福井県高浜町青郷にある神社で祭神は椎根津彦命。さらに皇女飯豊青海皇ともされる。
青海の読み方は「あおうみ」、現在は「せいかい」とも呼びます。禊池はよく知られており、皇女が禊をした場所とも、青葉山の蛇が落ちたところともいわれる。そんな青海神社を今回見ていきます。
御祭神と由緒
祭神:椎根津彦命
合祀:応神天皇、比咩大神、神功皇后、倉稲魂命
『高浜町誌』の「若州管内社寺由緒記」に「御神体は阿弥陀如来」と記されていると言います。
特殊神事は「柴の実入れ(柴叩き)」。
これまた独特な神事ですので、ぜひ調べていただければと思います。簡単に言うと、神主の背中を氏子2人ほどがシバ(樫の小枝と稲穂を束ねた物)で叩きます。柴の葉が落ちるほど豊作になるといわれます。
ちなみに『郷土誌青郷』によると、青海神社のもとは横津海地区(青郷駅の南の谷)にあったともいわれ、その昔洪水で流され現在地に仮宮を建てた際に樫の木を生垣に使ったことが、この柴の樫の枝の由来ともいわれているようです。
青海神社は延喜式が初現である神社。創建は不詳ですが、若狭一之宮創建と同時期ともされます。(養老年間)
明治41年以前は祭日が八月一日で、すべての村が休業、大田和区民は太刀振・号砲を奉納。子供が生まれると神社に参拝し命名を神前に仰いだといいます。
一般的には「青の明神」と言われていたといい、昔は青郷、内浦の産土神であり、明治時代にそれが改められて日置、青、横津海、関屋の産土神となったといいます。
読み方は、正しくは「青海(あおうみ)神社」。
俗に「セイカイさん」「大森さん」「青の明神」ともいう。
他に『若狭国神名帳』には「正五位青海明神」、『稚狭考』には「青海大明神」、『大飯郡誌』には「海の神」ということで載っており「青の海神(アマノカミ)」、「アマミ」と読むとも。
さらに伴信友は「阿乎乃和多乃神乃社(あおのわだのかみのやしろ)」とよむといっているようです。
最近思うのですが、この伴信友さんって結構癖の強い方だったのですね。
この青海神社には「青海皇女」が祀られるとも言われていますが、祭神は「椎根津彦命」であるといいます。
椎根津彦命は神武天皇東征の際に仕えた存在で、海運漁業陶業殖産興業に神徳のある神であり、青海の首の祖神でもあるといいます。本居宣長の古事記伝に「履仲天皇の子(一説には孫)と言われる飯豊青海皇女を祀る」と註記されているようです。
青海皇女はここから来ているのでしょうか。
社殿正面横に階段がついているなど、かなり物珍しく見てしまう造形。中も外も見ごたえがあります。
祭神がいまいち安定しない神社も、むしろ古いが故のことのようで逆に特別感が増します。
神社の歴史
- 創建年代不詳 『郷土誌青郷』では若狭一之宮創建時養老年間(717~724)と同時期頃ではないかともされる。
- 寛政七年正一位御贈位の御幣帛と社位社名を金書
- 藩政時代に酒井若狭藩主時々参拝
- 明治元年に産土神の地区を改め
- 明治四十一年に大正天皇行啓に際し、祭日を八月一日から十月十七日に変更
- 明治四十三年に同村の横津海八幡神社、稲荷神社を合祀
- 大正十三年に郷社へ。神饌幣帛料供進神社に指定
青郷と青海皇女
見た通り、やたらと「青」が出てきます。この神社のある地区も「青」。
鎮座地の青は、平城宮址出土木簡に「青里」「青郷」と記されており、朝廷の大贄の貢進地であり屯倉であったと推測されているそうです。
藤原時代の『和名抄』には「阿袁郷(あおのごう)」、鎌倉時代の大田文には「青保郷」となっていてその地域は青葉山麓一帯の青郷、内浦地区を包含していた。江戸時代になって青葉山南山麓地区に局限され、青郷(せいきょう)と呼称されるようになった。
引用:『わかさ高浜史話』
『高浜町誌』では、青の地名はこの皇女の名に由来すると書かれています。
『大飯郡誌』では、青の称は上古に遡るといい、青海首椎根津彦命。飯豊青皇女また忍海部の御名代との説も。
若越小誌には「履仲天皇の青海皇女は飯豊皇女又、飯豊青皇女とも云ひ、若狭に御名代りの地を有せられり。阿袁郷即ち是にして、其郷名之より起る」と書かれていると。
青郷は人皇十七代履中天皇の皇女青海皇女(または飯豊青皇女)の御領地であったので、この郷の名がおこった。
北畠親房の名著『神皇正統記』によると、青海皇女は人皇二十三代顕宗天皇と二十四代仁賢天皇が皇位を譲り合われたので、十一か月間皇位につかれたが在位が一年に満たないので皇代には入っておられない。
青海神社の祭神はこの青海皇女であり、境内には皇女は禊をされて青葉山を遥拝されたとの伝説の池がある。
引用:『わかさ高浜史話』
神社誌には祭神に青海皇女のことは書かれていませんが、『高浜町誌』には「青の皇女(いらつめ)」の名が出てきており、この皇女が由来だという説を推しているようです。
この飯豊青皇女は『日本書紀』に書かれている女帝としては推古天皇と並んでたった二人だけといい、そんな方を祀っている神社ということでかなり貴重な神社でもあるということです。加えて天皇としてだけでなく「巫女」としての存在でもあるといいます。
『郷土誌青郷』にはこうも書かれています。
青海神社に祭祀される「青媛皇子」は、地下鉱脈を探り当てることができる不思議な力を持っていた神と崇められており、山岳信仰を集めた青葉山と何か深いつながりを推定させてくれる。
引用:『郷土誌青郷』
巫女的存在というのもこういうことなのでしょう。
禊池(御手洗池)と青葉山遥拝所
「禊池」は神社の後ろにあり、飯豊青皇女の禊をした涌泉の遺址と伝えられ、池水替え神事が7月1日に禰宜役が実施すると書かれています。
池と言っても結構小さな窪のような穴のような、、、という感じです。ぱっと見湧き水があったのか、井戸があったのかと思うような感じです。
池は石垣で囲われているようですね。見た感じ水は張ってませんでした。
それにしても椿の花がちょうど散った時で地面にすごい数落ちていたので絵になります。
本当に社殿の真後ろにあります。ここが青海神社の聖地、始まりの地なのでしょうか。
最初は禊の地から始まって、それが神社へとなって行ったのでしょうか。
小浜の六月祓神社も禊の地であり、歴史は違えど、ここと少し似たような経歴なのではないかとも思えてきます。
青皇女は池で禊をした後、青葉山を遥拝したという伝説があり、それが今も残る形です。青葉山遥拝所も禊池のすぐそばにあります。
先ほどの「地下鉱脈を探り当てる力」という話ともつながるものなのでしょう。
青海皇女が「巫女」という存在というのも、「禊をした」という伝説で確かめられます。
奥の角の所が青葉山遥拝所。
手前の石は出雲大社拝所。
青葉山遥拝所。奥に青葉山が見えています。うっすらと見えるでしょうか。
『郷土誌青郷』によると、この青海神社と青葉山山頂を結ぶ直線状に石剣石戈が出土した前方後円墳が数多くあるといいます。おそらく「小和田古墳群」のことと思われます。
蛇のしっぽ伝説「空を飛んだ蛇」
今まで見た通り遥拝所があるほど関わりの深い青海神社と青葉山。
「青」や「青海皇女の禊池」など伝説を見てきました。ただ実はあまり知られていない、民話のような伝説もあります。
それが「蛇のしっぽ」伝説です。
以前、[青葉山は魔所。土蜘蛛や人魚などの伝説が伝わる【高浜町】]という記事を書きました。
ここでも紹介しましたがもう一度書いておきます。
空を飛んだ蛇
昔、青葉山の麓に大きな蛇が住んでいた。それが里の人が山を越えようとするとき、必ずと言っていいほど、その不気味な姿を現して人々を困らせた。
「あの蛇さえいなければ、もっと安心して山を越えられるのに」
と、何度もその話でもちきりだった。ある一人の男が、
「いっそのこと蛇退治をしよう」
といった。里の人は、
「あんな大きな蛇をどうやって退治するのか。きっと祟りがある。」
と、ぶつぶつささやき合った。するとまた別の男が、
「私も蛇退治に手を貸す」
と言い出したので、皆も賛成した。
数日間退治の準備をし、いよいよその日、長い刀、槍、鍬、鎌を持って山に向かった。山を越えるふりをして、蛇の住処を囲った。蛇が、獲物が来たと頭を出したとき里人が一斉に飛び掛かり蛇はバラバラにされてしまった。
そのバラバラにされたものの、しっぽの先端だけがなくなっていた。
一方、青海神社ではある日突然蛇のしっぽが飛んできた。どうしたものかと悩んだ末、「青葉山から飛んできたから山の神さんかもしれない」と、お祀りすることにした。その蛇を祀るところとして作ったのが、「みそぎの井戸」と呼んでいる。
現在も7月1日に「夏越の祓」の神事と同時に「池さらえ。」の神事が行われる。
参考:『郷土誌青郷』
これがあの禊池のこと?
言い伝えに沿って見れば池は古くからあるはず。でも蛇退治はおそらくそんな昔ではないでしょう。それとも禊池と禊の井戸は別物か。または禊の井戸がいつしか禊池となったのか。
いろいろ妄想が捗ります。
いずれにしても、青葉山を遥拝し、分霊まであるというほどつながりの深いこの神社と山。
青葉山から蛇のしっぽが飛んできてそれを祀ったというのもある意味、分霊的な意味が込められているようにも思えます。
境内社と仮本殿(祓宮)
境内社
青海神社社殿の正面右側の通路の先に境内社があります。
通路左鳥居の左前に三社連なっているのが、「三社小宮社(秋葉神社・八幡神社・広嶺神社)」です。
その奥にまた二社あります。
左はまたもや八幡神社。
先ほどの三社にもありましたが、ここでは独立してあります。なぜでしょうね。
そして、右にはまた不思議な社があります。
遷座所仮本殿(祓宮)
遷座所。ということは社殿建て替えなどの時にここに移すという感じなのでしょうかね。
以前見た彌美神社も最近新しくなりました。その彌美神社改修があった時も仮社殿で祀っていました。それみたいな感じなのでしょうかね。
しかし、この社の後ろに回り込むように、意味ありげな通路が続いています。
それにしても「祓宮」とも書かれており、また禊祓いの色が濃く出てきました。
この先にあるのは。
鳥居だ。そして境内の外へ?
川に出ました。
これは、まさに禊祓いの地?
しかもちょうど川が交わる場所。昔は淵のようなものでも出来ていたのでしょうか。
この場所が何なのかの確実な特定はできませんが、『郷土誌青郷』にはそれらしいことが書かれていました。
夏越大祓いと池替え神事
七月一日は、一年の半分の時期に来て、元気な人はこのまま元気に過ごせますようにと願いを込め、悲しい事や苦しい事(気枯れ)にあった人は、元気になるようにと願いを込めて、形代(神社から配られる人の形をした紙)に息を吹きかけて、河原で大祓いの祝詞とともに気枯れを流してしまう神事である。
引用:『郷土誌青郷』
この「河原で大祓いの祝詞とともに気枯れを流してしまう」場所がここなのではないかと思うのです。
振り返ると、また何とも雰囲気が出ています。古さびた感じが出ています。簡素な鳥居もまた禊祓いに相応しく見えるのは私だけでしょうか。
大ケヤキ
御神木でしょうか。綱がくくられています。
高浜町指定天然記念物のケヤキです。
他境内
境内空間
参道の側面に生えた苔。御神木、社殿。そして、外の世界から離れたような、まさに社叢と言えるこの神社の杜。
古の神社の威厳が感じられる境内です。
狛犬
古い狛犬。
顔が大きいです。そして台座が立派です。
手水舎
何やらきれいな石が敷き詰められています。
そして青い石。
すごく青いですね!
ユリダの木の占い盾
写真が荒くて申し訳ないですが、青海神社の鳥居、手水舎、拝殿、池の渕に謎の線が刻まれた小さな板が置いてあります。
『郷土誌青郷』によると、雨占いの為に使う物のようで、例年十二本の刻みを入れて置くといいます。閏年は十三本刻まれるらしいです。
国道南の森
青海神社にアクセスする際におそらく必ずと言っていいほど通るであろう、国道27号線。
その国道をまたいだ先にも少し参道があります。
おそらく参道を分断したのでしょう。向こうまで入っていませんが、後でグーグルストリートビューで見ると、石柱が一つ建っているようです。
伝説の地
貴重な皇女を祀る神社。
神社の杜を残す土地。
古の空気が残る神社は今も尚注目を集め続けています。
参考文献
『郷土誌青郷』
『御大典記念福井県神社誌』
『高浜町誌』
『大飯郡誌』
『福井県神社誌』
基本情報
最寄り駅 | 三松駅から徒歩11分 |
自動車 | 大飯高浜ICから12分 |
駐車場 | あり |
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