青葉山は魔所。土蜘蛛や人魚などの伝説が伝わる【高浜町】

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青葉山は魔所であり、土蜘蛛や人魚などの伝説が伝わる【高浜町】

福井県高浜町と京都府松尾寺の間にある青葉山は、古来より「魔所」として畏れられており、奥の院は誰も登らなかったとされます。

山頂は2つ、西峰東峰それぞれに神社があり、奥の院とされます。そこは修験の山として開かれました。

今回は、その青葉山の伝説について見ていく記事になります。

青葉山登山の記事もあります。

 

土蜘蛛伝説

崇神天皇の御代、この山に土蜘蛛が住んでいて、その頭を陸耳(くがみみ)の御笠(みかさ)といった。山から下りては田畑を荒らし、物を盗むので、天皇は御弟の日子坐(ひこいます)の王に打ち取るように命じた。王が青葉山の麓に着くと、土地は轟々と音を立てて揺れだし光が差して土蜘蛛たちは目を開けていられず、陸耳たちは山を下りて逃げ出した。王は追いかけまわして退治したという。

参考:『福井県の伝説』『若狭高浜のむかしばなし』『越前若狭の伝説』

私たちが「土蜘蛛」というと、『土蜘蛛草紙』に出てくるような妖怪としての「土蜘蛛」を思い浮かべます。

しかし、ここに出てくる土蜘蛛「陸耳の御笠」はどうやらのようです。

朝廷に従わなかった賊としての名前だとか。

伝説では「田畑を荒らし、物を盗む」という、まあなんとも普通に嫌なことをしている人たちという感じです。

それとの対比で、朝廷側は王が土地に降りた瞬間に「土地は轟々と音を立てて揺れだし光が差し」という神々しさです。こっちの方が特殊な存在に見えます。

あきらかに賊を蔑み、朝廷を称える形です。

時代的には、

  • 崇神天皇は(いたとすれば)古墳時代初頭。
  • 源頼光は平安時代中期。

らしいので、「妖怪土蜘蛛」とは時代も全然違いますね

ちなみに陸耳の御笠は、青葉山を追われた後、大江山へ逃げているそうです。

大江山と言えば酒呑童子
この青葉山の土蜘蛛伝説から大江山の鬼(賊)の伝説に繋がっていくのかもしれませんね

音海村の人魚

御浅嶽(青葉山)は魔所であった。その御浅明神の使者は人魚だと言われている。
宝永の頃(1704~1710)、山の北麓の音海村の漁夫が海上で海辺の岩の上に奇態なものが寝ているのを見つけた。近づくと頭は人間、襟元には鶏冠に煮立赤いものがひらひらとまといつき、そこから下は全くの魚体だった。
「奇妙なものがいるものだ」と、漁夫が櫂を振り下ろすとコロリと死んだので、海へ落として家に帰った。
ところがすぐに大風が吹き海が荒れ、これが17日も続き、大地震が起き、御浅嶽の麓から海辺まで裂け、音海村の人々は海嘯(津波?)に飲まれて多くの人が死んだ。それから明神の祟りとして恐れられてきた。

参考:『郷土誌青郷』『山々のルーツ』

人魚は襟から下が魚体という事で、よく知られるマーメイドとは違うようですね。

小浜の八尾比丘尼が食べたという人魚も頭だけが人間だったという事なので、それに近いような気がします。

そして、その祟りともいわれる大災害

宝永に発生した地震と言えば宝永地震しか思い浮かびません。
東海南海沖震源、推定震度7。
間違いなく若狭も相当揺れたでしょう。

これの事なのでしょうか。

他の津波大荒れの17日間を見てみましょう。

宝永地震は太平洋側。
日本海側で津波が起きる・・・ことはあるのでしょうが、調べても特に出てきません。

これ以外にも若狭の方で地震があったのかというのは、わかりません。余震や誘発があったとも否定できませんから。

では大荒れの天気の方はどうでしょう。

これ、香川県の『観音寺市誌』には宝永地震の1か月前に台風が来ていたという事が載っているようなのです。
参考リンク→「https://www.shikoku-saigai.com/archives/22564

もしこれが関係しているとしたら、「大荒れの後に大地震」の順番で矛盾しません。

音海村の人魚の正体も気になりますが、この伝説は過去に起きた自然災害を伝え続けるための方法だったのかもしれません。

青海神社の空飛ぶ蛇

 昔、青葉山の麓に大きな蛇が住んでいた。
 里の人が山を越えようとするとき、必ずと言っていいほど、その不気味な姿を現して人々を困らせた。
「あの蛇さえいなければ、もっと安心して山を越えられるのに」
と、何度もその話でもちきりだった。ある一人の男が、
「いっそのこと蛇退治をしよう」
といった。里の人は、
「あんな大きな蛇をどうやって退治するのか。きっと祟りがある。
と、ぶつぶつささやき合った。するとまた別の男が、
「私も蛇退治に手を貸す」
と言い出したので、皆も賛成した。
 数日間退治の準備をし、いよいよその日、長い刀、槍、鍬、鎌を持って山に向かった。山を越えるふりをして、蛇の住処を囲った。蛇が、獲物が来たと頭を出したとき里人が一斉に飛び掛かり蛇はバラバラにされてしまった。
そのバラバラにされたものの、しっぽの先端だけがなくなっていた。
 一方、青海神社ではある日突然蛇のしっぽが飛んできた。どうしたものかと悩んだ末、「青葉山から飛んできたから山の神さんかもしれない」と、お祀りすることにした。その蛇を祀るところとして作ったのが、「みそぎの井戸」と呼ばれる場所。
 現在も7月1日に「夏越の祓」の神事と同時に「池さらえ。」の神事が行われる。

参考:『郷土誌青郷』

現在青海神社で「青海皇女が禊をされた井戸」として、看板も掲げられている「みそぎの井戸」
そもそもこの井戸ができた発端が、この「空を飛んだ蛇」の伝説という話のようです。

あくまで伝説ではありますが、現在の見所の裏の歴史が垣間見えるというのは楽しいものです。

しかも、謎の蛇のしっぽって・・・。

なんだか不思議な伝説です。

皇子に憑いたきつね狩り

正月14日夜明けから翌日明け方まで、各村青年が宿に集まり、辻や村境界まで歌を歌いながら歩き、歌の終わりで大きく声を上げ、引っ張って歌い留める。これが昔から村に伝わる「きつね狩り」。
その発端は、後醍醐天皇の皇子が都を逃れ、丹後国加佐郡大浦村栃尾西山の御所が谷に逃れた時、病気にかかっていた。占いの人が、それを狐の仕業だといったので、村々に布令を出し、きつね狩りを命じたことに始まる。

参考:『越前若狭の伝説』

なんか・・・、狐さんもとばっちりうけて大変でしたね・・・。

いまや、狐には触れてはいけないというのが主流ですので、これも無くなったでしょうか。

伝説の山へ登る

さあ、このような不思議な伝説が多く伝わる魔所ですが、登ってみましょう。
いったいどのようなものなのか。

というわけで、次は登山の記事になります。

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