【池田町】廃村、下荒谷集落訪問

福井県池田町下池田地区。

実は、他にも集落だった場所がいくつかあります。そのうちの一つ、すでに数年前に廃村となっていますが、足羽川ダム建設地訪問時、せっかくなんでちかくの下荒谷集落跡に行ってみようということで行ってきました。

下荒谷への入口

千代谷集落跡の少し西の方に、山へと続く道がありまして、そこから行きます。

 

大木たちが立ち並び、道にくずれてきそうな者共もいます。


下荒谷の歴史と伝説

今回の下荒谷集落には、二つの地蔵さんがあったそうです。

「上の地蔵」と「下の地蔵」です。

 

この「上」と「下」は何を持って行っているのかによって、変わるんですよね・・・。

標高の高い低いなのか、京都に近いほうなのか・・・。

 

わかんないですね!

 

 

とにかくそういった地蔵さんが伝わっています。

この「上の地蔵」「下の地蔵」に関しては、この村の起こりまで歴史をさかのぼることになります。

 

この下荒谷の発祥は『池田町史』によると、

・藤原魚名公の末裔、斉藤加賀守吉信の孫、斉藤志摩守利右のひらいた所。
・豊原平泉寺源照院(池田町史注釈:玄成院の事を指すだろう)白峯教尊床一坊内田教正一族の利右、善願坊、賄役(まかないやく)の平鍋佐左ヱ門を連れて平泉寺より移り住んだ。

という2つの説があるようです。

 

まあ、諸説あるというやつです。仕方ないですね。昔の事なんで。

 

 内田教正や利右は、この前後に平泉寺から移住したのだろう。教正に関する伝説として、蛇谷に住む大蛇の為に一週間の祈祷を勤めたら、蛇は昇天して竜女となったといい善願は大蛇を見て驚死したとも伝える。これは今から四、五百年前のことだといい、前記との間が余りにも離れ過ぎる。隠れ平という所があって倶利伽羅合戦後木曽義仲に敗れた平家の軍勢が隠れ棲んだとか、平泉寺の落人が隠れ棲んだ所という。

『出典:池田町史』

まさかの竜女登場。

ただ、なんだかものすごく難しい話になってきてしまいましたね・・・。

ただこれを見て思うのは、伝説と史実を真面目に組み合わせるのは、歴史が湾曲するので危険だということですね。(たまに筋が通っているときもありますが・・・)

伝説は伝説として楽しみましょう。

 

「竜女」いいですよね・・・。

 

 

 地蔵尊が二ヶ所に祀られてあるが、上(うえの)地蔵の背銘には内田利右ヱ門永禄元年(1558)の刻名があり坂道の安全祈願の為建立された。歯痛に御利益があると、今も尚参詣者が絶えないという。
 藤原魚名(上野介左近将監)の塚と呼ばれるものもある。江戸時代であるが、尼僧がいたのか比丘尼屋敷と呼ぶ所が弥三谷口にある。大蛇に驚いて亡くなったという善願の為に下の地蔵が建てられたと伝える。

『出典:池田町史』

さて、このような流れでこの「上の地蔵」「下の地蔵」が建てられたんですね。

上野介・・・。

 

さてここで、「上(うえの)地蔵」とでてきます。

「かみ」ではなく、「うえ」です。

これはつまり、標高の言い方と思っていいですよね?

 

標高が高い方が「上の地蔵」、低い方が「下の地蔵」でいいですよね!?

 

では、これを抑えていきましょう。


 

下の地蔵

下荒谷への道を走っていると、崖の壁に

明らかに何かが置いてあったような穴がありました。

 

いやわからん。しかし、これは明らかに・・・、

いましたよね?

 

ここにいましたよね。もうなくなってしまっています。移動したのでしょうか。

この先にもう一つ地蔵さんがいたので、こちらが「下の地蔵」であると思われます。

竜にびっくりして死んだ人の地蔵、見たかったですが・・・。仕方ないです。


 

上の地蔵

下の地蔵があったと思われる所からさらにもぼっていきます。

地蔵さんが現れました。

もう片方の地蔵さんはいました。

 

かなり古いことがわかりますね。

「背銘には内田利右ヱ門永禄元年(1558)の刻名があり」

と町史にはありますが、もはや風化して読めません。確かになんか文字みたいなのは見えるんですが・・・。

 

しかし、ある資料を見つけました。

書『下池田の神社と道場のすがた』というものなのですが、ここにこの地蔵さんと全く同じ写真で、こう記されていました。

千代谷境路傍の地蔵 永禄元年(1558)年銘

つまりは、こちらが上の地蔵さんということです。

 

花も枯れきっていないのを見ると、本当に今でもお参りに来る人がいるんでしょうね。


 

下荒谷集落

さらに登っていくと、明らかな集落跡の雰囲気が出てきます。

下荒谷集落に入ります。

自転車があります・・・!

 

水が流れ続けています。

まだまだ生活の痕跡がそのまま残っています・・・!

 

それともたまに来ているとか?

 

石垣だ。

 

ここに集落があったのをあらわしてくれています。

 

これは、天然の石に階段を掘っているんですね。すごいです。

川でいろいろ洗っていたのでしょうね。

 

沢の橋が沢山残っています。

家ごとの橋でしょうか。名残が残っていますね。

 

お?ふるさとの碑か?

 

おお、そうでした。

「利右、善願坊、平鍋」の文字が書いてありますね。

 

豪雪が原因で皆移住したんですね。まあ、仕方ないことですかね・・・。

 

もう少し奥へ行くと、向かって左側に神社が見えてきます。

 

八幡神社

この下荒谷の氏神は「八幡神社」です。

 

氏神八幡神社の薬師如来は、安永三年九月(1774)色が剥落した為に彩色したと伝えられる。明治四十年の神社統合の際には、常安の日宮神社に合祀したことがある。別宮にあった観音や竜僧坊作の上堂様を合祀し、現在の社殿は昭和十五年に建立され、祭礼は十月八日に行われる。

『池田町史』

アブだらけで車から出れませんが、こんな状況。

昔は、「銭社撒き」という伝統行事も行われていたそうです。

下荒谷の伝統行事 銭社撒き(ぜんじゃまき)

 昔からの慣行で、金を撒くことによって、宝が入ってくることや豊作と健康に願いをかけたのではないだろうか。
 旧正月の朝二度目のお宮参りに、お神酒をよばれて一服すんだところで、拝殿の中へ雪をどっと入れてなかなか見つからないように、また滑るようにして、一度に三枚か五枚の金銭を撒いた。
 子供達は真ん中で暴れて拾うが、お参りをした人たちは周りで見ていて近くにきたお金は拾った。お金を拾った子供たちは、「納まった」と口々に叫んだ。

『会報集録郷土史探求 池田歴史の会』

そんな賑やかな場所だったんですね。

そんな情景を思い浮かべながら訪れるのも、こういった訪問の醍醐味です。

 

廃村後はこの神社は他に合祀されたそうです。

 

書『下池田の神社と道場のすがた』には、

「平成十九年に鵜甘神社(水海)に合祀」

とありました。

 

水海の鵜甘神社といえば、「水海の田楽能舞」の有名な所です。

この下荒谷の神様も拝むことが出来るのです。


 

はい、以上が下荒谷集落訪問でした。

昔は大変賑やかだったことがうかがえます。

 

竜女の伝説や、歴史のある地蔵さん。歴史や伝説、伝統行事。各村々の村史は覗いてみると結構面白いものです。

 

無くなっているものもありましたが、大変楽しませてもらいました。

では、記録終了。

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