勝山線の中継の駅ですが、かつては勝山・福井・永平寺・丸岡の4方向に路線が伸びていた重要な駅でした。なので、現在もその名残か駅の線路は3本あります。
ちなみに近くの交差点には東古市の標識があります。
東古市斜め
現在の永平寺口から福井方面側の生活道路から線路跡と思われる場所があります。
一段高い台に白い柵がありますが、おそらくこれが丸岡方面の路線跡です。地図を見てもらえばわかりますが、線路跡に沿って斜めに延びている土地があります。
九頭竜川橋梁の盛土・土台(鳴鹿)
九頭竜川を渡り、鳴鹿という地区に入ります。そのすぐ川沿いにいまも盛土が残っています。当時の形のまま残っており遺構を伝えます。
九頭竜川鳴鹿土地改良区という施設近くから全容を見ることができます。
上久米田カーブ
更に山側に入って行くと、ここから丸岡町の方へ延びるようにカーブで方向を変えてゆきます。
鳴鹿駅付近です。
田園を曲がってゆく道なのでわかりやすいです。
県道17号線
県道17号線が線路跡になります。
ここからしばらくは遺構はほとんどありません。線路を道路に換えたものです。
楽間駅
楽間駅付近です。
古い地図で見ると、ちょうどこの意味ありげな分岐路あたりが駅だったので、右へ行く小さい道が昔からある道なのでしょう。駅前に延びていた道なのかもしれません。
曲がらずまっすぐ
しばらくずーっとまっすぐ進むと高速道路の下をくぐります。すると県道17号線は写真のようにカーブしてゆくのですが、昔の路線はカーブせずここもまっすぐ伸びていたようです。その遺構は全くありません。
土地の塀の斜め
県道17号線からは逸れて、先ほどのカーブをまっすぐたどった先にある境界塀です。
意味深な斜めの塀ですが、この斜めに沿ったものが路線跡のようです。はっきりと何か残っているわけではありませんが土地の形として残っているタイプですね。
西瓜屋駅
完全に町中に入り、しばらくすると西瓜屋駅の跡がある場所が現れます。
かなりはっきり駅ホームの遺構が残っています。
駅の構造も観察できます。コンクリートの土台もあれば、鉄筋の土台もあります。まさにホームです。
本丸岡駅
本丸岡駅の近く、元駅の南側です。まず今畑があり用水が流れている所があります。今赤い車が止まっているあたりが当時の線路だと思われます。雑草生えてます。
その先北へ進むと。
バスの基地があります。京福バスです。当時も京福電鉄の駅だったので、引き続き京福の土地のようですね。
そして現在も大きなバス停として、ターミナルとなっています。
鉄道路線が消えても、重要な駅となっているのです。近くには現存12天守である丸岡城があるので、観光客も想定しているのでしょう。
といっても昔はこんなにきれいな場所じゃなかったんですが、どうやら最近整備されたみたいですね。
かなりきれいになっています。広場もあるし、展示や屋内施設、出店までありました。
さらにはこんなものも。
線路の模様があるのです。これは素晴らしいですね。向こう側が永平寺方面です。
何年越しに鉄道路線の歴史を意識したものをここに置いたのでしょうか。廃線にも需要を感じ始めたのでしょうか。心なしか向こうの屋根も駅っぽく見えます。
そして分岐まで表現されています。
まっすぐ(右側)が金津方面。
左側が現北陸本線丸岡駅方面。
ですね。
すばらしいです。
しかもなぜか京福バスの車庫が道路をまたいだ向こう側にあるというのも趣があります。
元々あの広場は駅だったから、こちらが廃線直後のバス基地だったのかもしれません。わかりませんが。
本丸岡手前
本丸岡を過ぎて北に向かう廃線沿いに、このような場所があります。一見ただ廃線跡が更地にされ駐車場になっているだけのように見えますが、両サイドの支柱。これは当時の物でしょう。明らかにただの駐車場にあるものではないです。線路のわきにある支柱であろうと思われます。
田島川橋土台
駐車場の空き地のすぐ先に田島川があります。ここに残る橋梁の土台跡が著しく残っています。
駐車場を見ていた道からも見れますが、川沿いにちゃんと遊歩道があるのでそっちに向かいましょう。
対岸の土台。素晴らしいですね。
しかもその向こうにもあるのが見えるでしょうか。個人宅のようなのではっきりと近くでは撮れませんが、私有地の庭に土台があります・・・。凄いですね。しかも花壇を置く台にされているようです。いいセンスです。しかも残してくれているのが素晴らしいですね。
振り返ると、本丸岡側の岸もちゃんと残っています。今は草木が茂っていますが、盛土・土台がちゃんと残っています。
それになんか変なものもありますね。
これは何でしょう?
下には車輪のようなものもついていますし、何か廃線跡を使って運搬していたのでしょうか。その名残?
よくわかりませんが、鉄道関連であることは間違いないかと思います。
一応対岸も遊歩道で行けるので、そちらからも撮っておきましょう。
千田カーブと土台跡
丸岡の街はあの後の遺構はないと見たので、街を北に越えて県道17号線に出てきました。そして田園をカーブしていきます。
ここにも土台がありました。線路跡と思われる道も残っています。この先は街を出て、この先田園地帯と集落になります。
五味川土台跡
五味川を北に越えると、今の車道から土手伝いに少し進むと土台が残っていました。見た感じこれも個人宅の境目にあるようですね。よく壊さず残してくれたものです。
長畝駅
私有地っぽいので近づくことは難しそうですが、むこうに意味深なコンクリートの長い物体がありますね。
古い地図を重ねると、この辺りに長畝駅があったようなので、その遺構と私は思っています。
長畝土台跡
何でもないような道に土台がありました。用水のためでしょうか。3重ぐらいになっている土台ですね。
こういう意外な所に残っているものなのですね。だから廃線跡はおもしろい。
竹田川橋梁土台跡
竹田川に差し掛かりました。ここの遺構も顕著です。
両岸に土台が残っています。やはりこういう川や用水にはしっかり残っているものですね。
対岸の土台はまさに橋梁の土台らしく立派です。
乗兼集落内土台跡
乗兼集落に入りました。
今は本当に何でもない集落で、鉄道路線がここにあったなんてわからないくらい、それなりに年季の入った家が立ち並んでいます。
しかし地図で見るとこの集落を貫いているので行ってみると、なんとあるんですね。
素晴らしいですね。
写真撮影場所一覧地図
以上、永平寺線坂井市内でした。この先はあわら市に入るので、又あわら市編で見てゆきます。まだまだこの先も遺構があるのです。
最後に掲載した写真を撮った場所の地図を載せておきます。
あわら市、永平寺町の方とも共有していますので、当サイトで取り上げた永平寺線の遺構の場所は全部見れます。
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