福井県敦賀市沓見八幡神社。由緒は戦国時代国吉城に籠城した山東十郎の子小八郎が八幡神を祀ったことに始まるといいます。
御祭神や境内社と共に、境内には横穴もありこれもみていきます。
御祭神と由緒
参道の桜が美しい。
祭神:応仁天皇、神功皇后、比咩大明
延暦四年(785)に鎮座。旧説には「天鈴神社と有之候得共、何時よりか、唯八幡宮と奉称号仕候云々」とされる。天鈴神社に関しては詳細不明、根拠は見当たらない。永禄年間(1558~1570)武田氏臣で国吉城に籠城し、朝倉・平田(天筒山城)を撃破したことのある山東十郎の子、小八郎がこの地に隠遁して、先祖代々崇めてきた八幡狼を祀り鎮守社としたのが今の八幡神社の始まりとされる。明治二年神社改めの際に男宮(信露貴彦神社)の氏子と血縁の者と川南の者を氏子として存立。明治七年に村社。
参考:『沓見誌』『御大典記念福井県神社誌』『福井県神社誌』『敦賀郡神社誌』
山東屋敷は隣にあるらしいですが、隣とは・・・。どちらも住宅なので特に写真を撮るわけにもいかず。何か残っているような感じでもないですし。
『敦賀郡神社誌』によると、どうやらその屋敷は神社の南方にあったようです。
それにしても国吉城籠城戦に間接的ではあるものの関係する人物ゆかりの神社だとは。
以前登りましたが、難攻不落の城で何度も攻められているのに結局朝倉には一度も落とされたことがないとか。
そこに繋がっていくというのはおもしろい。敦賀は朝倉の域だったはずで、朝倉が滅んでここに屋敷を建てたのでしょうか。
社殿の前に建物がある古風な神社。石垣も立派なものです。
何よりも目に付くのが参道を占領するが如き切り株。この大きな切り株、以前は大木がありました。『敦賀郡神社誌』には、
樹木 椎 幹圍一丈二尺 一本
と書かれているのでこのことかと思います。
境内社
社殿の向かって右側に、木の社と石祠があります。
木の社が稲荷神社(倉稲魂命)
石の祠が山神社(大山祇命)
境内社と言っても灯籠は立派なものです。
境内の謎の石
謎の石があります。
「キンチヤク」?
巾着?いやそんなわけないか。
敦賀郡神社誌を見てもわかりませんでした。謎です。
日待祭
正月二十日に当番の家で行い、翌朝未明に参拝し祈祷する。この際、けんちん汁を賄うので「ケンチン祭」とも呼んだという。元来は日待は日祭で月に三度朝日を拝する祭りという。仏教から影響を受けて起った祭りとされ、禅寺のけんちん汁もここに関係しているともされる。または徹夜の「警枕(ケイチン)」が訛ったものという説もあるという。
参考:『敦賀郡神社誌』
今も行われているかは不明ですが、そういった祭りがあったようです。
古い村に延暦の時代の神社なので、物珍しい祭りもあるのですね。
横穴
実はこの八幡神社の社殿の背後付近に、何やら怪しい穴があるのです。
大きな幹の木の下にある穴・・・。
そう、横穴です。
結構な空洞があるように見えます。
沓見は横穴の宝庫です。かなりたくさんあります。この横穴もその一つです。
福井県教育庁生涯学習・文化財課のページによると、「沓見横穴墓群B」という名で出ており、時代は中世のものといいます。ただし、『沓見誌』には「古墳後期の横穴式古墳が多数存在」と書かれているので、いったいどちらなのか。
こう見るとなかなか怖いですね。何かいそう・・・。
謎と古の神社
古の歴史を感じさせる風貌。
謎の石と、怪しい横穴。
単純に「神社」だけでは済まされない雰囲気のある神社でした。
参考文献
『敦賀郡神社誌』
『沓見誌』
『御大典記念福井県神社誌』
『福井県神社誌』
基本情報
最寄り駅 | 敦賀駅からバスに乗り換え沓見バス停で下車徒歩6分 |
自動車 | 敦賀ICから13分 |
駐車場 | なし |
他、沓見の神社
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