葬送文化

若狭町

「上兼田の三昧」で名の知れた土葬地とサンマイの杜【若狭町】

福井県若狭町兼田。ここに「にっぽん縦断こころ旅 2014春の旅」で火野正平さんが訪れたという有名な土葬地(サンマイ)がある。田園の中に島のように森が茂るその様子はまさにサンマイであり素晴らしい風景。今回はそのサンマイの杜についても触れていこうと思う。
おおい町

若狭父子の土葬地と時代の流れ~ミドリトウバあり【おおい町】

福井県おおい町父子。この地はかつて土葬両墓制または単墓制であった。今回お寺で土葬についてのお話を伺えたのでここに記す。現存する土葬地も許可の下でここに掲載する。
おおい町

若狭大島半島のサンマイ葬制事情と現状~土葬から火葬へ【おおい町】

福井県おおい町大島半島。ニソの杜が有名な地域でニソの杜と埋葬の関係もささやかれる。ここではつい最近まで両墓制による土葬が行われてきた。今もサンマイが残る場所もあれば消えたところもある。また整地され面影を失った場所もある。そんなサンマイ事情を郷土史や地元の方の話から記録していく。
おおい町

道の駅名田庄と暦会館・流星館はある意味テーマパーク【おおい町】

福井県おおい町名田庄にある道の駅とその敷地隣接で安倍家土御門家に由来して暦会館が立っている。紅葉の時期に行ったが、ここは特に文化を感じられる場所である。茅葺屋根の建物もあれば暦の勉強もできる。また頭巾山青少年旅行村も隣接している。そして何より、葬送地の様子も見られるのだ。
小浜市

堅海のサンマイ~村の共同土葬地と現地の方の話【小浜市】

福井県小浜市内外海地区堅海。嶺南若狭は土葬地帯だがここもまた古くは土葬をしていた土地である。郷土史や地元の方の話を交え、土葬地現地の現在の様子をここに記録します。
季節もの・特集・まとめ

県内各地サンマイ写真(火葬場・土葬地)【福井県の葬送Ⅳ】

この記事では福井県内の墓地や三昧(さんまい)という火葬場・土葬地などの現地写真を掲載し、また今はなくなってしまったサンマイの場所もグーグルマップを元に載せていきます。心霊・ホラー・オカルト要素は皆無ですが、苦手な方はブラウザバック推奨です。
季節もの・特集・まとめ

墓制と県内の火葬土葬方法とその違い【福井県の葬送Ⅲ】

福井県は越前と若狭では葬送文化の違う。「墓制」という墓の形態も異なり、福井県には単墓制・両墓制の2種類の墓制がある。火葬方法土葬方法の違いなどを見ていく。
季節もの・特集・まとめ

越前若狭の葬礼儀式(伝承~野辺送りなど)【福井県の葬送Ⅱ】

福井県(嶺南嶺北越前若狭)の葬送文化を調べた物を記録。普段あまり聞かない葬礼用語・葬礼(死の予兆・葬儀・納棺・出棺・野辺送りなど)を取り上げる。
季節もの・特集・まとめ

葬礼(儀式や道具)・墓制・火葬土葬用語集【福井県の葬送Ⅰ】

両墓制や単墓制、サンマイなどの墓地のから、火葬土葬の用語、葬儀や葬礼・野辺送りなどの儀式や道具など、福井県内の郷土史でわかるだけ集めた葬送用語集。
敦賀市

来迎寺野について~敦賀の刑場であり葬送の地でもあった【敦賀市】

福井県敦賀市松原地区松島の一区画に木々が生えた野があり、ここには多くの墓が散らばっている。ここはかつて形状や仕置き場があった場所でもある。古来の墓地をそのままこの時代まで持ってきたような、現代の区画整備された墓地とは違う、古い墓地です。
敦賀市

沓見宝塔とサンマイ~土葬から火葬へ、ソウレンバの葬送空間【敦賀市】

福井県敦賀市沓見のサンマイには敦賀市指定文化財となっている宝塔(石塔)があり、そのサンマイはかつて土葬だったという。後に集落火葬場が設けられた。六地蔵前の棺台含めた葬送空間に独特な石仏が彫られていたりと興味深いものとなっている。
敦賀市

敦賀市和久野の火葬と土葬の歴史~村の歴史から見えてくる【敦賀市】

福井県敦賀市粟野地区の和久野。ここではかつて火葬と土葬の両方を行っていた。取材を機にその文化を見ていきます。村の成り立ちからの違い、そして土葬の跡、火葬場跡、町営火葬場への移行の年代を見ていく。
越前市

骨橋と極楽三昧の言い伝え【福井県越前市千福】

福井県越前市千福の枝村山麓に大岩があり、その上に碑が立っている。かつて死人が出たときに棺に入れてこの大岩に置くと、山腹にあったという極楽三昧にて火葬されていたという。
若狭町

安倍晴明の墓がなぜここに ~無悪埋葬地と五輪塔【若狭町】

福井県若狭町鳥羽無悪の両墓制土葬地(サンマイ)に陰陽師安倍晴明の墓という五輪塔がある。なぜここにあるのかの理由として当区に伝わる伝説を見ていく。どこにあるのかどんな場所なのかも写真付きで掲載。土葬地の真ん中にあるので、無理な人もいるかもしれない。
おおい町

尾内の両墓制 ~土葬墓と石塔(浄眼寺)の関係【おおい町】

福井県おおい町尾内(読み方は「おない」)の両墓制を見ていく。現在の土葬地(埋め墓、サンマイ)と浄眼寺裏の石塔墓(参り墓)を訪ねた。花立や棺台、五輪塔など現存し、資料から霊屋、ミハカなど、昔の死生観も見ていく。
美浜町

美浜宮代にあった両墓制の土葬地 ~かつての埋め墓は今【美浜町】

福井県嶺南地方若狭地方はかつて「土葬」が多く行われていた。美浜町も近年まで多くの地区が土葬をしていた。両墓制という埋葬墓と参り墓を分ける墓があった地域がある。その一つ宮代へ赴いた。宮代という地名はかつて「御社」と書いていたようで、やはり彌美神社の鎮座地ということからその名が来たという。