坂井市下兵庫の集落、住宅が密集する中、どこから行けばいいかわからない、鳥居が個人宅の庭に向いている神社があります。
今回その神社について見ていきます。
どこにあるのか、どんな場所か
あれはいったいどこにあるのでしょう。個人宅の庭に鳥居が向いています。
どんな場所だよ!?
タイトル通りの状態になっています。
個人宅の庭を行くわけにはいきませんので、周りをまわってみましょう。
神社の北側、集落の小道から入れました。
こちらには鳥居や灯籠もなく、本当に横から入る形になるんですね。
石塚神明神社
鳥居・社殿
もう鳥居が個人宅ぎりぎりのところに立っているので、扁額近いです。というか鳥居の高さもそんなに高くないので余計ドアップです。
神社誌を見てみましたが、集落の小さい神社だからか何も書いてないです。見逃しているだけかもしれませんが・・・。
そうはいっても大木もありますし、結構立派な神社だと思います。
祠
神社の左後ろには石祠があり、社殿の真後ろには宝篋印塔があります。この宝篋印塔については後でしっかり見ます。
祠の方は、『新修坂井町誌』の方に記述がありました。
江戸中期頃 千木・堅魚木があり、長押彫もある 東荒井地区境から土地改良事業で遷座
引用:『新修坂井町誌』
ということです。
東荒井地区は下兵庫の北西にある地区です。この神明神社からは直線距離で650m以上も離れている所です。そんなところからやって来たものなのですね。
土地改良事業は私のような古い物を追う者にとって結構痛手となっているものです・・・。
そんな遠い所からやって来たという事は、この神明神社の昔の祠というわけではなかったのですね。結局何の神様なのでしょうか・・・。
宝篋印塔
宝篋印塔です。穴が開いています。その中に何か入っていましたが、気にしないでおきましょう。
こちらも『新修坂井町誌』に記述がありました。
下兵庫(石塚)神明神社境内の宝篋印塔は、宝形の屋根を持つ石祠の上に、宝篋印塔を載せた形の二重の屋根を持つ変形宝篋印塔で、高い基壇をもつ。建立年はわからないが、県内に残る同形式の変形宝篋印塔から江戸後期頃のものとみられる。神社境内に置かれることは珍しく、他所から移されたことが考えられる。
引用:『新修坂井町誌』
形も置いてある場所も二重で珍しいとのことで、しかも屋根も二重といういろいろ詰まりすぎた宝篋印塔というわけですね。穴にも何か詰まっていますし。
この隠れるようにたたずむ神社にこんな希少なものがあるとは。
気になったもの
氷川
氷川という文字が書かれた石碑です。茅?二番とも書かれています。でも「茅」とは違う漢字のようにも見えます。
謎です。
周辺の土台
宝篋印塔を取り囲む土台ですが、コンクリートブロックに交じって、明らかに石塔の一部だったであろう物が使われていました。
個人的にはこういうのは好きです。でもこれ、形に合わせて意図的に割っている?さすがにそれはないかな。
思わぬところに希少なもの
今回のように集落の一角に隠れるようにたたずむ目立たない神社でも、訪れてみると結構気象で面白いものが見れることがあります。
入ってはいけないところは入ってはダメですが、集落の神社にも足を踏み入れるのも良い物です。
参考資料:『新修坂井町誌』
基本情報(アクセス、最寄り駅)
最寄り駅は、えちぜん鉄道下兵庫こうふく駅から徒歩10分。
駐車場はありません。集落内なので、駅の駐車場にとめてきたほうがいいと思います。
他下兵庫内の見所
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