西方ヶ岳・蠑螺ヶ岳・カモシカ台縦走~常宮登山口から浦底へ【敦賀市】

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※ステルスマーケティング防止のため

福井県敦賀市敦賀半島にある山々。常宮神社の駐車場から登ります。

難易度はそれほど高くないが所要時間が長く、山頂よりも展望台からの眺めが良い。

栄螺が岳などの読み方や名前の由来、伝説、名所なども見ていきながら記録。ルートは常宮から登り浦底へと下る縦走ルートです。

概要と歴史

福井県敦賀半島に南北に延びる山々が西方が岳と栄螺が岳。

西方ヶ岳

名称:西方ヶ岳(読み方は「さいほうがたけ」)
標高:764.1メートル『敦賀郡誌』『敦賀市史 通史編 上巻』(『山々のルーツ』では764メートル)
地質:花崗岩

名前の由来の説について…

  • 弥陀三尊の西方極楽浄土に見立てた名前であるという説。
  • 敦賀湾の東浦・西浦の西側の山だからという説。
  • 朝鮮の渡来人が多く移住した地として、望郷のため山上に登り、日の落ちる祖国の西を望んだから「西望岳」といい、それが「西方ヶ岳」となったという説。(新羅人の須恵器が出土している)

以上三つがあるといいます。

『越前十二郡図』や『東遊記』には西方が岳の記述はなく、『東遊記』に関しては西方が岳を栄螺が岳と表記しているとも。

常宮神社の山ということで、西方ヶ岳の中腹付近までが「御山」とされ、一般人の入山、狩猟禁止、伐採禁止になっていた歴史があります。

常宮神社については下記記事で詳しく調べています。

栄螺ヶ岳

名称:栄螺が岳(読み方は「さざえがたけ」)
標高:685.5メートル
地質:花崗岩

名前の由来の説について…

  • 山頂付近の岩石がサザエの殻のような形をしているからという説。
  • 山腹の土中からサザエの殻が出土したからという説。

以上二つがあるといいます。

『敦賀郡誌』によると「山には水晶を産す」と書かれています。

常宮から西方ヶ岳へ

常宮登山口

西方が岳登山口

常宮神社駐車場から集落内を北へ進むと西方が岳の標識があります。あとはこれに沿って進めば登山口まで行けます。

出発時刻は9:11

西方が岳登山口

途中寺を通ります。

前回常宮神社と奥の院などの寺院とのかかわりが深い事を考えると、集落から西方が岳への道に寺があるのも納得して進めます。

西方が岳登山口

反射して見えずらいですが、再び標識です。この先登山口へと入っていきます。

ちなみに上に見える岩が奥の院の岩場付近ですね。

西方が岳登山口

さて茂みのトンネルになっていますね。ここから登山開始です。

時刻は9:15

道中

西方が岳道中

入口以降は本格的な登山道です。

西方が岳道中
西方が岳道中

階段があったりなかったりいつもの登山です。

奥の院展望所

常宮奥の院

ある程度登ると巨岩奇岩が姿を現し、間もなく奥の院展望所に到着します。

時刻は9:26

奥之院展望所

展望所というだけあって岩の上にも登れます。

奥之院展望所

ただし落ちたら死にます。

展望は素晴らしいもので、常宮から敦賀湾、敦賀平野、東浦まで見渡せます。

奥の院展望所
奥の院展望所
奥の院展望所

朝日の光が、まるで氣比神宮から常宮へと渡るかのように光の道となっています。美しいですね。

奥之院展望所

岩には何やら金属の輪っかがありました。なにか繋いでいたのでしょうか。

奥の院の祠への道分岐

ここから少し上がっていくと、奥の院の祠のある道の分岐があります。奥の院展望所というので奥の院も実際にあるのです。

常宮奥の院

登山道中にこのようなハシゴが横たわっています。この先です。

詳しくは奥の院の詳細記事があるので、そちらでご覧ください。由緒や伝説なども書いています。

岩盤らしき登山道

道中

それなりの傾斜を誇る岩盤らしき登山道が少々続きます。

そんなに急ではありませんが場合によっては滑るかもしれませんのでお気を付けください。

鉄塔

鉄塔

しばらくすると分岐が出てきます。道なりではありますが、気になるので左の道を行ってみると

鉄塔

鉄塔の広場に繋がっていました。

鉄塔

真上にこんな巨体があったのに全く気が付きませんでした。下ばかり見て歩いているからですね。

上を向いて歩けとこの鉄塔は言っているのでしょうか。でも登山は下向いちゃいますよね。

道中

道中

稜線に入ったのか平坦な道を一直線です。

道中

東側を見ると敦賀湾を眺望できました。冬よりの秋山登山なので木々の葉も落ちていい具合に見通せます。

巨石の崩壊跡

巨石崩壊跡
巨石崩壊跡

登山道中。急に巨石奇石が山の上の方から谷へと一直線に崩れ積み上げられている区画が現れました。

山の崩壊でしょうか。常宮をかつて襲った大洪水の跡か。木々が石の上に根を張り茂っているのでそれなりに時は経っているものと思われますが、それにしても自然の恐ろしさのようなものを感じる場所です。

銀命水

銀命水

しばらくすると「銀命水」という物が現れます。

確か水場は無いとされていましたが、洪水か何かで水場が新しく生まれたのでしょうか。郷土史にはこの銀命水については一切書かれていません。

銀命水

石と石の間から確かに水が流れています。清流です。命の水。

「銀」とつくのがその清流の感がうかがえますね。

花崗岩の石、栄螺の石

さらに上へあがってゆくと、何やら興味深いものが頻繁に落ちています。

栄螺が岳の栄螺か

これは・・・。花崗岩の石英類なのでしょうか。キラキラと輝いて綺麗です。日に当てると薄紫色に輝いて、まるで貝の内側のようです。

此の浦つづきの山、水昌(晶)多し。砂も亦潔白にして逸品也。
引用:『敦賀志』

郷土史にはこのように書かれていることもあり、もしかするとこれのことなのかもしれません。

これも言ってしまえば、貝を想起させそうです。もしかすると、この鉱石がサザエに見立てられ、山の名前が栄螺が岳になったのでしょうか。これは山の由来の石?

私はその説も考えておきます。

栄螺が岳の栄螺か

こんな感じでいたる所に埋まっています。まるで栄螺が埋まっているようにも見えます。

オウム岩(言葉石)

オウム岩

さらに登り、オウム岩に到着です。

時刻は10:38

ここは郷土史にも頻繁に出て来るほどの名所です。

言葉石(又は鸚鵡石)
当社背の山上二十町許りを登った処に、花崗岩の大岩壁がある、之に向ひ声を発すれば、石の物言ふが如く聞ゆ、これ宝暦年中頃に漁夫の発見したる所と云はれ、古人の紀行文にまで書かれて、一名所となりしが、これ所詮山彦「こだま」にて、反響に過ぎぬ。今も實際明瞭の反響ありて、遠近より観者時々あり。この鸚鵡石のことを記した橘南渓の紀行文東遊記の一節を左に採録する。
引用:『敦賀郡神社誌』

と書かれており、下の文に続いていきます。

『東遊記』
言葉石
予が越前国敦賀にありし頃は、十月の初なりしが、例よりは暖かにして、北国ながらも小春のしるしとて打続き天気うららかなれば、彼地の人々にいざなはれ、其地にて言葉石といふを見にまかりぬ、
(中略)
此宮のうしろに高き山あり、凡そ京の比叡ばかりにも見ゆ、さざえが嶽と名付く、此上に登ること二十八町にして、言葉石の下に至る、三十年許前まで知れる人もなかりしが、ふと木をきるものの、己言葉のひびくを怪しめるより、ここかしこひ伝へて、敦賀よりも人々登り見る事成り、今にては若狭候も遊観の所となりたり、石の高き十三間、横二十間といふ、山の七八合目と思ふ所に、南おもて有り、甚大なるものなり、其間十五六間も隔てて、此石に向ひ呼に、言葉の応ずること石の物いふかと怪しまる、人衆すくなくて来る時は、なんとなく物すごしといふ、かやうの石、伊勢国にもあり、彼地にては鸚鵡石と名付く、
引用:『敦賀郡神社誌』

この岩の発見は天明五年と東遊記に書かれているが、宝暦八年葦陽老人随筆二ツ屋村(敦賀)三右衛門談によれば、更に二十年前の明和二年(1765)だという。
引用:『山々のルーツ』

鸚鵡石ハ後の山上に、二十四・五丁上ニ在り。高さ十丈、幅七丈。
から国の昔がたりと思ひしを今も物いふ石ハ有りけり 資元
引用:『敦賀志』

という感じで、この岩を目的に来るほど昔の人にとっての名所であったといいます。しかもその年代は1700年代まで遡るということでかなり昔から知られていた名所なのですね。

オウム岩

そんな感じで現地にも説明板が設置されています。なのでここは外すことのできない場所となっています。

元々は「言葉石」という名前だったようですが、郷土史を見る限り、伊勢の「鸚鵡石」に倣って、現在は「オウム岩」になったのでしょう。どちらにしても、その名の由来は声を返してくる反響、山彦のようなものであるということには変わりないですね。

ちなみにこんなことも言われています。

「オーム石」も古墳の石室の一部ではないかといわれている。
引用:『山々のルーツ』

オウム岩

かなりの巨石です。これが石室の一部であるという説。なかなかロマンがあります。確かにこの辺りは古墳横穴地帯なのであってもおかしくはないです。でもそれにしてはあまりにも大きすぎる気がしますが・・・。

冬よりの秋山の魅力

さて山頂に向かいます。

道中

道中、このような葉が落ちたブナの森があります。木の葉が落ちて見通しが良くなった森。これこそ冬に近い秋山の魅力ですね。風も冷たいし、良いものです。

西方が岳山頂

西方が岳山頂

しばらくして山頂に到着です。764.1m。

11:09

山頂広場は特に眺望はありません。山小屋があります。

西方が岳山頂

これは避難小屋ですね。泊まれる感じになっています。

さて、ここで常宮の裏山、西方が岳について郷土史を見ていきます。

此の常宮の山ハ、西北に聳え出でて、其の高き事、野坂山に劣らず。恰も栄螺の如し。故に螺岳(さざえがだけ)という。其の頂に登る時ハ、若狭の青葉山より丹後・丹波に至り、また東北の諸山を望ミ、前は近江の伊吹を眺め、堅田・大津の湖端にのぞむ。恰も一大画を開くが如し。
引用:『敦賀志』

これは栄螺が岳のことを言っているのかと思いましたが、常宮の山としているので、おそらく栄螺が岳と西方が岳の両方のことを言っているのでしょう。

さてその眺望を見に行きましょう。山頂のすぐそこに展望所があります。

西方が岳山頂

山頂の西側。岩が飛び出ています。例のごとくこの岩に登ります。

西方が岳山頂

敦賀湾に東浦。下に見えるのは「手」という集落です。左端には水島も見えますね。

西方が岳山頂

北にはカモシカ台と栄螺が岳が見えます。ここからあそこまで行くのですね。

西方が岳山頂

では小屋の横から栄螺が岳に行くとしましょう。休みはありません。

カモシカ台へ

三角点

三角点

西方が岳山頂を出てすぐ、分岐があります。私は無意識に道なりまっすぐに行ってしまったのですが・・・

三角点

なんだかどうも茂みが激しく違うような気がしてきました。それでも道はあるので気になって少し進んでみると。

三角点

そこには三角点があったのでした。

「三&四点会」と「さがしてるかい」をかけた言葉が書かれています。いや誰なんですかこれ書いたの。そういう会が本当にあるんですかね。

何にしても三角点も登山の上では重要なものなので、偶然迷い込んだにしても見られて良かったです。

では分岐に戻ってカモシカ台・栄螺ヶ岳方面へ行くとしましょう。

夫婦ノ木

夫婦の木

タイトル「夫婦ノ木」は私が勝手につけました。

栄螺が岳に続く稜線にある木の門です。こういうの、なぜ特別に感じてしまうのでしょうか。

伏せ木

這う木

少し進むと風景ががらりと変わり、雪の重みで伏せる形になったであろう、背の低い木々が目立つようになってきます。

こういう木々の変化も山の楽しみの一つでもありますね。

稜線

ピーク

稜線を進むので何度かピーク地点になることもあります。木が少ない場所もあり、場所によっては敦賀湾を展望できる場所もあります。

カモシカ台分岐

カモシカ台分岐

しばらく行くとカモシカ台分岐に到着です。

時刻は11:38

ここはちゃんと道しるべが書かれているのでわかりやすいです。一度西方が岳と栄螺が岳のルートを外れてカモシカ台専用の道を行くわけですね。

「尼が池三分 かもしか台五分」と書いてあります。

では行きましょう。

尼池

結構道は繁っていますね。本登山道から逸れているので行く人も少ないのでしょうか。

尼池

むかし盆の十六日に、尼さんが池の水面で姿をつくろい、小判の入った包みを残して姿を消したことから、尼池と呼ばれるようになった。
引用:『山々のルーツ』

という不思議な言い伝えがあるそうです。一体何者だったのでしょうかね。

尼池

尼池。はたしてどれなのか。でも分岐からカモシカ台までの一番低いコルにあるはず。他に分岐は無く、ただ見た感じ池もない。上写真が一番低い場所。道の北側の尼池方向を写した写真です。

『山々のルーツ』では尼池にはミズバショウが生えていると書かれており、自生ではなく昭和三十七年に敦賀山の会の人が植えた物であるとされています。

であれば、ちゃんとした池があるはずですが。ないですね。見逃しているだけなのか。それとも枯れてしまったのか。

というわけでネットで調べたところ、実際に木々茂みの奥にあるようです。ただ案内は無く、しかも池は枯渇しているとのこと。道らしい道はないので踏み後を見つけて迷わないようにとのこと

わかるかい、そんなもの。

カモシカ台道中

カモシカ台

カモシカ台道中はかなり急な坂を上ります。

私の前に登っていた方々はかなり声を荒げて楽しんでおられました。

それでもカモシカ台までそんなに距離はないのですぐに終わります。

カモシカ台

カモシカ台

毛が生えた大岩。

ではなく、枝が岩に這っています。

昭和三十一年八月第八回県民体育大会山岳部門競技会場に決定された時地元の敦賀山の会会員たちが、登山路を拓く際に発見された日本カモシカは、二十頭ぐらい生棲するだろうといわれるが、彼等の一番(ひとつがい)の生棲圏からみて、その半数ぐらいのものであろう。
引用『山々のルーツ』

というので、敦賀の気比の松原にも昔カモシカがいたとされていますが、敦賀は結構カモシカに関する話が多いのです。そんなわけでここが象徴として「カモシカ台」と名づけられたのでしょう。

到着時刻は11:44

本当に5分ちょっとで着きました。

カモシカ台

それにしてもここだけ岩が露出しているという光景も中々見事なものです。

このカモシカ台の眺望の特徴は、敦賀湾側ではなく若狭側の海を眺望できるということです。

カモシカ台

あれは・・・。

カモシカ台

美浜原電・・・!

という感じで原電丸見えです。

カモシカ台

その他さらに向こうを見てみると、三方五湖が見えます。ちょっと肉眼だとあれなので双眼鏡を持ってくるとわかりやすいかもしれません。もう少し天気が良ければもっと向こうまで見えたかもですね。

ここが唯一の若狭方面眺望地点でした。

では分岐に戻って栄螺が岳に進むとしましょう。

栄螺が岳へ

道中「石の美術館」

石の美術館

道中にはいろんな石があります。

丸石が四つ連なったような石。まるで美術館の屋外展示品のようです。

石の美術館

四方向にきれいに割れた石。

さすがに人為的でしょうか。それとも古墳関係だったりしますかね。

こんな感じでこの西方が岳~栄螺が岳は石の芸術を観覧できる美術館なのです。

栄螺が岳山頂

栄螺が岳

栄螺が岳山頂。685.5メートル。

到着時刻は12:13

相変わらず山頂は茂みの中の広場ですね。それにしても大きな石があります。この大石が例の「栄螺の形に似ている石」なのでしょうか。

栄螺が岳

た、確かに・・・。似ていると言われたらそうも見えるような。存在感はあります。てっぺんが狭くそこにかけて広がっている形は栄螺に見えなくはありません。これがこの山の名前の由来の一つということで良いのでしょうか。

栄螺が岳

もう一つの由来はこの花崗岩。石英などが含まれるので場所によっては少し白透明なような?表面も栄螺っぽくはありますね。

もはや何でも栄螺に見えてきました。ここまでにしておきましょう。

栄螺が岳

山頂広場にはこんな看板があります。

どうやら展望スポットがこの先にあるようです。でもかなり茂ってますね。

栄螺が岳

おおっと、これ大丈夫かな。写真ではわかりにくいですが常時屈んで進んでいます。枝が凄い。岩がありますがそんなに大きくない。ここ登るのか?

栄螺が岳

こわー!!

いや落ちたら死ぬ落ちたら死ぬ。

このちょこっとだけ突き出ているそんなに大きくない岩の上に身を任せ・・・。

這いつくばって撮っています。

栄螺が岳

ああ、でも確かにこれは絶景ですね。水島があんなにはっきり見えます。敦賀の東浦から越前海岸の方までずっと見えます。

栄螺が岳

この奇岩。素晴らしいですね。

そして向こうには当サイトでも取り上げた猪ヶ池が見えます。龍の伝説がある池ですね。

栄螺が岳

敦賀方面。奇岩あり。

栄螺が岳

敦賀の町も見えます。新幹線の駅は相変わらずはっきり見えますね。金ヶ崎も見えます。気比の松原は隠れて見えませんね。そういう位置関係です。

ここの眺望は素晴らしいです。超怖いですが。

さて、では下山するとしますかね。私は浦底から下山するので、先ほどの栄螺の岩の後ろから下ってゆくとします。

               

浦底へ下山

木の芸術

木の芸術

道中、石の芸術ばかり見てきましたが、ここには木の芸術もあるのですね。まるで流木のようなものが山の上に在ります。この模様。一体どうしたらこんな模様になるのか。自然は不思議なものだ。

突然の石壁

岩壁

しばらく行くと急に巨石が立ちはだかりました。

岩壁

なんか切れ筋が入っていますが、どうやら回り道しろというのです。

気になって反対方向を見てみると。

岩壁

ロープがぶら下がっていました。ここ登れるんですかね。

いや無理よ。この石の肌。足かける場所無いじゃないですか!この細いロープに全体重を乗せて命を預けろというのはさすがに無理です。

岩壁

登山道の如く後ろに回り込んでみるとこの石の頂上が見えました。なるほどこんな感じになっているのですね。これまた芸術品。この山にはこうやっていくつもかたまっている(それとも割れて丸く風化した)大石が多いですね。

遮る大石

石の芸術

登山道を遮らんとする大石がまたもや。写真写りの影響なのか、色が左右で分かれています。でも実際は同じ色だと思います。形状も面白いですね。うまいことその形になったものだと感心します。

一枚岩展望所

一枚岩

栄螺が岳の見所の一つ、一枚岩です。

到着時刻は12:33

お食事中の方がいらしたので、岩の全貌は取ることはできませんでしたが、本当に「一枚岩」です。

一枚岩

こんな感じで、一枚岩がせり出ています。かなり広い場所でした。

一枚岩

眺めも良いので、確かにここでくつろぐのは良いですね。

謎の線

謎の線

下山道中。登山道にある石に謎の線が入っていました。

なんですかねこれ。なにか擦った後なのか。自然にできた歪なのか。もう片方にあったら重いものを擦った跡なのかなとも思いましたが、よくわかりませんね。

下るだけの茂み

下る

さてもう駆け抜けるように下ってゆきますよ。木々も高く茂ってきました。

ここからはまた茂みに入ってゆきます。

長命水

長命水

しばらく下っていると「長命水」という水場が現れます。

さてこれは郷土史に書かれていました。

蠑螺の長命水
蠑螺嶽の頂上近くに長命水と呼ばれている所があるが水は出ていない。しかしその辺に流れの跡らしきものがあり、土の中から「さざえ」のからが一ぱい出て来る。だから「さざえ嶽」というのだという。
引用:『敦賀の民話民謡』

ということで、これまた栄螺が岳の名前の由来になっているかもしれない場所なのです。しかも栄螺が出土って、それ貝塚ってことですかね。

しかし不思議です。

長命水

普通に水ありますけど!

すごく清らかな水がたくさん流れています。郷土史の長命水はここじゃないのでしょうか。

いずれにしても栄螺が岳の貴重な水場ですね。ということはけものもここに来ることでしょう。さっさと退散しましょう。

あとは下るだけ

後は下るだけ

さて、長命水までは所々登ったり下ったりしていましたが、長命水を過ぎるともう下るだけです。

この門のような木が、下る合図です。逆に言えば、浦底から登って来る人はこの木の門をくぐって、本格的な山の聖域に入るということになるのでしょうか。

水場跡か

しばらく進むと・・・

水場跡か

何やら人為的に組まれた石垣があります。そして水でも流れていたのかと思うような水門らしき穴もあります。

水場跡か

間違いなく石垣です。もしかして先ほどの長命水ってこれのことなのでしょうか。

間違いなく水は流れていた跡でしょう。気になります。

石神様地帯

石神様か

うまいこと五角形に割れた石がいくつも登山道に向かって立っています。よく街道などで見る道祖伸や山神の石のようにも見えます。

なんだかすごい光景です。

昔この道から山を登った人は、拝んで行ったかもしれないと、そう思わせる光景です。私がそう思うのならば、やはり拝んだ人もいるのではないか。

道しるべ

道しるべ

浦底の道しるべです。

こうしてたまにあってくれると間違っていないと確信できるのでありがたいものです。

水島眺望

水島眺望

ふと顔をあげると茂みが開けて水島が眼下にありました。こんなにちょうどよく見えるものなのですね。それにしてもまだ高いなぁ、とぼやいていた記憶があります。

茂みへ入る

茂み

さて緑緑している茂みに入ってゆきます。やっと下山が近づいてきました。

しかしこういう茂みになると、見通しが悪く、しかも獣がいる可能性も大きくなると思われるので、より注意していかねばなりません。というようなことを思いながら進んでいきます。

川に謎の人工物

川に謎の人工物

川が登山道を横切っています。ここで真っ先に思い浮かんだのが獣。水場は怖いです。

靴をぬらさないように慎重に・・・。

と思ったのですが気になる物を発見しました。

川に謎の人工物
川に謎の人工物

なんですかねこれ。コンクリートのようです。

謎のモニュメントなのか。それとも設備の跡?

特に側面に文字などは書かれていないようですが、非常に気になります。結果わかりませんでした。

木の姿

木

これは・・・。何があったんだお前・・・。

木

あー、なるほどね完全に理解した。

完全に理解したところで足がつりました。両足。少し動いただけでダメなやつです。

恐怖。それはまさに恐怖の絶頂。

”それ”を完全に理解した直後に、足がつり、動けなくなるこの恐怖。

それが来たとしても、逃げることも戦うこともできないこの状況。

痛みと、覚悟と、恐怖が入り混じる。

浦底登山口

浦底登山口

てなわけで、何分くらいあの場所で動けなくなっていたかわかりませんが、痛みをこらえ、また歩き方を変えて痛みを抑えつつなんとか浦底登山口までたどり着きました。(それでも記録のために写真は撮り続ける。)

時刻は13:15

浦底登山口

振り返る。山上まで道が続いているようですね。

浦底登山口

とにかく下る方向へ進んで下るだけです。

まあ、ここも安心できる場所ではありませんが、とりあえず舗装された道に出られただけ安心感が違います。

原電石杭

原電の石杭

「原電」と書かれた石杭がかなり頻繁な間隔で置かれています。

もうすぐそこが敦賀原電です。

本当の下山

浦底登山口

そんなわけで、本当の下山です。ここでやっと安心できます。

時刻は13:18

これにて登山終了です。

 

ではここから歩いて常宮まで帰りましょう。

結果常宮に着いたのは14:39だった。

基本情報

※常宮登山口

最寄り駅敦賀駅からバスに乗り換え常宮バス停下車すぐ
自動車敦賀ICから15分
駐車場境内にあり

参考文献
『敦賀郡誌』
『敦賀市史 通史編 上巻』
『敦賀志』
『敦賀郡神社誌』
『山々のルーツ』
『敦賀の民話民謡』


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