福井県美浜町に恋の松原という場所があります。
幻の謡曲「恋松原」の舞台とされ、若狭町を跨ぎ周辺に浦見坂(浦見川)や宇波西神社前の椎橋という場所が聖地です。
雪降る日に恋松原の悲劇を巡る、聖地巡礼の旅に出ます。
恋の松原伝説の概要
恋の松原。
その名を見ると、なんと素敵なのだろうと一見思いますが、実はこの名前は「素敵な恋」から来たものではありません。
この恋の松原に伝わる伝説は、悲しい男女の物語。
そして、その後の恨みをうたった、悲哀伝説なのです。
では、聖地巡りと共にその伝説の内容を見ていきましょう。
伝説謡曲「恋松原」と聖地巡り
松原での逢引き
久々子湖の湖畔に松原があった。昔ある男女がここで密に合う約束をしていた。女が先に到着したが、その日はたまたま大雪だった。そのため男はまだ来ていなかった。
真冬に行きました。現在の恋の松原。
恋の松原古墳があるのは、美浜町です。
当サイトでも地理や歴史的な観点から考察したこともあります。
昔はこの辺り一帯は松原だったようです。
宇波西神社が近くにありますが、その辺りまでも松原だったようで、今とは全く景色が違ったのでしょう。
健気な女と「椎橋」
男は暗くなっても来なかったが、女は約束を守って待ち続けた。そしてついに、松原の椎橋の下で凍え死んだ。
椎橋があったのは、宇波西神社の東数町。または神社から東に数百歩の所にあったといいます。
椎橋は名前の通り、「椎の木」の根が橋になっていたようで、昔の宇波西川に架かっていたものだそうです。
ただ現在は土地改良などで、その跡は全く残っていません。寛文の図には記されているのだそうです。
『ふるさとの歴史と民俗 美浜文化叢書3』によると、宇波西神社参道の宇波西川の手前約50mの所にある石灯篭の北側にあったとしています。
神社から約50m程の所にある灯籠です。
どこかこの辺りにその椎橋があったのでしょうか。
それにしても雪が降りしきります。
ちなみに現在かかっている橋は、近年にかけられたものです。それでも雪の降る中でこの橋の下を覗くと、十分伝説を想像できるロケーションです。なにより寒いからです。
向こうに見えるのは行方久兵衛の石碑です。
この川は宇波西川ですが、見た通りしっかり整備されており、近年に作られたものです。なので昔はもっと蛇行していたでしょうし、場所ももっと東側にあったのではないかと思います。
ちなみにいまの宇波西川の少し東に小さな水路があります。
もしかしたらここがかつての川か?とも思いましたが、証拠はないので可能性だけにしておきます。
恨み坂山の「浦見坂」
男は山を挟んだ向こう側に住んでいた。大雪が降る中、その山を越えられずにいたが、道も見えない中、雪をかき分けてだいぶ遅れて到着した。しかし女はすでに死んでいた。男は女を抱き寄せ叫んだがもうどうしようもなかった。そして、男は女を塚に葬った。
男と女は、二人を邪魔したこの山を恨んだ。これを「恨み坂山」と名づけた。そしてこの峠を「恨み坂」と呼ぶんだ。そこから「浦見坂」というようになった。
こちらも雪の降りしきる浦見川です。
行方久兵衛が指揮して完成させた浦見川が今も残っています。
この「浦見川」が元「浦見坂」のあった場所なのです。
元の由来はどうかはわかりませんが、伝説ではその男女の悲哀伝説がいまでも「浦見川」として「うらみ」の発音を残していることになります。
これはすごく良いですね!
ちなみにこの浦見川に側道があり、登ることができます。
これがまたかなり登ります。頂上はこんな感じです。
と言っても写真ではなかなか伝わらないと思いますが、凄く標高が高いです。
崖を見下ろすと浦見川が見えますが、高すぎて怖いです。落ちたら間違いなくあの世行きです。
この坂はおそらく後の時代につくられたものであろうとは思いますが、今でも「恨み坂」を体験することができるのです。
男の絶望と水月湖
男は女を葬った後、再び山を登り帰路についた。後ろを振り向くと雪の松原が見える。男は山を越えると、その山の麓で湖に身を投げて死んだ。
浦見川の西側は水月湖です。
男は「山を再び登って帰った」とあるので、おそらく男が身を投げたのはこちらの水月湖の方だと思います。
いまもこの麓に集落が存在します。
この村の人だったのかもしれませんね。
恋の松原古墳の由来
村人はこの悲しい二人を弔い、墳を作った。そして会う約束をしていたという松原を「恋の松原」と名づけた。後に謡曲も作られることとなった。
恋の松原古墳まで戻ってきました。
今この場所には、なにか小さな山があります。
もしかしてこれが古墳なのでしょうか。
いずれにしても、いまも史跡として残ってくれていることに感謝です。
恋の松原古墳現地には説明板もあるので、そこで気分に浸ってみるのも良いと思います。
後日談「謡曲恋松原」
さて、この恋の松原伝説には後日談ともいえる話があります。
それが、謡曲「恋松原」。
室町時代の謡曲作者「世阿弥」が作ったともいわれています。
ただ確定ではなく、一応作者不明とのこと。
世阿弥は小浜港から配流された経緯を持っており、その時半年ほど小浜に滞在していたようで、その時に作ったのではないかというのが一説にあるみたいです。
つまり、恋の松原伝説は室町時代以前の話という事になるわけですね。かなり古い話なのです。
どんな話か、簡単に話の流れを見ていきます。(それでも長いです)
主人公は旅の僧(ワキ)で、北国の社寺をお参りし、若狭路から都へ上ろうとしていた時の事。雪が降り出し、この松原の松の木の下で雪をしのいでいた。すると急に里の女(ツレ)が現れ、「ここは恋の松原と言われる場所で一休みする場所ではない」といわれる。僧がその由来を聞くと、里女は恋の松原伝説を話し、その霊を弔ってやってほしいと頼んだ。すると亡霊(シテ)が話し始めた。(なぜか急に亡霊が出てきました。)とにかく恨めしいと。苦しく、いくら説法を聞いてもまだ悟れずにいる。死生観を語り始めます。
僧は弔いの言葉をかけ、里女はそれを喜んだが、亡霊はお経を拒否し、「他の人にも同じ地獄の苦しみを与えてやりたい」と呪う。里女はこれを「自分を省みないで何をばかげたことをいっているのか」と戒める。亡霊は「無情だ」と言い返す。雪を見ると胸が焼かれる思いで、雪に埋もれて凍える地獄の苦しみを味わっていると。
そうこう話しているうちに仏業修行のご縁で天井に生まれ変わって罪や穢れは解け、心の蓮の花が咲いてくれそうで、成仏できそうだという話を聞いているうちに、明け方の波の音や松風の音に紛れて見えなくなっていった。
亡霊はいろいろ吐き出していたのかも。僧は今のカウンセラーみたいなことをしたのでしょうか。
ただ、謡曲ではなぜかこの男女は愛人という事になっているようです。
なので里女が「自分を省みないで何をばかげたことをいっているのか」と叱っているのですね。
しかし、この「謡曲恋松原」はすでに廃曲となっており、ほとんど残っていないそうです。
大藪の人が「恋松原」の謡曲本を所持していたようで、それが伝承の希望になっています。
『ふるさとの歴史と民俗 美浜文化叢書3』と『わかさ美浜ふるさとの散歩 美浜文化叢書2』という本に、その謡曲の全体と訳が載っているので、これらを見ていくと、謡曲「恋松原」を読破することができます。
凍える真冬の雪降る湖畔へ
さて今回は、伝説の臨場感を味わおうと、真冬の凍える中現地を巡礼してきました。
三方五湖は観光地として結構PRはしているようですが、やはり「湖」というだけに「夏」に客寄せするイメージがあります。
まあ、冬には皆さん来ないでしょう。寒いですから。それが普通だと思います。
しかし、真冬の湖畔を舞台にした、このような悲哀伝説があるというのは、結構価値のあることと思います。
時には、こんな凍える真冬の雪降る湖畔へ訪れてみるのも、また良いものだと思うのです。
参考資料
『越前若狭の伝説』
『福井県の伝説』
『ふるさとの歴史と民俗 美浜文化叢書3』
『わかさ美浜ふるさとの散歩 美浜文化叢書2』
『わかさ美浜町誌』
『三方郡誌』
『若狭国伝記』
ユーチューブには映像としても動画をあげています。
基本情報(アクセス、最寄り駅)
恋の松原
最寄り駅は、JR小浜線気山駅から徒歩10分。
自動車では、若狭三方ICから車で3分。
駐車場はありません。
浦見坂(現浦見川)
最寄り駅は、JR小浜線気山駅から徒歩22分。
自動車では、若狭三方ICから車で4分。
駐車場はありません。
椎橋のあった辺り
最寄り駅は、JR小浜線気山駅、徒歩8分です。
アクセスは県道244号線気山内を走っていると、その道沿いに見えてきます。
駐車場はありませんが、宇波西神社の駐車場があるので、宇波西神社も一緒に参拝されるといいと思います。
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