鹿蒜神社の由緒と御祭神~南今庄の養蚕と駅の神【南越前町】

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鹿蒜神社

福井県南越前町南今庄の鹿蒜神社。鹿蒜の読み方は「かひる」

南今庄元帰村にある古めかしい集落の神社。今回はその神社の現状と由緒を分かる限り見ていきます。

地理

宿場町今庄宿の南、鹿蒜川を上流に進むと最初に現れる集落が南今庄。

この部落の歴史は古く、元は古代に渡来系民族が住み着いたのが始まりともされており、最初の文献では「鹿蒜郷」として、奈良~平安の郷名とされていた土地です。

詳しくはこの記事で。

そんな土地に古くから伝わる氏神。鹿蒜神社。神社は集落内にあり、山の麓に鎮座しています。

由緒・御祭神

鹿蒜神社

神社鳥居前に大木あり。

祭神:譽田別尊、伊弉諾尊、武甕槌命
『福井県神社誌』によると、創建は文武二年(698)。『御大典記念福井県神社誌』によると文武天皇二年(698)三月十五日にて創立。「延喜式内の敦賀郡四三座と記載の内の鹿蒜神社は当社であって古代の息吹を今に残す清浄の地に鎮座して居られます。」と書かれている。

古代名は「加比留神社」。養蚕の神として、また駅地の神として崇拝され、付近の帰山と共に広く知られた。
引用:『福井県今庄町誌』

『御大典記念福井県神社誌』の言い方だと、社地は変わっていないようです。

そして「駅地の神」とは、かつて奈良時代にこの帰村が「鹿蒜駅」があった場所であることに由来するのでしょう。北陸で二番目の駅だったとされ、役人・駅馬などで賑わったと推測されています。

さらに『南越温故録』に

「帰村 鹿蒜今帰村と云延喜式に鹿蒜神社・加比留田口神社と云うは此村の産土神なり云々」とある
引用:『福井県今庄町誌』

とも書かれてもいます。相当古い村に相当古い神社があるという事ですね。

境内社
稲荷神社(稲保命)文久二年(1862)創建。
秋葉神社(火産霊神)元禄二年(1689)創建。
金比羅神社(金山彦命)嘉永三年(1850)創建。

現状

拝殿

鹿蒜神社

一段上がって社標の段につき、さらに一段上に拝殿があります。狛犬も年期入ってます。

石垣は掘り出したままを使っている感じです。その中に妙に揃えられた階段がありきっちりと枠に収まる拝殿の柱。これぞメリハリです。

鹿蒜神社

由緒書きが掲げられ、扁額には「至誠通明神」と刻まれています。この言葉を調べると、「誠実さは神を通じて必ず良い結果をもたらす」という意味らしいです。

木の造物が年月を感じます。

鹿蒜神社

礎石と支柱が素晴らしいです。本当に載せてあるだけです。しかも石の形に合わせて気を微妙に削っているのです。それでがっちりはまるようにしています。

こんな建築技術を見れるとは。建築は全然わかりませんけど、感動します。

本殿

鹿蒜神社

拝殿の後ろには急な石段が構成され、本殿へと続きます。

鹿蒜神社

『福井県今庄町誌』によると「本殿は大正十四年建築」ということでしたが、変わっていないのでしょうか。そんなに古くは見えませんが。でも『福井県今庄町誌』は1979年出版なので、そんなに古い物ではないですし、もし改築していたらもっと新しく見えると思うので、記述通りなのだと思います。

鹿蒜神社

いやよく見たらこちらの土台がかなり古めかしい感じで、先ほどの拝殿とはまた違う造りでした。

先ほどは支柱で支えていましたが、こちらは土台で支えています。しかもその土台の木もまた石の形に添うようにして削られています。まるで完成された建物を礎石の上に載せたかのようです。

拝殿と本殿で違う支え方が見られるのもいいですね。

古の社

村自体もそうですが、この神社の土地もずっと続いてきた聖地なのでしょう。

そしてこの古めかしい社殿。大木。石段。揃えられた寸法。おそらくもっとよく見ると、新たな発見があるはずです。

由緒ある村と神社、古からの時代を刻み続けています。

参考文献
『福井県今庄町誌』
『福井県神社誌』
『御大典記念福井県神社誌』

基本情報

最寄り駅北陸本線南今庄駅から徒歩8分
自動車今庄ICから7分
駐車場なし

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