顕彰碑や廃村になった地区の望郷の碑、記念碑、忠魂碑、またどういう石碑なのかよくわからないようなものまで、碑ならばなんでも取り上げます。
地蔵橋の伝説~鯖江内北陸道と織田軍侵攻の歴史遺構【鯖江市】
福井県鯖江市鯖江市街地に地蔵橋という地蔵尊がある。今回この由緒と言い伝えを見ていく。かつて織田信長率いる軍勢が朝倉へ攻め入る時、ここ鯖江の長泉寺と争い焼き払った歴史があり、その一つの遺物。後に北陸道の橋となりこの名前が付けられたという。
常宮神社~奥宮・龍燈の松伝説など歴史と梅・紅葉の四季【敦賀市】
福井県敦賀市常宮神社は海に面する。気比神宮の奥宮であった歴史、朝鮮鐘、蒙古など伝説と歴史が刻まれる。駐車場は境内にあり。読み方や御祭神、ご利益なども掲載する。雪に蝋梅、秋の紅葉、絶景の拝殿など景観も素晴らしい神社である。
気比の松原の一夜松伝説・歴史と逸話~冬の絶景や石碑など【敦賀市】
福井県敦賀市の海岸線に日本三大松原の気比の松原(読み方は「けひのまつばら」)がある。氣比神宮の社地として名前の由来となっている。歴史の一端を担ったこの場所には、戦時の石碑や歴史、蒙古襲来伝説など伝わり、また四季の絶景も味わえる福井県、敦賀市の名所となっている。
つるべおろしの怪異~名田庄三重の峠に伝わる伝説【おおい町】
福井県おおい町名田庄三重山田に伝わる怪物の伝説。峠を通る人を殺したという怪異。「王大将」とも言われる。今でも石碑が残りその伝説を偲んでいるというので、集落の人にも聞き込みをし、その所在や実際に伝わる話などを調査する。
泰澄大師御生母廟所(墓所)七重塔と五輪塔~泰澄の母と勝山について【勝山市】
福井県勝山市毛屋の県道17号線沿いに泰澄の母の墓であるといわれる場所がある。なぜここに泰澄の母の墓があるのか。その史跡の歴史と由緒はどのようなものか。毛屋は勝山でも特に古い土地である。
恩沢池の灌漑の歴史~名前の由来と石碑・龍神の祠【越前市】
福井県越前市神山地区池の上にある恩沢池。この池の成り立ちや歴史は水に苦労した神山地区ならでは。池の上には慶応の石碑や龍神の祠、鳥居などがある。この池の歴史と現地を見ていく。
丹巌洞の庭園内部写真と歴史的人物の会~笏谷石の宝庫【福井市】
福井県福井市にある料亭「丹巌洞」。歴史上の重要地でもあるこの場所は今、電話予約を取れば庭園を見学できる。駐車場も目の前にある。松平春嶽や福井幕末藩士が集った場所でもあり、歴史の偉人が訪れた場所でもある。今回はこの庭園内と見学可能の建物を撮影したので載せていく。
神明神社と八百姫社の由緒伝説~小浜青井に八百比丘尼を祀る【小浜市】
福井県小浜市青井。古くからこの地に神社があり、国守藩主の奉献もあった。この神社になぜ八百姫社(八百姫宮)があるのか。白玉椿の地の言い伝えと祭神、歴史、創建経緯などを見ていく。
花山峠の由来と伝説「母子供養地蔵・狐」そして謎の石碑【大野市】
福井県大野市乾側牛ケ原の美濃街道に花山峠(坂戸峠)という場所がある。福井市との境界近くのトンネル内にその象徴として地蔵尊が祀られる。乳出しのご利益があるとして信仰されてきた。その由来は残酷な伝説から来ている。
福井空襲戦災地・供養碑【福井市】
昭和20年7月19日。福井市中心地がB29の投下した焼夷弾M47・M69によって焼き尽くされた。時間は午後11時24分から81分間。福井大空襲と呼ばれ、福井城お堀や足羽川、郵便局跡、各地に供養塔や石碑が建っている。
敦賀空襲戦災地・供養碑【敦賀市】
昭和20年7月12日に敦賀大空襲で市街地がB29のM47・M69焼夷弾に焼き尽くされた。30日には戦闘機による機銃掃射と爆撃、8月8日には東洋紡へ模擬原爆(パンプキン爆弾)が落とされ、学生らが亡くなった。戦災の地や供養碑、体験談に載っていた場所へ赴く。
熊野神社の由緒~青葉山今寺登山口の謎のお堂と共に【高浜町】
福井県高浜町今寺の青葉山の麓、今寺登山口の道中に熊野神社と謎のお堂、そして陸軍省の石杭がある。熊野神社の由緒と御祭神。謎のお堂と今林寺について見ていく。ここはかつての葬送の道だったのかもしれない。
伊地知姓発祥「伊知地」畑ヶ塚と時能~古戦場に紫陽花咲く【勝山市】
福井県勝山市北郷に伊知地という地名がある。薩摩の苗字「伊地知」の由来の地という。南北朝時代の古戦場であり、畑時能の墓や古い石塔がある。近くにはアジサイが咲いていた。
アイの木と一本松の伝承 ~彌美神社旧跡と出合いの地【美浜町】
福井県美浜町麻生の田園の中に謎の石柱と灯篭があります。かつて「アイの木」と呼ばれたこの地に伝わる一本松の伝承。 彌美神社と深い関わりがあり、相の木・愛の木・合いの木とも言われているこの地を見ていきます。 どこにあるのか 彌美神社の一ノ鳥居か...
首切り谷の名の由来 ~今庄二ツ屋北陸道の一向一揆の名残【南越前町】
福井県南越前町今庄の二ツ屋のある谷の奥に「首切り谷」という禍々しい名前の場所がある。この名の由来や行き方、現地の様子を見ていく。天正三年の越前一向一揆や鉢伏山に関係する史跡でもある。
二ツ屋(今庄)に遺る北陸道の名残 ~一里塚・宿場・関所など【南越前町】
木の芽峠以北に今庄の二ツ屋。往還一里塚跡・制札場跡・御前水問屋跡など歴史の面から、墓や日吉神社など集落跡の面も持つ。明治天皇碑もある。然しその道は2022年の大雨水害によって崩壊していた。