福井県

あわら市

京福電気鉄道の福井県廃線跡 金津駅・境界杭【あわら市編】

福井県あわら市(金津)に京福電鉄永平寺線(永平寺口~金津駅)の廃線跡が残る。今でもその遺構を見ることができます。さらにこのあわら市の遺構の中には京福電鉄の社標入りの石杭まで存在する。
坂井市

京福電鉄永平寺線廃線 ~丸岡町内・土台・駅跡【坂井市編】

福井県坂井市(丸岡町)内に現存する、えちぜん鉄道の前身京福電気鉄道永平寺線廃線跡の今をたどる。丸岡口駅のバスターミナルは線路のデザイン、西瓜屋駅や乗兼駅、橋の土台や盛土跡、カーブが残る。竹田川や田島川の土台は顕著に残る。県道17号線を進む。
越前市

池ノ上の弥平蛇池伝説と今も残る遺産 ~禅明院跡・龍の牙・小西家【越前市】

福井県越前市神山地区池の上に夜叉が池の龍神伝説に関わる話「弥平蛇池」の大蛇伝説がある。今もこの伝説の舞台や遺物が現存している。蛇池は現地にあり、遺物「龍の牙」は武生に。小西家跡ははっきりと残り、龍の牙を元所有していた禅明院跡もある。
あわら市

七ツ塚の祟り。金津稲荷山に伝わる伝説の真意【あわら市】

福井県あわら市旧金津町に稲荷山という土地があった。そこには七ツ塚と呼ばれる塚があり、そこを掘ると精神に異常をきたすという言い伝えがある。今回その現地と伝説の真意についてみていく。
越前町

小曽原西ノ宮の怪異。幽霊や狐の巣窟は今どこに【越前町宮崎地区】

福井県越前町旧宮崎村小曽原の小字に「西宮」という場所がある。越前陶芸村の辺りにあるといい、狐にだまされた話や気味の悪い怪異の昔話や言い伝えが伝わる曰く付きの場所。どこにあるのか現地の調査も兼ねる。
小浜市

亀が淵の言い伝え ~中名田の名瀑奇岩と聖なる深淵【小浜市】

福井県小浜市中名田地区の一番奥に亀が淵という名所がある。福井の一度は見ておきたい滝である。名前の由来とされる奇岩が散乱し、山奥の谷から流れ出る自然の風景。伝説では龍王の聖地ともいわれる。
越前町

陶の谷の死人坂に伝わる妖怪河童伝説と地蔵【越前町宮崎村】

福井県越前町旧宮崎村陶の谷、長岡グラウンドの近くに坂がある。この坂は「しんじんざか」と言われ、近くにはサンマイがあり、さらに河童に襲われるという話があるなど、かなり曰く付きの坂とされている。
若狭町

安倍晴明が悪鬼を鎮めるために彫ったという地蔵菩薩【若狭町】

福井県若狭上中にある山内・南共同墓地に安倍晴明作の地蔵があるという。なぜここにあるのかの言い伝えと共に、非常にわかりにくい所にあったためどこにあるのかをここで記録する。
越前町

織田のせいがい地蔵(木の末地蔵尊)の伝説【越前町】

福井県丹生郡越前町細野の萩野小学校下にある地蔵堂について見ていく。木の末地蔵といい、滋賀県長浜木の本の地蔵院の兄弟分だという伝説がある。古くから信仰されている。アクセス、バスなど記載。
あわら市

妖怪赤猫の昔話「馬面のばば」の聖地を巡る【福井県あわら市】

福井県あわら市旧金津町八日に「馬面(ばべん)のばば」という赤猫伝説がある。その民話を見ながら聖地を巡り、赤猫が祀られていたという神社跡や事件が起こった現地の今を紹介する。
若狭町

若狭国造膳氏の墓?脇袋古墳群と膳部山のある王家の谷には何が眠っているのか

福井県若狭町上中脇袋に西塚古墳・上ノ塚古墳・中塚古墳・糠塚古墳が現存しているため聞き込みと調査を開始。膳臣が治めたとされ、膳斑鳩の古墳という説もある。膳部菩岐々美郎女の一族であり、聖徳太子と若狭地方の関係もささやかれる中、見過ごせない土地である。
小浜市

中名田保育園イルミネーション 穴場の名所【小浜市】

福井県小浜市中名田地区の保育園でイルミネーションが行われていた。SNSでも告知されているイルミだが、小浜の山の方の地区ということで、知る人ぞ知る穴場の名所なのではないかと思われる。
若狭町

若狭東商工会横公園「冬の陣」イルミネーション【若狭町】

福井県若狭町レピア横の公園とそれに沿う通りから「レインボー通り」の名でイルミネーションが行われた。期間や点灯時間、現地の様子、駐車場などを紹介。
若狭町

勝手神社(脇袋)とは膳手か?御祭神と由緒は?【若狭町上中】

福井県若狭町旧上中町脇袋の氏神勝手神社。御祭神は受鬘命。この神社はいったい何者なのか。膳氏との関係はあるのか?創建や由緒、境内の様子を見る。勝手神社古墳という円墳も存在する。
敦賀市

西福寺の仙人岩伝説 ~天狗と囲碁をさした和尚【敦賀市】

福井県敦賀市の古刹西福寺。観光名所としても有名な大きな寺だが、ここの裏山に岩がある。ここの和尚が、天狗(または大入道)と囲碁をさした場所であるという。山中には大岩がいくつか見える。
あわら市

総社金津神社 ~御祭神や歴史をたどる~【あわら市】

福井県あわら市の金津神社はかつて大溝神社・春日神社と呼ばれ、継体天皇との関わりが深く腰掛石もあるという。福井大震災により町内の神社が一斉合祀された歴史を持つ。これを以て総社とする。