佐山姫公園から皇子が池へ ~継体天皇の旧跡を訪ねる【越前市】

第26代天皇、継体天皇(男大迹皇子)。

福井の治水や大和の政治に貢献したとされる天皇です。

その継体天皇に関係する旧跡が、紅葉と桜で有名な粟田部の花筐公園と隣接する形でたたずんでいます。

今回は、花筐公園近くの佐山姫公園の由来佐山内にある皇子が池、佐山天神などを巡り、粟田部の地名の由来も探りながら継体天皇の旧跡を見つけて行きます。

佐山姫公園

どんな場所か

佐山姫公園

花筐公園へ車で来る際には、この佐山姫公園の駐車場を使うことになります。大型バスもここに停めることになります。

花筐公園の記事は別であります。

レンガが敷き詰められた広場には小屋が一つ。端にはトイレがあります。周りは桜らしき木で囲まれています。広場はなぜか駐車場と化していて、遊べるところではなくなってそうです。

花筐公園と隣接していますが、別の公園として区別されているようです。なぜこの「佐山姫公園」という名前で区別されているのでしょうか

それは、この「佐山」の地名に関係します。「佐山姫」という名前も、継体天皇と深いかかわりがあり、公園の名として残そうとしたものと思われます。

佐山姫とは

佐山姫と継体天皇

実は、佐山姫公園入口に簡単な説明が書かれています。

佐山姫とは、継体天皇が越前にいた時のだった人で、佐山姫公園はその人の御所跡だということです。

看板には、佐山姫と思わしき人が思いっきり花籠持っていますが、『花筐』の照日の前とは関係あるのか?

『福井県史』などで上げられる、継体天皇越前潜竜の際の8人の妃の中には、「佐山姫」の名も「照日の前」の名も載っていません。(下記越前潜竜の8人の妃)

  • 目ノ子媛
  • 稚子媛
  • 広媛(坂田大跨王の娘)
  • 麻績娘媛
  • 関媛
  • 倭媛
  • 荑媛
  • 広媛(根王の娘)

それとも別名で記されているだけなのか。

照日の前は架空の人物または、モデルがいるということですが、佐山姫はどうなんでしょう。

郷土資料を見ても、佐山姫の御所については触れられていますが、佐山姫自体についてはあまり触れられていないので、謎が多そうです。

そういえば、以前取り上げた「大森円墳とはどんな古墳なのか「勇島神社」と謎の魅力【坂井市】」にも妃とされる「琵琶女」という人が出てきましたが、やはりこちらも8人の中には入っていません。

やはり、正式な妃や有名な妃以外にも知られていない人がたくさんいるということでしょうか。

では、この佐山姫公園と佐山姫の御所について詳しく見て行きます

佐山姫と御所(佐山姫公園)を探る

佐山姫に関する旧跡は、どんなことがわかっているのでしょうか。資料から読み解きます。

粟田部佐山という所に御所があり、佐山寺がある。佐山寺とは御籠女の佐山姫の菩提所といわれ、善玖寺のことである。

参考:『今立郡誌』

さて、まずは『今立郡誌』を見ましたが、どうやら佐山姫という人物を肯定しているようです。この『今立郡誌』は、『城迹考』『帰雁記』『越前名跡考』を参考に書かれていましたので、古くから言い伝えはあるようです。

また、佐山寺とは善玖寺のことだというのは驚きですが、この善玖寺はまだあります。今回訪問はできず、確定した事実かは怪しいですが、また今度行ってみたいと思います。

継体天皇越前潜竜の時の妃であった佐山媛の住居跡であったと伝わる「佐山」

参考:『今立町誌』

『今立町誌』でもやはり肯定的で、佐山姫の住居跡という点も記されています。

さらに加えて新しい情報が記されているのが、『味真野郷土史と乃公懐古録』です。

粟田部狭山の地あり、俗に鹿の浦(かのうら)と呼ぶ。男大迹皇子御遊覧の祠あり。狭山神社とて皇子の妃、狭山姫を祀れり。味真野名跡誌に狭山御前といえる妃のおわせし跡にて今に狭山という。

引用:『味真野郷土史と乃公懐古録』

『今立郡誌』を参考にしているみたいですが、そんな記述あったかな・・・。

狭山とは佐山でしょうし、狭山神社なるものがあるということですが、観光マップにも他で調べても出てきません。佐山天神はまた別物でしょうし、謎が増えるばかり。


とにかく、狭山姫に関して地元郷土史では広く肯定的な様子です。住居跡説も定説になっているみたいですね。

記している内容も、参考元が同じだけかもしれませんが、すべて一貫していて、郷土史の年代別でもその内容が覆された様子もなく記されています。

とりあえず佐山姫公園とは看板通り、継体天皇の妃「佐山姫」の住居跡と思っていいのではないでしょうか。

粟田部の由来

さて、狭山姫の屋敷跡(佐山姫公園)があるこの粟田部の地

「粟田部」という名前もまた継体天皇と関係する名前と言われています。

まず、継体天皇ゆかりの地として越前で一番に知っておかなくてはいけないのは、「味真野」という土地です。継体天皇の御所花筐発祥の地とされる場所、能『花筐』でも継体天皇がいた場所とされるが「味真野」なのです。

現在の味真野といえば、粟田部より1km以上南にある日野山、武衛山の麓あたりの地区を想像しますが、実は昔からは辺りの平野一帯まで広い地域を総称して「味真野の郷」と言っていたそう。

その中で、粟田部だけは違う地名で呼ばれていたようです。

粟田部は「男大迹皇子(おおとのみこ)」の宮居の里として「男大迹邊の郷」という風に別の名前で呼ばれ、その「男大迹邊の郷」から、「大迹部(おおとべ)」になり、養老の時代に「粟田部(あわたべ)」となったとされています。

参考:『男大迹部志』『今立町誌』

地名からも読み取れるように、粟田部自体が継体天皇とかかわりの深い土地です。ここ一帯の継体天皇の伝説は、こういった所からも読み取れるのです。

ただもちろん、地名の説は一つではないというのが正直な所。

他にも説はあります。

  • 越前に粟田姓や地名が多いことから、大和朝廷「粟田一族」が由来説
  • 泰澄開山の岡太神社横「粟生寺」「粟生」と「田部(屯倉)」が由来説

以上の説を『今立町誌』が取り上げています。

いずれにせよ、大和朝廷が関わっているというのが共通しているようですね。

では、そんな粟田部の継体天皇の旧跡を見て行きます。

佐山天神祠

佐山天神

花筐公園近く、花筐公民館向かって右横に佐山天神祠が鎮座しています。

ここは、継体天皇が自ら彫られたという「少彦名主命」が祀られています。後に、菅原公継体天皇も祀られるようになりました。

『今立町誌』によると、

数株の柏樹で森々とした場所

とされていますが、現在はきれいに整地され結構開けている印象を受けました。確かに境内周りは数株の木はあります。

境内には説明板もあり、細かく書かれているので現地でもその由緒を見ることができます。その由緒書きの中に、

延享の大火で民を悲しみ涙を流したので、「落涙の天神様」と呼ばれる。

という言い伝えも書かれていました。

それほど重要な所でもありますので、ぜひここにも立ち寄ってみていただきたいです。

皇子が池

現地の様子

皇子が池

天神祠の東隣皇子が池はあります。

瑞垣は池を六角形で囲んでおり、笏谷石製鳥居には木の門が取り付けられており、鳥居と瑞垣は一体と成っています。

瑞垣は天保の時代に、木津成助が私財を投じ造営したのだそうです。

皇子が池正面向かって左に石標と由緒書き右に阿弥陀像がありました。後ろにはカエデがあります。カエデは色あせてしまっていましたが、見頃の時期はきれいなのでしょう。さらに皇子が池と天神祠の間の坂道にも由緒書きがあります。

由緒や言い伝え

皇子が池の言い伝えとして有名なのは、

継体天皇の子「安閑天皇」「宣化天皇」の産湯としてこの池の水を使った

という伝承です。この辺りが御所だったともいいます。

この話については現地でも書かれている通りのことで、広く示されている伝承です。

実はその他にも様々な伝承があります。ここでまとめてみます。

  • 産湯として使ったことから「産湯が池」ともいう。『味真野郷土史と乃公懐古録』
  • 俗人が境界に入ると、白蛇が出て威嚇される。そのため現在も手付かずである。『味真野郷土史と乃公懐古録』
  • 夏、一滴の雨が無くても淡々と湧き出す。『男大迹部志』
  • 中横たわる1つの岩を退かすと、池の水があふれる。『男大迹部志』

このように多くの言い伝えがあります。

白へびが出るとか、岩をどけると水が溢れ出すとか、かなり神聖な場所として昔から伝えられてきた場所だったのですね。

確かに池の中に一つの石が置かれていました。

皇子が池中

そして、水がありませんでした。

水が、ありません・・・。

しかし、安心してください。ちゃんと水は生きています。この皇子が池の東の小道に水が出ている場所があるのです。

ふくいのおいしい水認定「皇子が池の水」

皇子が池の水

不動明王像が建っている小屋に、なんと蛇口で皇子が池の水を汲めるようになっていました。

なんと一通りの設備が整えられています。

そしてここにも、皇子が池の由緒書きがあります。由緒書き沢山ありますね。

そして上には、「ふくいのおいしい水認定」の文字が。
天皇の産湯の水が、まさかの「おいしい水」となっていました。

時代と共に新しい肩書がさらに増えて行きます。

岡太神社

佐山姫公園、花筐公園と隣接している神社です。

こちらは継体天皇が越前治水の際に3神を祀ったのが始まりとされる神社で、境内には継体天皇の聖地の碑もあります。この神社だけでもかなりの深い歴史と遺物がありますので、こちらも見ていくといいと思います。

>粟田部の岡太神社 ~歴史ロマンと秋の紅葉【福井県越前市】

古代の歴史は受け継がれていく

古代、継体天皇時代の旧跡は、「確実」がない歴史の中で、人々の口伝や記録、支援でその形を維持してきました。

そして今は、公園になり、地名になり、現代の新しい肩書まで付きました。

これからも名所として親しまれることでしょう。

参考文献:『今立郡誌』『今立町誌』『味真野郷土史と乃公懐古録』『男大迹部志』


他福井県内の継体天皇の旧跡

アクセス

ここでは、メイン駐車場の佐山姫公園の情報を記載します。

最寄り駅は、JR武生駅からバスに乗り換え、花筐公園口または粟田部で下車、徒歩3~5分
武生ICから9分
駐車場は、隣接する佐山姫公園へ。

マップへ

ちょっと一息

佐山姫公園のある粟田部のそば屋『より処』さんを紹介します。

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